並行世界、それは数多の可能性の中の一つの世界。

その世界に科学技術以外の技術が存在していても、可笑しくは無いだろう。

しかし異なった世界を確かめる術は、誰にも持ち合わせては居ない。

想像と言う可能性の世界。それが並行世界の定義だ。

その並行世界に生きる目的を失った、元復讐者が舞い降りた。

彼はこの世界に何を望むのだろう。破壊か救済かそれとも平穏なのか・・・誰にも判らない。



天河アキト、ヒサゴプランの五つのコロニー襲撃したA級犯罪者。1万人近くを殺した大罪人

民衆は彼を狂気に駆り垂れられた悪と言い忌み嫌う。しかし民衆は何故彼が狂気に取り付かれたのか

何故コロニーを襲撃したのか、その真実を知らないし、その真実を求めようとはしなかった。

民衆にとって彼は悪であり。その事実だけが重要であって、悪になる経緯などは求めなかった。

彼は火星の後継者の騒乱から、民衆の目を背ける為の生贄であり、

民衆の怒りや不満を、不甲斐ない軍や政府から逸らす為の囮であった。

何時の世でも、時の権力者に寄って言いように踊らされる民衆

軍と政府によって真実を隠され、改修された情報を鵜呑みにするマスコミ。

蜥蜴戦争の時でさえ、ビックバリアによって守られた地球に住む者に取っては、

戦争は対岸の火事に過ぎなかった。その間に火星の住民が受けていた悲劇など知らず。

民衆にとって自分達の生活が保障されれば、火星がどうなろうが、

軍人がどれだけ死のうが、所詮は他人事として見ていた。

現実に目を向けようとはしない者達、そんな民衆だからこそ情報操作は容易かった。

火星の後継者に賛同もしくは協力した軍や政府の高官。

火星の後継者に対して支援や協調を行った、非主流国や反ネルガル企業に取って、

火星の後継者が行った、A級ジャンパーに対する数々な非人道的な人体実験が公になれば。一部の者とは言え

それに協力していた政府や軍、そして企業の一大スキャンダルへと繋がり、社会の根幹を揺らぐ事へとなる。

だからこそ全て無かった事にする。つまり臭い物に蓋をした。

火星の後継者が行った人体実験の数々は、政府と軍によって揉消され。

火星の後継者に参加した軍人や協力者の処罰の方も、軽い刑罰程度の物で、軍人に至っては

勇退や除隊と言う、表向き責任を負わせない曖昧な終わり方で済ませた。

勿論、首謀者である草壁達上層部や人体実験を行った山崎達科学者は別だ。

彼等は裁判を行う事無く、軍刑務所に護送された後、即日処刑された。死人に口無しである。

この瞬間、天河アキトは火星の後継者に誘拐され人体実験を受けた被害者では無く、

狂気に取り付かれて、コロニーを襲撃した犯罪者へと社会的に変わった。

都合がいい事に人体実験の生存者は二名しか居ない。その内一人は予備役の軍人であり

先の戦争の英雄「御統ユリカ」彼女は人体実験の影響で記憶障害を起こしていて、

蜥蜴戦争終結後までの記憶しか無く。しかも天河アキトに関する記憶が完全に抜け落ちていた。

彼と佐世保で再会した事も、ナデシコで共に蜥蜴戦争を戦い抜いた事も。

戦後一緒に生活した事も、屋台を引いた事も、結婚した事も、誘拐された事も、全て忘れてしまった。

火星の後継者が、御統ユリカを遺跡の翻訳機として使用する際、

天河アキトを夢で見せて、イメージ伝達率を上げる手法を用いた事が、記憶障害の直接的な原因らしい。

彼女の父親「御統総一郎」は、統合軍によって吸収消滅される予定の連合宇宙軍の総司令。

娘の安全を条件に、政府と統合軍の両方から圧力を掛ければ、彼は口を紡ぐしか無くなった。



