ソラに浮かぶ砂時計、プラント。
国民のほとんどがコーディネーターで構成されるスペースコロニー国家。
MSを中心とした強力な武装組織、ザフトを保有しているのもプラントだ。
オーブ侵攻から数ヶ月、避難した市民の何人かはプラントへと移り住んでいった。
それは自分たちから国を奪った連合への憎しみからかもしれない。
あるいは自国の民すら守れぬオーブに失望したからかもしれない。
理由は様々なれど、そう少なくない人数の、特にコーディネーターたちはプラントへの移住に抵抗はなかった。
普通ならば戦争中にこのような移民の受け入れは断るはずだが、プラントからして見てもオーブの技術力は魅力的であったのだ。
また、仲間意識の強いコーディネーターにとっては連合に弾圧された同胞という立場は同情を引くには充分でもあった。
「私、宇宙初めてなんだ。
アキトさんは?」
「初めてでは、ないな」
プラントに入港した船の中には、マユ・アスカとテンカワ・アキトの姿もあった。
「でもアキトさん、本当にいいの?
私のことは気にせずに地球に残っててもいいんだよ。
アキトさんは、その……」
プラント市街を二人歩きながら、アキトの方を振り向いて、マユは少し言いにくそうに俯く。
「確かに区分で言うと、俺はナチュラルだ。
そういう意味では地球に居た方が楽かもしれん。
だが俺は君に助けられた。
恩返しとして君が大人になるまでは面倒を見ようと思う」
アキトは頬をかきながら、ぽつりと付け足す。
「……それにまだ、俺は常識をよく知らないからな。
実を言うと地球で一人放り出されても困る」
「あっ、そうか。
アキトさん、記憶喪失だったんだよね」
厳密にはマユが思っているほど、アキトは多くを忘れたわけではない。
というよりも、自分がなぜ倒れていたのかを覚えていないだけである。
だがこの世界について完全に知っているとは言い難い以上、記憶喪失という立場は便利なものだった。
実際、アキトがプラントに入国できたのもこの「記憶喪失」という状態とそれを裏付ける医師のカルテ、
そしてマユの口添えがあったおかげである。
でなければいくら戦後の混乱があったとはいえ、身元不明のナチュラルであるアキトをプラントにそう簡単に入らすことはできない。
そのためアキトは分らないことは「記憶喪失だから」で通すことにしている。
「これからどうしようか?
まず家を探さなきゃね。
当分はまあプラントが提供してくれる施設で過ごすとしても、長い間は居られないし、お金も稼がなきゃならないし。
あ、アキトさんの戸籍も、後でちゃんと登録しとかなきゃ。
でも良かったね、こんな時でもなければプラントに入るなんて出来なかったよ」
「君はこれから、ザフトに入るのか?」
「……うん。前に言った通り。
力が欲しいから。
もう後悔したくないから。
それに……あいつらが憎いから」
急に声のトーンが下がる。
目に宿る憎しみはかつての自分をアキトに思い出させる。
ただ敵を撃つことを、そして女を奪い返すことだけを考えていた頃を。
「年齢の問題で、さすがにまだザフトに入ることは出来ないけどね。
でもきっと出来ることは一杯ある。
私ね、体力がコーディネーターの中ではあんまり無い方なの。
そりゃ、同年代のナチュラルよりはあるけど、それでも大したものじゃない。
喧嘩の仕方だって知らない。
ザフトは実力主義だから、年齢に関係なく実力があれば早いうちに強い力を得ることができる地位に立てる。
そのためにはMSの操縦、白兵戦、戦術、様々なことを学ばなきゃならない。
軍学校に入れる年齢になるまで、私は独自で出来る限りそれを学ぶつもりよ」
強い意志だとアキトは思う。
