どうしてこんなことになるのか。
戦争と関係なく、ただ平和に暮らしていただけなのに。
ただ家族全員で穏やかに生きていたいだけなのに。
なぜ世界はこうも理不尽なのか。
自問しても分かるはずもなく、誰に聞いてもきっと答えはでない。
だから。
昨日まで大好きだった、あの空がとても憎かった。
りべんじゃーず
山道を家族と共に走り抜ける。
これだけ全力で走るのはいつ以来だろうか。
こういう時、自分たちが遺伝子を弄られて産まれてきた“コーディネーター”であるいうことに感謝したくなる。
常人だとすでに息を切らしているだろう距離を全力で駆け抜ける。
生まれつきの強靭な肉体は、年端のいかない少女にもその恩赦を与える。
しかし。
「マユ、急いで!」
少女――マユ・アスカ――の母親が叫ぶ。
だがそれは少し遠いところで起こる爆発音で打ち消された。
「うん、……はあ、はあ」
コーディネーターのその肉体でも、やはり山道の全力疾走では疲れが出る。
特にマユは家族の中でも一番幼かった。
疲れからか、足元が不注意になり木の根につま先が当たり転びそうになる。
「あっ!」
「マユ!」
倒れそうになるその手を取ってくれたのは、少女より少し年上の少年。
シン・アスカはマユの兄である。
「大丈夫だったか、マユ」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
シンはマユの手を繋いだまま、山道を走る。
マユは年の近いこの兄が大好きだった。
マユたちの住む国、オーブは数少ないコーディネーター差別をしない国だ。
そしてナチュラルとコーディネーターの戦争に干渉せず、中立を貫いていることでも有名である。
マユたちもオーブのそんな理念に憧れてこの国にやってきた。
しかし表向きと実情は違うものだ。
他の国ほどではなくとも、オーブにもコーディネーター差別は存在する。
学校、受験、就職……。
例え法律でそれらの差別が禁じられていても、市民の意識まで禁じられるかまではまた別問題である。
旧世紀の国々が男女の差別を法律で禁じても、実際に市民間での差別が無くなるのに時間が掛かったのと同じことである。
そんな国だから、マユたち兄妹はあまり周りに友人がいなかった。
首長であるウズミの理念に惚れ込んだ親から、差別をしないように教育を受けた子供もいることはいたが、そんな子供ばかりではない。
必然的に友人は少なくなり、兄妹二人で居ることが多かった。
それでも二人は幸せだった。
兄は妹を心の底から愛し、宝石のように大切にして。
妹はそんな兄を誇りに思い、慕っていた。
だから家族がいれば、自分たちは幸せだった。
少なくとも今日、この日までは。
突如攻めてきた連合軍。
市民の避難の完了を待たずに始まったオーブ軍との戦い。
何もかもが唐突だった。
世界がいくら戦争してても自分には関係ない。
そういった根拠のない、そしてある意味残酷な自信もあったかもしれない。
だけれどその罰がこれではあんまりではないだろうか。
「マユ、頑張れ。あと少しだからな!」
「うん」
それでも、この兄の大きな手があれば、自分は生きていけるだろうとマユは思った。
「あれ……」
それに気付いたのは、ほんの偶然だった。
林の奥に見えた黒ずんだ何か。
爆発の光に照らされて、一瞬ではあったがそれが人に見えた。
「マユ?」
急に立ち止まった妹に、シンも止まって振り返る。
「あそこ、人が倒れてる! お兄ちゃんたちは先に行ってて! あ、後これ持ってて!」
「待て、マユ! 危ないぞ!」
「マユ!」
兄に愛用の携帯を渡すと、家族の制止を振り切り、黒ずんだ何かへと向かう。
やはりそれは倒れた人だった。
しかしその姿は異様であった。
黒尽くめのマントに黒い髪、そして黒いバイザー。
正直、いつもならば目を合わしたくないタイプだった。
だが、それでも命である。
こんなところに置いて行かれれば確実に死ぬだろう。
「あの、大丈夫ですか?」
意識がないのだろう、返事はなかった。
よく見たら大の男だ。
自分一人で運べるはずがない。
仕方なく兄と父に助けを呼ぼうと振り返った時。
その時を、マユはきっと忘れないだろう。
まず感じたのは、光だった。
そして鼓膜を突き破るような爆発音。
最後に爆風によって吹き飛ばされる自分。
「き、きゃあああ!」
数秒、意識を失っていただろうか。
起き上がると、そんなに先程の場所から飛ばされていないことに気付く。
一緒に飛ばされた黒尽くめの青年も無事のようだった。
一息つき、そして先の光が膨れ上がった地点を見て、徐々にその顔を青ざめさせた。
そこには大きなクレーターがあった。
流れ弾が当たったのだろう。
それは分かる。
だけど、そこには何があった?
そこには誰が居た?
先程「先に行って」と言いながら、家族はちゃんとマユを待っていた。
そういう優しい人たちだ。
だが今回ばかりはその優しさを恨んだ。
その優しさのために待っていた、その場所に、流れ弾は落ちた。
理解する。
理解してしまう。
だけど納得したくない。
きっと生きてる。
生きてるに決まってる。
だが目はマユに非常な現実を与え続ける。
右には大きな岩で潰された母がいた。
左には上半身だけが残った父がいた。
ガチガチと音がする。
うるさいと思ったら、それは自分の震える歯の音だった。
そして正面には……。
「お兄ちゃん!」
瓦礫の山から飛び出る兄の腕がそこにはあった。
まだ生きているかもしれない!
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!」
僅かな希望を持ってその瓦礫を除けていく。
硬い瓦礫は少女の柔らかい指先を傷つけていくが、マユはまったく気にしなかった。
「お兄ちゃん!」
ぼろぼろになった手で、兄の手を引っ張る。
とても軽かった。
力を入れすぎて、尻餅をつく。
あまりにも軽すぎて別人の手かと思ってしまう。
だがそれもすぐに納得してしまった。
なぜなら、引っ張った腕には本来あるはずの、身体がなかったから。
ぷらーん。
ぷらーん。
主人を無くした腕はまるで出来の悪いコメディのように揺れて。
滴る血が自分の服を赤く染める。
握った兄の腕は、まだ少し暖かく、そして軽かった。
さっきまでこの手が自分の手を引いてくれていた。
昨日までこの手が自分の頭を撫でていてくれた。
呆然として空を見上げると、そこには二機のMSが戦っていた。
白いMSと、緑のMS。
二機はまるで自分たちが眼中にないかのように、いや、実際にないのだろう。
自分たちが今、一人の少女の家族を一瞬にして奪ったことなどまるで気付いていないに違いない。
マユは手を広げると、星を掴むようにその二機に手を向け、思いっきり握りこんだ。
「はは、はははははは、はははははっはあっはあはははは」
泣いているかのような笑い声は、近くのオーブ軍人が救助に来るまで続いた。
昨日まで兄とともに見上げていた大好きなあの空が、今はとても憎かった。
あとがきー
初めての長編がクロスという無鉄砲者、AIです。
しかもナデシコと種運命のクロス。
それにしてもずいぶん暗いです。
テーマは「復讐」。
次回は黒男が目覚めるかな。
ではでは。