もう一人の生存者は、五感を破壊されて余命幾ばくも無い、御統ユリカの夫。天河アキト

妻を救うため、自分の五感と寿命を奪った火星の後継者に復讐にする為、

当時火星の後継者の隠れ蓑になっていた。ヒサゴプランの五つのコロニーを襲撃して

火星の後継者に賛同していた軍人、無関係な軍人、そして何の罪も無い民間人を一万人近く殺した大罪人

ならば一犯罪者として処理すれば、真実を知る者は居なくなり、火星の後継者の所業は完全に闇に葬られる。

そう考えた統合軍と政府は、天河アキトのバックに居るネルガルに圧力を掛ける。

火星の後継者のクーデターが失敗に終わり。ボソンジャンプの演算ユニットを確保した今、

ネルガルとしても、天河アキトを匿う必要性は無くなった。目的を達した今、彼は用済みである。

機動兵器や戦艦の納入の件でネルガルが脅されれば、天河アキトの身柄は軍に引き渡される。

そんな統合軍や政府、ネルガルの思惑に最初から気付いていた天河アキトは、

御統ユリカを救出した後、直ぐに行動を起こした。

ボソンジャンプに人生を翻弄された悲しい青年。彼は今終わりの時を迎えようとしていた。

「・・・・・・・・・」

自分の後始末は自分で付ける。それが悩んだ末に選んだ自分の罪へのケジメ。

例えここで自分の未来が閉ざされる事になったとしても、後悔や迷いは無い。

俺が生きている限り、俺が殺していった者達の怨嗟が新たな復讐者を生み出すだけ。

そしてその復讐者の矛先は、必然と俺の家族へと向けられるだろ。

コロニー襲撃によって、無関係な者達の命も多く奪ってしまった。

だから俺は彼等の憎しみの連鎖を俺で留める為に、命と言う対価を支払う事にした。

俺の行動によって生まれた、彼等の怒りと憎しみは全て俺が引き受けよう。

全ての元凶たる愚かな復讐者が死んだと知れば、遺族の気持ちも治まるだろ。

俺の命を最後に、この騒乱によって生まれた憎しみの連鎖が絶たれることを切に望む



「・・・まったく、最後まで俺は疫病神だな・・・」

火星の遥か上空、業火に包まれ徐々に爆砕して堕ちていくブラックサレナ。

何故ならディストーション・フィールドを展開せずに、火星の大気圏に突入しているからだ。

ブラックサレナは大気圏突破に伴う摩擦熱により、機体を真っ赤に燃え盛っていた。

「ラピス、ルリちゃん、ユリカ、済まない・・・」

ラピス・ラズリ。自分の復讐に巻き込んでしまった少女。

俺に取っては実の娘の様であり、彼女にはもっと違った人生を歩んで欲しかった。

彼女と触れ合っている時だけ。復讐の事を忘れられた。しかしそれは同時に

まだ自分にもこんな心が残っていたのかと、否応無く自覚させられた。

自分の心を癒してくれるラピスを、復讐の片棒を担がせてしまった。その事で何度となく自己嫌悪になった

どうして彼女を復讐に巻き込んでしまったのだろう。

どうしてもっと早くに彼女を解放してやれなかったのだろう。

ユーチャリス等には乗らず。彼女はルリちゃんと同じ。光り溢れる世界で生活するべきだった。

それが仮初とは言え、父親の役割を担った自分の責任だったはず。

それとも、この行為はそのものが、ルリちゃんに父親らしい事をしてやれなかった代償行為だったのか・・・

だから、俺は彼女を手に届く範囲に置いておきたかったか・・・

いや、結局はただの独善であり。自己満足に過ぎない。俺の我侭に彼女を付き合わせたんだ。

星野ルリ。ナデシコを降りた後、家族となって一緒に過ごした少女。

俺は彼女の養父でありながら、何一つ父親らしい事を、兄貴らしい事をしてやれなかった。

俺がするべき事は復讐ではなく。彼女に会いに行く事だったのではないか?