初めて見た時は触れたら壊れてしまいそうな少女というのがアキトの感想だったが、今は強靭な意志をその小さな身体から感じる。
そして自分の目的のための最短の道を、稚拙なれどもすでに考えていることには驚きを禁じえない。
だからアキトは、この少女を手助けしたくなる。
かつての自分は、復讐に身を染めたおかげで愛する者を救うことができた。
だが同時に愛する者に二度と会う資格も失った。
それが復讐の代償。
ただ敵を倒すことしか考えられぬ者の末路。
だが、この少女は違うかもしれない。
違う結果を作り上げるかもしれない。
「マユ」
「うん?」
マユは隣にいる黒尽くめの不思議な同行者兼名目上の保護者に、そのくりくりした目を向ける。
バイザーに隠れた素顔は分らないが、意外に若く整った顔立ちをしているように思えた。
同時に名前を呼んでくれたのはこれが初めてだということにも気付く。
「一つだけ約束して欲しい。
復讐をすることを、俺は反対しない。
だがそれを生きがいにしないでくれ。
復讐はあくまで目的の一つでしかない。
それが終わっても、君は生きていかなければならない。
だから、復讐だけに囚われないでくれ。
もしそれを約束してくれるのなら……」
「約束するなら?」
「俺が、戦い方を教えてやる」
「本当に一緒に住むの?」
ぎりぎりまでプラント政府の支援を受けた後、安いアパートを見つけた二人はそこに住むことを決めた。
お金はアキトが持っているはずがなく、当然マユの分である。
両親の保険やら遺産やらのおかげでマユは子供が持つには多すぎる金額を持っている。
マユとしてはもっと良い部屋を借りたかったのだが、アキトに「若い頃から贅沢をしてはいけない」、
「両親が残してくれたお金を大切にしろ」という言葉を聴いて近くで一番安い部屋を借りることにした。
家族が残してくれたものを大切にしたいのはマユも同じだったからだ。
「君はまだ子供だ。
それに一応俺が保護者なのだから、俺と住むのは当たり前だ」
「そうかもしれないけどさー。
仮にも女の子である私と、大の大人であるアキトさんが一緒に暮らしていいの?
ちょっと問題じゃない?」
少し恥ずかしそうに言うマユに、アキトは一瞬ぽかんとし、
「くっくっくっくっ、そうか、君はレディだったな」
「あー! 笑ったな!」
「いや、すまない。そんな気遣いをすることなんて……」
ここ数年、無かったから。
そう言おうと思って、自分が記憶喪失と言っていることを思い出し、口を閉じる。
「お兄ちゃんが言ってたんだから!
男はみーんな狼だって!」
それは兄が妹に言う言葉として適切かどうかは置いておく。
「安心しろ。俺は既婚者だ。
君ぐらいの年頃の娘と住んでたこともある」
「へっ、そうなの!?
っていうか記憶は?」
「自分のことは覚えているらしくてな。
他のことはさっぱりだが」
「そうなんだ……。
でもアキトさんって何歳?
結構若そうに見えるけど」
「23、だったかな」
確かそれぐらいだったはず。
ここ数年誕生日を祝うことなどなかったから、よく覚えてはないけれど。
「若っ! 若いよ!
もっと上だと思ってた。
ん〜、でもそんなバイザーしてるから分らなかったけど、
確かに顔立ちが若々しいもんね」
んん〜、と顔を下から覗き込まれ、アキトは慌てて顔を隠す。
別に見られて困るわけではないが、あまり見られたいとも思わない。
このバイザーは視覚や聴覚の補助だけでなく、ナノマシンの発光を抑える効果もあるが、絶対に抑えれるわけではない。
「あまり見るな」
「は〜い。
でもさ、アキトさん、家族居るんでしょ?
会いたくないの?
奥さん居るって思い出したんだったら、そこからきっと家族を探せるよ?
