彼と彼女は、二人で一人。

 彼は牙無き獣。

 彼女は意志無き人形。

 彼と彼女は、二人で一人。

 だから孤独。

 だから最弱。





                二人で一人





「くそっ!」

 ガンッとアキトはロッカールームの壁を叩く。
 その音が近くに居たラピスを脅かすが、アキトは気付いていない。
 アキトは苛立っていた。

 ラピスを『火星の後継者』の研究所から救い出し、アキトとリンクをしてから初めての戦闘。
 特に強力な戦力が終結しているわけでもない場所を襲撃する、ただの肩慣らしのための戦闘だった。
 だが結果は散々だった。
 北辰衆でもない相手に苦戦をし、エステは小破しユーチャリスも少なくない損害を負った。
 これではユリカを救うどころか、北辰たちを倒すことすらできない。

 アキトの不調の原因はラピスとのリンクにあった。
 ラピスとのリンクにより、アキトは失った五感を補っていた。
 実際、そのリンク自体に問題はなく、五感を失う前に近い反応を示していた。
 訓練の時は。

 だが実践になると急にそれは変わった。
 それまでまるで人形のようだったラピスから恐怖や混乱といった様々な感情が伝わり、アキトの集中力を掻き乱した。
 いつもなら軽々と避けられる攻撃を喰らい、その困惑がラピスに伝わり更に彼女を混乱させる。
 結果、ほとんど敗戦に近い形で逃げ帰る結果になってしまった。

「ちっ!」

 アキトは足元にあったゴミ箱を蹴り飛ばすと、ラピスに目もくれずにロッカールームを後にした。

「……」

 ラピスは一人、そこで立ち尽くしていた。




「原因はあなたの感情ね、きっと」

「俺が?」

 リンクの調子が悪いと訴えたイネスからは、そんな言葉が返ってくる。

「あなたの心はあなただけのものだから、所詮推測でしかないけど、きっと『火星の後継者』を前にしたあなたは、とても興奮してたんじゃない? 主に憎しみや怒りで」

「……当たり前だ」

 アキトにしてみればそれは当然。
 戦争が終わり、恋人ができ、料理人なる夢も叶え、可愛い妹もできて、そして結婚をして、幸せの絶頂だった。
 なのにあの新婚旅行に出かけたあの日、全てを奪われた。
 妻を奪われ、五感を奪われ、料理人としての未来も奪われた。
 幸せの頂点から一気に底辺まで落とされた分、アキトの憎悪は果てしなく深い。

「その憎悪がリンクしているあの子に伝わって、混乱したんでしょうね」

「……」

「知ってると思うけど、あの子は研究材料として生きてきた。言ってしまえば感情を向けられず育ってきた、だからあの子の感情は本当に未発達なの」

 感情を育てるものは感情である。
 感情というものに無縁な生活をしてきたラピスには、感情というものがほとんどない。
 唯一感情らしいと言えるものは、ラピスを救出したアキトへの依存心ぐらいだろう。
 それすらひな鳥の親への刷り込み程度のものでしかない。

「感情を持たない、いいえ、感情というものがどんなものか分からないあの子にとって、あなたの深い、そこの知れない憎悪はショックが強すぎたのよ。訓練の時はあなたも感情を抑えていたんでしょうけど……」

 本物の敵を前にして、感情が零れてしまったということか。
 ラピスの境遇を思うと、少し自分が先程ロッカールームでしたことを後悔する。
 直接ラピスに八つ当たりしたわけではないが、そう取られてもおかしくない行動だった。

 ラピスに過度の期待をしていたことも悪かった。
 これでユリカを取り戻せる日も遠くないと思っていた矢先にこの敗戦。
 期待していた分、どうしてもラピスへの失望は大きくなる。

 だがそれこそ自分の身勝手な話だったと、冷静になった今はそう思える。

「俺からの思考のみを遮断することは出来ないのか?」

 イネスを少し考え込んで、軽く溜め息をつく。

「出来ないこともないけど、……本当にいいの? それをやったらあなたの強みが一つ無くなるけど?」

 何の通信機器も使わずノータイムで、しかも確実に連絡が取れるのもリンクの作用の一つ。
 ラピスの駆るユーチャリスとの連携には欠かせないものだ。
 アキト自身もそれを分かってはいるが、もし今後もこの調子では戦闘にすらならない。
 とはいえこれからも自分の憎悪が無くなるとも思えない。