三年前の俺の死が切っ掛けで、彼女は心を閉ざしてしまった。

その後、ナデシコの皆のお掛けで。彼女の閉ざされた心は開かれたが。完全に開かれた訳ではなかった。

彼女の心には、まだ俺の死が障害となり。彼女を苦しめている。

彼女の苦しみを取り除くためにも、彼女に会いに行く事が。

養父として兄貴としてやるべき事だったのではないか。そんな事を最近良く考えるようになった。

そして記憶を失い、俺の事を忘れてしまった妻。御統ユリカ

例え記憶を失っても、俺が彼女を愛した事を忘れない。彼女が俺を愛した事を忘れない。

だから。ユリカ、元夫として、君には幸せな人生をこれから歩んで欲しい。

君の未来はこれから始まるんだ。・・・幸せに生きてくれ。それが俺の心からの望みだ。

天河アキトは燃え盛る機体の中で、彼女達の事を想い懺悔を述べていた。

『マスターは何も悪くありません。マスターは被害者です。責任を取らない軍人や政治家

利益を追求するあまり、人道を踏み外して命を弄ぶ企業。

何もせず、見ようとはしない民衆こそ責められるべきです』

失意と怒り含んだ、悲しいサレナの声が機内に響く

ディスプレイには長い黒髪に黒い瞳、白い肌と言う。20歳前後の典型的な大和撫子が映っていた。

この女性は人ではない。ブラックサレナの中枢AIその名をサレナと言う。この姿はCGによる擬似映像。

「サレナ、俺に付き合せて済まない・・・」

『私はマスターを補佐する為に生まれました。それはどんな時でも、これからも変わり在りません。

マスターを否定した世界に、微塵の未練も感じておりませんので、ご安心ください』

アキト至上主義、それがサレナの考え方。彼女に言わせれば自分の存在はアキトの為の道具。

それ以上でもそれ以外でもない。しかしその内には、主従の一線を越える想いを密に抱いていた。

もっともその秘めた想いは、アキトには気付かれてはいない。このまま墓まで持っていくつもりだ。



ラピスを俺の復讐から解放する為、軍からラピスの身を守る為に、ラピスとのリンクを切り、

その代わりブラックサレナの中枢AIサレナに、リンクを肩代わりしてもらった。

ラピスは最後まで俺とのリンクを切る事を拒んでいたが、俺には自分の死期が近いことが分かっていた。

だからこそラピスとのリンクを強引に切った後、ラピスの記憶操作を行い。俺の事を忘れさせた。

ラピスの事はイネスとエリナに託した。彼女達ならラピスを任せる事が出来る。

もう、あまり時間は無い、軍やネルガル社長派の追っ手が掛かる前に、事を成さなければならない。

ラピスとのリンクを強引に切った結果、アキトのナノマシンの暴走はより悪化していった。

もはやサレナのリンクシステムでは、ナノマシンの活動をまともに抑える事さえ出来なくなり。

五感の補助さえ、ほとんど機能しなくなった。自分の死期を悟ったアキトは、

崩壊を始めた自分の体に鞭打って、無理にブラックサレナで出撃した。

そう、今回の出撃の目的は火星の地で死ぬ事、復讐する立場から復讐される立場へ俺は変わった

ならば新たな復讐者を生み出さない為。憎しみの連鎖を俺で留める為、自分のした罪に対する責任を取る為。

そして、せめて死ぬのなら、・・・故郷の大地で死にたいと言う。我侭を満たす為に火星へ来た。

・・・全てを終わらせるために。



『マスターは少々無理をし過ぎです。私は・・・マスターの・・・です・・・』

リンクシステムを通してサレナが話し掛けてくるが。いまいち話の内容を聞き取る事が出来なかった。

やはりサレナは機械である以上、生身であり、マシンチャイルドのラピス程の鮮明なリンクは得られなかった。

それでもラピスにも負けないぐらい、サレナの気持ちは伝わってくる。

「サレナ、お前にばかり負担を掛けてしまって。何時もすまないと思っている」

出来の悪い主人を必死にサポートしてくれる心優しい女性、それがサレナだ。

俺に取ってラピスにも負けない最高のパートナー。いや、ラピスと別れた今の俺に取って

サレナは唯一無二の俺のパートナーだ。彼女の変わりは存在しない。

『負担を掛けた無くない、そう思っているのなら少しは自嘲してくださいね。マスター』

サレナが俺に説教して来た。もう直ぐ今生の別れだというのに。

「ふふふ、そうだな。次からは頑張るよ」

『次からは私の助言にも従って貰いますよ。全てはマスターの御身を考えればこそです』

サレナはそう言うが、俺に次の機会が訪れる事は無いのは、自分が一番理解している。

そう、この先に待つのは死なのだから。死体も残らず完全に燃え尽きるだろ。

だがそれでいい。これ以上自分の身体を誰かに弄られるのは我慢出来ない。それが躯だとしてもだ。

俺の最後は、衛星を通じて軍と主要TV局に流れる事になっている。