自分がどこに居たのかだって調べれるよ?」
「いい。今は会いたくないし、……どうせ会えない。」
実際、大してCCを持っていない今の自分では短距離はともかく、世界を跨ぐようなボソンジャンプをすることはできない。
ボソンジャンプがこの世界に来た原因であるなら、元の世界に帰るにもボソンジャンプが必要となる。
会いたくてもアキトは自分の家族である彼女たちに会うことは出来ないのだ。
いや、仮に会うことが出来たとしても、先にも言った通り自分から会いに行くことはきっと出来ない。
理由はいくらでもある。
身体に障害のある自分がいたら、迷惑がかかる。
多数に恨みを買っている自分がいたら、危険になる。
テロリストである自分がいたら、ルリの軍での立場が危うくなる。
A級ジャンパーである自分がいたら、ユリカと共にまた狙われるかもしれない。
どれもちゃんとした理由であり、どうでもいい理由でもある。
結局は、自分に彼女たちに会う勇気がないだけ。
変わった自分を受け入れられない未来を恐れる脆弱な心があるだけ。
元の世界に帰って彼女たちを守りたいという願いはあっても、彼女たちに会いに行くという選択肢はない。
自分は弱い。
「浮気でもしたの?」
「……」
していたら、恐らくアキトは今生きてはいないだろう。
マユは、にま〜と笑みを浮かべ、
「じゃあさ、マユが家族になってあげるよ!」
明るく、そう言ったのだ。
「アキトさんは料理とか出来る?
私はあんまり上手じゃないんだよね。
お母さんから習いたかったんだけど、『花嫁修業だ』って言うとお兄ちゃんが必死で止めろって。
おかしいでしょ?
……で、どうかな?」
例え一緒に住んでいたとしても、心の繋がりがなければ家族とは言えない。
「家族になる」と言うだけで家族になれるわけではない。
そんな言葉は儀式的なものでしかないのかもしれない。
だが、今マユは、家族になるための入り口を開いた。
今はまだ二人は家族ではない。
でも、そうなろうとする想いがあれば、いつかなれるかもしれない。
「……ああ、それもいいかもな」
そっぽを向いて、あくまで何も思ってないかのように言う。
『これで今日からアキトと私とルリちゃんで、三人家族だね!』
少しだけ、昔を思い出した。
「お、とうさん……、おかあ、さん」
簡単な訓練の後は、泥のように眠るのがマユの日課だ。
コーディネーターであるマユの肉体は、この年の少女にして非常に頑健である。
とはいえ、やはり少女でもある。
いきなり戦いを教えるわけにもいかず、今はまだ体力をつけるのがメインの訓練ばかりだ。
だがこの様子なら、木連式柔を教えるのはそう遠くない日だろうとアキトは思っている。
目的のある者は飲み込みが早い。
かつての自分の師である月臣にその進歩の早さを驚かれたように。
「……おにいちゃん」
ベッドで眠るマユが、そう寝言を言うのはいつものことだ。
少なくともアキトがマユと出会ってからその言葉を聞いたことが無い日は無い。
特にお兄ちゃん子だったらしいマユが兄の名を呟くことはもはや恒例である。
「……」
マユは元気に毛布を足で飛ばしていた。
パジャマも着崩れ、へそが見えている。
「子供は子供、か」
かつて家族にそうしたように、そっと、くずれた毛布をかける。
二人の生活は、中々に順調だった。
朝はマユは学校に行き、アキトは家で家事をした後働きに出る。
働く、とは言ってもサラリーマンなどではない。
頭が格段に良いというわけでない以上、使うのは身体。
新興企業であるミルキーウェイズ・コーポレーションの近くを通りがかった時に発見した警備員の仕事は、
木蓮式柔を習っていたアキトにはぴったりのものだった。
筋力では成人コーディネーターに及ばないものの、余程力に差がない限り柔は剛を制すからだ。
ミルキーウェイズ・コーポレーションは実力主義の多いプラント企業の中でも特にその傾向が激しい。