「だが……」

「あっ、もうこんな時間。今からラピスの診断があるの。どちらにしても判断はそれが終わってからにしましょう」

「……分かった」





 イネスが色々な機械でラピスの身体を調べる。
 その間特にすることのないラピスは、横たわりながら考えていた。

(アキト、怒ってた)

 感情が未発達とはいえ、それぐらいのことは分かる。
 今も怒っているのだろうか?
 だがそれを推測するには、ラピスは人間関係について経験が足りなさ過ぎた。
 もしもまだ怒っていたら、どうなるのだろう?
 捨てられるのだろうか?
 自分の前からアキトが居なくなることを想像すると、身体がぶるりと震えた。

 恐怖。
 それは救出された時から唯一ラピスが持っていた感情だ。
 幼い子供にとって、知りもしない大人が自分を連れまわし、身体を好き勝手にいじることは恐怖以外の何物でもない。

 そんな場所から自分を救い出し、居場所を与えてくれたアキトはラピスにとって絶対的な存在である。
 ラピスは来た当初はともかく今はアカツキやエリナ、イネスともそれなりに仲は良いが、アキトは別格である。
 仮にアキトがネルガルを裏切ると言えば、ラピスは何の迷いもなく従うだろう。

 きっと、一目惚れなのだ。
 もちろんそれは世間一般で言うところの恋愛感情ではない。
 そこまでまだ感情は発達していないし、何よりラピスは年齢そのものが幼かった。
 つまりラピスは自分を救ってくれたアキトという存在そのものに、一目惚れしたのだ。

 そのアキトが自分を捨てる。
 そう思い立った時、ラピスは酷く恐怖した。

「……ちょっとラピス? どうしたの?」

 急にラピスの様子が変わり、ちょうど診断を終えたイネスがそれに気付いた。

「イネス……、私……失敗した」

 幼い声は、震えていた。

「え?」

「アキト、怒ってる。私、捨てられる」

 ラピスが役に立たない。
 アキトが怒る。
 アキトに嫌われる。
 アキトに捨てられる。

 その思考過程はラピスにとっては至極当然なことだ。
 なぜなら研究所に居た時、ラピスと同じ能力を持つ子供が何人か居たが、能力が低い者はどんどん捨てられていった。
 ラピスは知らないことだが、その子たちは過剰の薬品投与などの研究に回され、皆死亡している。

「私、捨てられる。捨てられる。捨てられる。捨てられる。捨てられる……」

「ラピス!」

 壊れたおもちゃのように「捨てられる」と繰り返すラピスに、厳しい顔でイネスが一喝する。
 ラピスの目に光が戻ったことを確認すると、優しい目で語りかけた。

「アキト君がそんなことするわけないでしょ? 大丈夫よ。それに初めてのことで失敗するのはしょうがないわよ」

 その上ラピスはまだ子供だ。
 ルリがナデシコに搭乗していた年齢よりも更に幼い。
 そんな子を戦場に出さなければならない自分たちに少し嫌悪を覚えながらも出来るだけ優しい言葉で慰めようと思った。

「違う」

 だが、そんなイネスの言葉をラピス自身が否定する。

「アキト一緒に居る時、嬉しかった。アキトは訓練の間も私を気遣ってくれた。アキトはいつだって側にいてくれた」

「そうね」

 ラピスの境遇を知ったアキトが、ラピスになにかと世話をしていたのはイネスも知っていた。
 不器用で無骨ながらも、その姿勢にはかつてナデシコでルリ相手に四苦八苦していた頃を思い出させ、イネスも微笑ましく思っていたものだ。