軍と政府にとってはちょうどいいスケープゴート。奴等の思惑に乗るのは癪だが

俺にはもう残された時間が無い、ならば道化として最後まで付き合ってやる。

コロニー連続襲撃犯天河アキトは、火星の大地で消え去る。

これでコロニー襲撃で身内や恋人を失い。怒りや悲しみ、憎しみに捕われている

遺族達にも、ようやく心の安息が訪れる事だろ。・・・そう、悪は此処に滅び去る運命。

俺は自分の都合しか考えなかった。復讐と言う目的の為、手段を捨てた悪。

悪は最後に他者によって滅ぼされるか、または自滅して消え去るのが定め。

「終わりの時か、長いようで短かった・・・」

両親の死、ユートピアコロニーの非難シェルター、ガイの死、木星蜥蜴の正体、白鳥九十九の死、

人体実験、復讐に明け暮れた日々、それらが走馬灯の様に頭の中を駆け抜ける。

比較的不幸だった人生だが、それでも短いなりにも幸せな時はあった。

ユリカとの再会、ナデシコの日々、ルリちゃんと過ごした日々、ユリカとの結婚式、ラピスとの生活

楽しかった日々を思い出す。そして自分が襲ったコロニーにも、

自分と同じく幸せな思いを抱えて生活していた人達が居筈だ。それを自分は奪い取ってしまった。

「ふう・・・皆。ゴメンネ。俺は馬鹿だよ。本当に馬鹿だ・・」

バイザーに隠された瞳から、涙が溢れるように流れ始める。彼の心を隠す物は今は何も無い。

『怖かろう。 悔しかろう。 たとえ鎧を纏おうと、心の弱さは守れないのだっ』

弱い心を曝け出すことで、彼は最後に自分本来の心を取り戻す事が出来た。

「・・・サレナ、俺って馬鹿だ。今になって何が大切な事なのか・・・思い出した」

ありふれた平凡な日々が、何よりの幸せなんだ。・・・失ってこそ、初めて気が付く事もある。

「今からでも、やり直せるだろうか・・・それとも全てが遅過ぎたのだろうか・・・」

アキトは神に縋るかの様な声でサレナに訊ねる。

『遅過ぎる事なんてありません。誰しも大なり小なり間違いを犯して人は進んでいく物なんです。

道に迷ったのなら戻ればいい。間違いだと気が付いたのならそれを正せばいい。

心根一つで人は変わっていきます。マスターはまだ変わる事が、やり直すことが出来ます。』

「・・・そうか、そうだよな。・・・ありがとう、サレナ」

サレナの言葉を聞いて、ほんの少しだけ自分が救われた様な気がした。

ゴォォォォォォ・・・

ブラックサレナの崩壊が始まる。摩擦熱が機体の耐久限度を越えて、

機体内部まで、その業火を包み込もうとしていた。

機体各所のアラームがその異常を教える為に、わんわんとアラームを鳴らし続けるが、

既にアキトの耳には届いていなかった。

『マスター。再び巡り会いましょう。私は貴方の永遠の僕です』

「・・・ぁぁ。・・・サレナ。』

アキトは意識朦朧になりながら、サレナの最後の言葉を聞いた。

そしてまだ自分を必要としてくれる。彼女に深い感謝の念を抱いた。

「・・・さようなら。サレナ」

アキトの意識はそこで途絶える。そして次の瞬間。ブラックサレナは摩擦熱により爆発した。

粉々に砕け散ったブラックサレナの破片は、流星の様に火星の大地へと流れていった。

その場に小さな虹色の光を残して・・・



・・・ユリカ・・・幸せに生きてくれ・・・

「・・・・えっ?」

御統ユリカは軍病院のベットで、何処か聞き覚えのある声が聞こえた様な気がした。

彼女は星野ルリ達、ナデシコBに救助された後、精密検査の為、軍の病院へと移送された。

そこの医師による診察の結果。一ヶ月程の入院を宣告された。

これは長期による遺跡との同化により。彼女の体力が落ちてしまい。リハビリの必要性が生まれたからだ。

しかし、彼女には病人としての自覚は自覚はあまりなかった。

昔と変わりない、天真爛漫な彼女を知る者達は、彼女の無事を心から祝った。

しかし、彼女の次の一言がその思いを吹き飛ばした。

「あの〜。アキトって誰ですか?」

御統ユリカの記憶の中には、天河アキトは存在していなかった。彼の存在だけが記憶から欠落していた。

治療法は無し。もう二度と天河アキトに関する記憶は戻る事は無いらしい。

それからは、なるべく彼女の前で天河アキトの話題を避けるようになっていった。

彼女のこれからの人生の為に・・・

「うん〜・・・」

先程聞こえて来た声は、確かに何処かで聞き覚えがあった。

しかし、ユリカは頭に靄が掛かる様に、声の主を思い出す事が出来ないでいた。

「うん?どうしたユリカ」

彼女の父親、御統総一郎が娘の様子が少し変なので訊ねてみると

「・・・・・・あっ」

「ユリカ!?・・どうした?何処か痛いところがあるのか!!」

彼女の瞳から一滴の涙が流れていた。