ナチュラルであることやバイザーをつけていることなど二の次、とにかく実力があればその他は問わない。
更に基本的に常時外で見張りをするわけではなく、アキトの仕事は非常時にその脅威と対峙するものである。
身体の都合上、バイザーを外すことが出来ず、人付き合いも苦手であるアキトにとっては非常に都合が好い仕事だった。
そしてあまり表に出ない職業とはいえ、ちゃんと働いて銭を得るという行為は、アキトの心を少なからず満たしていく。
基本的にアキトは真面目な性格なのだ。
夕方、マユは帰ってくると夕飯を作る。
アキトの方が食事を作るのは上手いのだが、働いて疲れたアキトに夕飯を作らすのは忍びない。
アキトが帰ってくると、二人は必ず一緒に食事をする。
『家族は一緒に食事を取るものだから』
そう力説するマユは、例えアキトが仕事で遅くなっても、それまで待ってて一緒に食事をする。
一人で食べることに耐えられないからなのかもしれない。
アキト自身、子供の頃に一人で食事をしていた時の寂しさを知っている。
マユをお腹を空かしたままにしたくはないが、マユがそれを望んでいたし、アキトもそれは同じだった。
食後は少し休憩した後、簡単な訓練をし、疲れたマユは早々に床につく。
今もマユは、寝ながら泣いている。
家族のいない寂しさ、悲しさ、新しい生活への不安、色々な想いがあったのだろう。
「家族になろう」という言葉も簡単に言ったように見えて、本当はとても勇気を出したに違いない。
新しい人間関係の構築は誰でもとても緊張するし、それに加えてこの少女は幼く、
自分は多少友好を持っているとはいえ、所詮他人なのだから。
それでも、家族に会えないというアキトのために、例え擬似的にでも「家族になろう」と言ってくれた。
そこには自分が心の隙間を埋めたいという意味もあるのかもしれないが、多くはアキトのためだ。
アキトはいつか元の世界に戻る。
そうしなければならない。
それはアキトの義務であり、責任でもある。
だがそれまでは。
いつか帰るその日までは。
この少女を守っていこうと、アキトは思うのだった。
プラントから遠く離れた、場所は地球。
全ての生命の始まりの地。
とある国、とある場所で、
少年が一人、海を見ていた。
目的があるわけでもなく、ただ見続ける。
やがて日も落ち始め、冷たい空気が辺りを覆うようになる。
少年の後ろから、少女が呼ぶ声が聞こえた。
この寒さから体調を崩すことを心配したのだろう。
少女は少年に中に入るように促す。
近くにある家に戻るために振り返ろうとした時、少年の目が何かを捉えた。
海辺の方で何かが光った気がする。
それが気になった少年は、光のあった方向へ向かう。
果たしてそれは人間、しかも女性だった。
少年は慌てて女性に駆け寄る。
美しい女性だった。
青みのかかった長い髪が波に揺れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
女性は気を失ってはいるが、呼吸をしている証として豊かな胸が上下しているし、特に外傷があるようにも思えなかった。
少年は少女に呼びかけ、少女は頷くと家の中へと入りそして数人の大人と一緒に出てきた。
大人たちは女性の様子を確認すると、いくつか少年から事情を聞く。
顔に傷を持った男性が女性を背負って、家の中へと入っていった。
少年はこっそり首を傾げる。
確かに誰もいなかった場所に、女性が、突然そこに現われたように見えたからだ。
女性はテレポートでもしてきたと言うのだろうか。
だが少年はそれを信じれるほどには子供ではなく、また受け入れるほど大人ではなかった。
とりあえず自分の見間違いとして片付けて、少年もまた自身の家の中へと入っていく。
あの時見えた光も、きっと気のせいだった。
あとがきー
マユは普段は明るい子。
今回は短めでなんかぶつ切りが合わさった感じになっちゃいました。
ああ、文章力と構成力が欲しい。
次回からは本編。