「アキトと宇宙に出た。やっとアキトの役に立てると思った。でも、敵を前にした時のアキトは……」

 ラピスは口にするかどうか少し迷いながら、やがて続きを言った。

「とても怖かった」

 その言葉はイネス自身も予想していたこと。

「アキトがアキトじゃないみたいだった。アキトの頭からは私のことはほとんど消えてた。敵への怖い、暗い、深い想いだけがあった」

「……」

「だから、私はアキトを拒絶した。私を救ってくれたアキトを拒絶した。私に優しくしてくれたアキトを拒絶した」

 絶対的な存在に対する拒絶。
 それは幼いラピスに自己矛盾を起こさせるには十分。
 そしてその矛盾が混乱を起こし、リンクに異常をきたしたのだった。

「だから、アキトもきっと私を拒絶する。私はアキトに捨てられる。私は……」





「ということで、アキト君。あなたなんとかしなさい」

「まさか、そこまで思いつめてたなんて……」

「女の子の心はデリケートなのよ。女の子を泣かせるのは昔から変わらないわね、お兄ちゃん?」

「……」

「さ、早く行って来なさい」





 医務室の前に立ち、少し躊躇う。
 軽く息をつくと、意を決して中に入った。

「ラピス、入るぞ」

「!」

 ベッドに座っていたラピスはアキトに気付くやいなや、掛け布団を被って丸まる。
 ラピスなりに隠れているつもりなのだろう。
 丸まった布団に苦笑しながら、アキトは側にあったイスに座った。

「そうか、ラピスはいないのか。……ならこれは俺の独り言だ」

 あの時、襲撃した研究所でラピスを見つけたのは幸運だったとアキトは思う。
 ラピスにとっても自分にとっても。
 かつて共に暮らしていた妹に似た風貌、境遇はアキトに少しだけ昔の自分を思い出させた。
 そしてそれはアキトに奴らへの復讐と妻の奪還以外の生きる理由を教えてくれた。

「俺は、ラピスがいてくれて良かったよ」

 ラピスが居たから五感を補える。
 確かにそれもある。
 だがアキトの言いたいことはそんなことではなかった。

 アキトの言葉に丸まった布団はぴくりと震え、隙間からは宝石のような目が覗いていた。

「ラピスが居てくれたから、俺は戦える。誰かが側に居てくれるから、俺は戦える」

 基本的に自分は寂しがりやなんだと、苦笑する。
 
 自分を研究材料にし、妻を攫った奴らへの憎しみは日に日に大きくなっていく。
 時々憎悪で心が押しつぶされそうになる。
 だがそれを救ってくれたのがラピスだ。
 ラピスの卸したての絹のように真っ白な心は、それだけでアキトを癒してくれた。

 先の戦闘でも、途中で自分の憎悪に触れて混乱するラピスに気付き、すぐさま撤退した。
 ラピスに出会う前の自分だったら、きっとそんなことなど気にせず戦い続け、そして死んでいただろう。
 あの時は自分のあまりの不甲斐無さに、ついイラついてしまったが、今はそう判断することもできる。

「俺はきっと一人では戦えない。一人で戦うには俺の心は弱すぎるから」

 敵を倒すことを、そして妻を取り戻すことしか考えれなかったあの頃。
 だが今は守りたいと思う小さな背中がある。
 その想いはアキトを弱かったあの頃に、少しだけ戻したのかもしれない。
 だけど、きっとこれからは、強くなれるとも思える。

「だからラピス、お前は俺には必要だ。俺の側にいてくれ」

 それは、魔法の言葉だった。
 アキトが自分を必要としてくれている。
 自分もアキトを必要としている。
 錆付いたはずの心が、少しだけ、本当に少しだけ暖かくなっていく。
 アキトの想いが、ラピスの想いへ届く。
 リンクを通していない、言葉によるやり取り。
 確かにリンクを使えばより確実にラピスに想いを届けることが出来るだろう。
 だがアキトは自分の口で、自分の言葉でこの想いをラピスに届けたかった。

 まるでプロポーズのような言葉に、ラピスはもぞもぞして布団からぴょこんと顔だけ出す。

「アキトは、私の何?」

「ラピスは俺の何だ?」

「私はアキトの目」

「俺はラピスの剣」

「私はアキトの耳」

「俺はラピスの刃」

「私はアキトの手」

「俺はラピスの盾」

「私はアキトの足」

「俺はラピスの鎧」

「アキトの……」

「ラピスの……」





 彼と彼女は二人で一人。

 彼は彼女ために、牙の代わりに剣を持った獣。

 彼女は彼のために、想いを吹き込まれた人形。

 一人一人では不完全な彼らは、二人で一人。

 無くした羽を補い合う蝶のように。

 彼と彼女は二人で一人。

 だから孤独。

 だけど相愛。

 だから最弱。

 だけど最強。





 あとがきー
 またも短編。ルリものの次はラピものです。
 二人はあくまで親愛関係です。恋愛関係じゃないですよ(この時点では)。
 ちなみにだから〜、だけど〜というのは何かで見たフレーズから来ました。
 こんなんでも楽しんで頂けたら幸いです。
 ではでは。