「どうしてだろう。なんだかとっても悲しい。お父様・・・私、私、うっうわぁぁぁぁぁんーーー」

泣きじゃくる娘を、ただ御統総一郎は抱きしめてやるしか出来なかった。

彼女の悲しみが何なのか分からない、しかし、彼女が泣き止むまで抱きしめてやる事は出来る

それは父親として、男として、彼女の苦しみを少しでも取り除いてやりたかった・・・。

「・・・ユリカ」

どれだけ泣いたのだろう。彼女は泣き疲れたのか、今はベッドで安らかに眠っている。

「これほど、自分が情けないと感じた事は無い。娘一人も守れないとは」

連合宇宙軍の総司令でありながら、火星の後継者の動向に付いて何一つ掴む事が出来なかった。

その間にも、誘拐された娘は彼等に傷付けられていたと言うのに・・・。

そして夫である天河アキトは娘を救う為、その身を犠牲にして戦っていたと言うのに

自分は何一つ知らずに日々を過ごして来た。彼等の騒乱の準備に気付く事無く。

「ゆっくりお休み。・・・ユリカ」

娘の事を不安に思いつつも、御統総一郎は仕事に戻る為、病室を後にした。

「・・・・・・」

彼女は子供の頃の夢を見ていた。火星の高原を知らない少年と一緒に遊んでいる夢。

少年と遊ぶ事は楽しいはずなのに、何故かとても悲しい気持ちでいっぱいになってしまう夢。

どうしても少年の名前が思い出せなかった。とても大切な事だったはずなのに・・・

「・・・アキト・・・助けてくれて、ありがとう」

誰も居ない病室の中、彼女は寝言で彼の名を呼び、感謝を述べた。



アキトが火星の大気圏に突入して消息を絶ってから一週間が経った。

地球の佐世保、ネルガル本社会長室。

「やっぱり。天河君は・・・」

何処か遠くの空を見上げるように、窓の外の景色を眺めるネルガル会長アカツキ・ナガレ

「・・・会長」

覇気の無い声を上げる、ネルガル月支部部長のエリナ・キンジョウ・ウォン

あれから一週間。天河アキトからの音信は無い。彼はやはり死んだのだろうか。

既に軍や政府によって、天河アキトの自殺線で濃厚と結論を出して、

連続コロニー襲撃者は死亡と公式発表を行なった。アキトの死亡により世間は一時騒然としたが

今は落ち着きを取り戻して。何時もと変わりない日常を取り戻していた。

「ドクターからの報告では、ブラックサレナが火星大気圏で爆発した直後に、

微弱なボソン粒子反応が内部に有ったらしいわ。でも爆破の余波による誤報の可能性もあるし

仮にジャンプしたとしても。ランダムジャンプになるだろうって・・・」

報告書を読むエリナの顔色は優れなかった。天河アキトの生存確率は限り無く低い。

ボソンジャンプの権威であるイネス・フレサンジュ博士が、その報告書をまとめたので確証は高い。

「ランダムジャンプして何処かに飛ばされたのなら、無事で居てくれたら良いね」

「本当に馬鹿、残された者の気持ちも考えないで、一人で行ってしまうなんて」

エリナの目元には涙の後が残っていた。もしかしたらまだ何処かで生きているかもしれない

そんな僅かな望みも、この報告書を読んだ後、打ち砕かれる事になった。

「悪ぶっていても、心根はあの頃と何も変わらないからね。天河君は」

色々馬鹿やって楽しかったナデシコ時代をアカツキは思い出す。あの頃は本当に楽しかった。

会長としてでは無く、一パイロットとして、一人の人間としてナデシコの仲間達と共に過ごした日々。

「悪ぶっているのは会長もでしょ。本当はアキト君を逃がす算段をしていた癖に」

「まぁね。でもそれは天河君も知っていたようなんだ。

社長派が次の定例会議で、天河君の問題を理由に僕を罷免しようとしていた事もね」

「それ、本当なの!?」

エリナのまったく知らない情報だった。まさか社長派がそんな事を企んでいるなんて。

ネルガルにとって天河アキトは用済みであり、ネルガルが彼を支援していた事が公になれば。

蜥蜴戦争終結の時と同じ、政府、民間、軍から袋叩きに遭う。折角盛り返してきた業績も水泡に帰す

蜥蜴戦争の二の鉄は踏まない為にも、天河アキトとの関係を断ち切らなければならなかった。

そして天河アキトに固執する現会長アカツキを追い落とす、格好の材料として

社長派は画策していたのだが、天河アキトに先手を取られてしまい。アカツキの立場は守られた。

「そう言う優しさだけは、昔と何も変わらないわね。」

ナデシコの頃は、彼を利用するつもりで近づいたのに、気付いた時には彼の心に惹かれていた。

その事にエリナは後悔はしていない。彼の優しい心に触れて自分も変わった。勿論いい方向にだ。

「でもそう言う所が、天河君らしいと言えば、天河君らしいけどね。」

「最後まで自分勝手な人」

(いいえ、私は会長のお使いだから・・・)

結局あれがアキト君との、最後の別れの挨拶になってしまったわね。

「・・・そういえばプロス君は?」

ここ最近見当たらない。敏腕会計士にして裏の顔はネルガルSSの長。

「彼はアキト君の事件に関する事後処理に当たっています。元ナデシコ組の様子も見ているようです。

彼らも一様に今回の件でショックを受けていますから。」

大なり小なり。天河アキトにナデシコ乗務員は影響を受けていた。

共に蜥蜴戦争を戦い抜いた戦友であり、ナデシコの馬鹿騒ぎの中心となった男。

「星野君の様子はどうだい」

「ドクターが付きっ切りで看病しているわ。かなりショックが大きいわね」

三年前の新婚旅行の時は同じ、いや、それ以上に星野ルリは気落ちしていた。

アキトを救う事が出来なかった罪悪感と、自分の無力さに彼女は自己嫌悪になっていた。

「天河君を復讐の道に走らせた原因は、僕達にもあるからね」

ボソンジャンプを自在に行なうA級ジャンパーの力。

この力が無ければ、火星の後継者のクーデターは成功していただろ。

異質な力に魅せられて、ネルガルの再起を図る為に、彼の復讐を受け入れてしまった。

あの時、友人として彼の復讐を止めていたら。・・・

「ネルガル会長って何だろうね。親友一人も助けられないなんて」

気持ちの許せる親友が出来るとは思ってもいなかった。

腹の探り合い、相手を追い落とそうとする企業内闘争。内も外も敵だらけ。

信じられるのは自分自身だけだと思っていた。だけどナデシコに乗り

馬鹿騒ぎ出来る友が出来て。心の許せるね相手が出来た。

火星の後継者からアキトが救い出されたから。アキトまるで別人の様に人の内面を見るようになった

昔は人の良いただの純朴の青年が。人の心を読む事に長ける裏の住人へと変わっていった。

常に自分の意図を見抜き、お互いに心の内を知れている間柄。

ネルガル会長になってから。初めて出来た親友と呼べる相手。それが天河アキトと言う人物だった。

「無力なのは私も同じです。彼を止める事が出来なかった。彼の心の拠り所に私はなれなかった」

エリナはアキトと愛人の関係だった。しかし、彼の心を救う事が出来なかった。

彼の心の奥底には、妻である御統ユリカが居た。その事を知ってあえて関係を続けていた。

この関係を続けたかったのかもしれない。復讐を言い訳して彼を独占する事を・・・



天河アキトが火星の大気圏で消息を絶った情報は、星野ルリの元にも届いた。

その情報を聞いた時、彼女は茫然自失となり倒れてしまった。

そして彼女は月のネルガル系列の病院に入院した。彼女の精神カウンセラーはイネスが受け持つ事に。

「アキトさん。どうして・・・一人で行ってしまったんですか!」

イネスからの報告書を読んだルリは、病院のベットで一晩中泣き続けた。

それでも気持ちまったく晴れない、後悔と罪悪感だけがふつふつと募って行き。自分を追い立てる。

三周忌の日、あの墓場で再会した時、彼を止めていれば、こんな結果にならならなかったのでは無いか

その事ばかりが頭から離れなかった。

そして悩んだ末、彼女はある結論に辿り着いた。何としても彼に会いに行こうと・・・

彼に会わなければ自分はこれ以上。一歩も進むことが出来ない。二度と後悔しない為にも彼に会うしかない

そう思い。病室を抜け出してイネスが待機している二階の部屋へと向かった。

その足取りは駆け足となり。早々に彼女の居る部屋の前に辿り着いた。

ガラガラガラ

部屋の扉を開けて中に入って行く。中にはカルテを眺めながらコーヒーを飲んでいるイネスが居た。

「イネスさん・・・」

ルリの突然の訪問に一瞬驚いたイネスだっだか、直ぐに落ち着きを取り戻す。

「・・・何か様?」

「聞きたい事があります。いいですか?」

少々息が荒いルリ。ここまで駆け足で走ってきたため。息が上がってしまった。

1週間と言う入院生活で、元々体力の無かった彼女はさらに体力が落ちてしまったからだ。

「別にいいわよ。何を聞きたいの?」

「・・・アキトさんは何処ですか?」

イネスはルリの記憶が混乱しているのかと思ったが、どうやら違うようだ。

「・・・・・・彼はもう居ないわ」

「それは知ってします。ですから、彼の後を追いかけたいんです」

「貴方正気?お兄ちゃんはランダムジャンプしたのよ!」

人が生存できる場所は宇宙から見て極僅か。運が悪ければ宇宙に放り出されるか、

人が生きていく事が出来ない星に飛ばされるかで。限り無く生存確率は0に近い。

それがランダムジャンプ。最悪の場合。次元の狭間で跳んで永遠にその場を彷徨う事になるかもしれない

「・・・それでも私は、アキトさんを諦め切れません!アキトさんに会いに行きたいんです!!」

「どうやって?」

「それは・・・」

ランダムジャンプである以上。何処に飛んだが分からない。時間も世界も太陽系外かもしれないし

まったくの別次元に跳んだ可能性もある。可能性は無限大に等しい

「貴方には言ってなかったけど、彼の命は風前の灯だったわ。何度となくナノマシンが暴走してね。

それに生命維持装置の役割を果していたブラックサレナも無くなり。彼の生存はもう絶望的よ。

だから、仮に彼の元へ行けたとしても、既に死んでいるかもしれない。それでも後を追いかけるの?」

「私は最後まで諦めません。アキトさんは必ず生きています。だからあの人の後を追いたいんです」

強い決意を持って、ルリは自分の気持ちをイネスにぶつけた。

「その根拠は一体何処から?」

イネスは呆れた眼差しでルリを見た。彼女は本気でアキトの後を追う気だ。

「根拠なんてありません。私がそうしたいんです。」

大切な人だから、帰って来るまで追いかける。それはユーチャリスを火星で見送った時に言った言葉。

もう二度と迷わない。自分の居場所はここじゃない。彼の居る場所こそが自分の本当の居場所。

「ふう〜。わがままね。貴方が望んだ結果じゃなくても。それを受け入れる覚悟はあるわけ?」

現実とは非常な物。消して祈りや願いだけで、物事がいい方向に行く事は無い。

知らない方が幸せで居られる場合もある。

「覚悟は出来ています。このまま何もせず、生きていくよりマシです。」

「アキト君が飛んだ場所は。何処とも知らない場所。それでも行くの?

もうこちらに戻って来れないかもしれないのよ」

「私の居場所はアキトさんの元なんです。今回の事ではっきりしました。」

イネスはルリの覚悟を聞いて、自分の心が折れる気がした。

もしかしたら彼女ならなんとか出来るのではないか?まったく論理的ではない

そう思いながらも。心の何処かでそう願わずに入られなかった。

「・・・そう。貴方ならアキト君を救えるかもしれないわね。私には彼の復讐を止める事が出来なかった」

もし、あの時、彼を止める事が出来ていれば。もっと違った未来を描く事が出来ただろ。

「イネスさん・・・」

「アキト君の跳んだ先に行ける方法が一つだけあるわ。でもそれにはラピスの協力が必要なの」

「ラピス。それはアキトさんと一緒に居た子ですね」

火星の制圧時に一度だけIFSを通じてコンタクトを取った。ピンク色の髪の子

そして自分と同じマシンチャイルドの女の子。アキトを支えていた子。

彼女に軽い嫉妬を覚えた事も合った。アキトを支えるのは自分の役割でありたかった。

「ラピスは今、ここから少し離れたネルガル系列のマンションの一室に居るわ。

私とエリナが順番でラピスの世話をしているの」

最初は警戒していたラピスも、今ではエリナとイネスに心を開くようになった。

「ラピスに会わせて貰えますか?」

ルリの心の奥には、ラピスに対して複雑な気持ちが渦巻いていた。

しかし、実際彼女に会って見なければ分からない事もある。彼女と会って話してみたい。

「あの子の記憶はアキト君の頼みで、彼に関する事やユーチャリスに乗っていた事も全て忘れてしまった。

だから今のあの子は、アキト君の事を何一つ覚えていないわ」

「どうして記憶を・・」

記憶消す。そんな恐ろしい事をなんでイネスは了承してしまったのだろう。

なんでアキトはそんな事を頼んだのだろう。ルリには分からなかった。

イネスは苦虫を噛み潰した様な表情で、彼女なりの理由を話し始めた。

「心の支えであるアキト君はもう居ない。それに大人になった時、

自分がした事に必ず苦しむ事になるからって、アキト君がラピスの記憶を消す様に、私に頼んできたの」

イネスはアキトの提案に悩みながらも。エリナと相談してそれを受け入れた。

「・・・イネスさん。忘れてしまう事は、本当に幸せなんでしょうか?」

辛い事は誰しも早く忘れてしまいたい。しかしイネスのした事は

楽しかった思い出まで全て忘れてしまう事になる。

ラピスにとってアキトと共に居る事は、幸せな記憶ではなかったのか。

「でも、ラピスの心はまだ幼く弱い。彼女にアキト君の事を受けられるだけの余裕は無いわ」

アキトの居ない今、彼女はアキトに捨てられたと思い。自我が壊れしてまう危険性もあった。

だから、アキトの頼みを聞いて彼女の記憶を消した。そうする事が現状で一番正しいと思ったからだ。

「イネスさんはどうなんですか?アキトさんのボソンジャンプに巻き込まれて、

過去の火星の砂漠に飛ばされた時、母親の事やアキトさんの事を忘れてしまって、

後悔はしなかったんですか?」

イネスは子供の頃を思い出す。記憶を失って保護された後の事を・・・

「そうね。目の前で母親と初恋の人を失って。その現実は到底子供の頃の自分には

受け入れられる物ではなかった。だから記憶を失う事で自分の心を守ったんだと思うわ。

でもね。何時も私の心には穴が開いていたわ。何か大事な事を忘れてしまった空虚な気持ちを抱えてね」

何処か自分に自嘲するイネス。

「イネスさん!それが分かっていて、ラピスにも同じ苦しみを味合わせるつもりですか?」

「・・・・・・」

今思えば、学問に打ち込んだのも。この喪失感から解放される為だったのでは無いか。

研究に熱中する事で、一時的にこの喪失感から解放される気がしていたからだ。

「私思うんです。辛い事も楽しい事も。全て大切な事なんじゃないかって。

辛いからこそ、楽しい時があり、楽しいからこそ、辛い時がある。

蜥蜴戦争の時、演算ユニットを壊せば歴史が変わって戦争は起こらなかったかもしれない。

でも、ナデシコでの素敵な思いでは消えてしまう。その大切な思い出を消さない為。

自分達の我侭を押し通しました。だから、それはラピスにとっても同じなんじゃないですか」

「・・・・・」

イネスは何も言わない。ただルリの言葉を黙って聞いて。彼女の言葉の意味を考えていた。

「イネスさんのしている事は、オモイカネの暴走を止めようとして、

軍がオモイカネの記憶を消そうとした時と同じです。ラピスの心はラピスだけの物です。」

イネスは考える。はたして自分がラピスにした事は、本当に正しかったのだろうか。

目の前の辛い現実を避けて通っても、心の奥に出来た癒えない傷は徐々に自らを蝕んでいく。

自分がそれを一番理解しているはずなのに。・・・どうやら大切な事を忘れていたようだ。

「ふう〜・・・そうね。貴方の言う事も一理有るわ。でも決めるのラピスよ。貴方じゃないわ」

「それは分かっています」

「・・・付いていらっしゃい。ラピスに会わせてあげる」

ルリは一旦病室に戻り、着替えを済ませた後、イネスに連れられて

ラピスの居る、ネルガル系列のマンションへと向かった。



電車に揺られ、バスを乗り継ぎ、ようやく目的のマンションに辿り着いた。

「ここがラピスの居るアパートですか?」

「そうよ。ここの七階に居るわ」

このマンションは、建てられてから比較的目新しい部類に入るらしい。

防犯システムやデザインに関して、最先端の技術を取り入れていると

ここに来るまで、イネスに嫌と言う程。説明を聞かされた。

イネスとルリはエレベーターを使って、ラピスの居る七階の部屋へと辿り着いた。

途中エレベーターの起源に付いて、イネスからまた説明を聞かされた。

「この部屋にラピスが居るんですね」

「そう、私とエリナがラピスの世話をしているの」

ラピスの面倒はエリナとイネスが順番で見ている、現在エリナはネルガル本社に出張に行っているので

その間イネスがラピスの面倒を見る事になった。

イネスはサイフの中からIDカードを取り出し、それを扉に通して鍵を外す。

ガチァン。

「ただいま。ラピス」

「お邪魔します。」

イネスとルリは部屋の奥へと入って行くと、ラピスは居間でテレビを見ていた。

「イネス、どうしたの?」

何時もより早いイネスの帰宅に不思議そうにイネスを眺める。

後ろには自分の知らない少女が居たので。少し警戒する。

「ラピス、この人に見覚えはある?」

少し躊躇した後、イネスはアキトの映った一枚の写真を白衣から取り出し、それをラピスに手渡す。

「・・・・・・」

写真を眺めていたラピスは突然。その目から涙を流し始めた。

「ラピス?」

「・・・胸が痛い。・・・この人に会いたい・・・」

両手を胸に当てて、苦しそうに俯くラピス。その瞳からは止め処なく涙が溢れていた。

「会いに行きましょう!アキトさんに」

「・・・誰?」

ラピスは初めて会った、目の前のルリに訊ねる。火星で出会った頃の記憶はラピスには無い。

「私はホシノルリ。貴方は?」

「ラピス・ラズリ」

少し警戒しながら。自己紹介をラピスは行なった。

「ラピス、アキトさんに会いたいですか?」

「・・・アキトに会いたい」

ラピスの記憶はまだ戻ってはいない。しかし、いくら記憶を操作しても

心の奥底にある想いだけは消える事は無かった。その想いは写真の相手への強い渇望を求める。

「アキトさんに会うには貴方の力が必要なんです。手を貸してください!」

「・・・わかった。私もアキトに会いたい。」

ラピスは少し考えた後、自分の気持ちに素直に従う事にした。

何故か無性にこの写真の相手に、会いに行かなければならない気がしたからだ。

「準備を私が行なうわ。三日後、私の研究室に来て、後は貴方達に託すわ。お兄ちゃんをよろしくね」

「イネスさんは来ないんですか?」

ルリはイネスも自分と同じく、アキトの後を追いかけるものだと思っていた。

「ボソンジャンプをナビゲートする人が必要なの。それに私には彼を追いかける資格は無いわ。

彼の気持ちを知っていて。あえて彼の復讐を止められなかった。私では彼を救えない。

でも貴方達なら、彼の凍りついた心を溶かす事が出来るかもしれない」

イネスの独白を聞いたルリは、静かに彼女の想いを受け取った。

「・・・分かりました。」

「それと私が準備している間。ラピスの面倒は貴方が見るのよ」

「はい、ラピスの事は任してください」

イネスとルリの会話を聞いて、一瞬ビクと怯えたラピスだったが。

「ラピス。少しの間一緒に住む事になるけど。仲良くしてね」

そう言ってルリは、ラピスの警戒を解くために、僅かに微笑みながら右手を差し出した。

「ルリ・・・一緒に遊ぼう」

若干恥ずかしながらも、ラピスはルリの右手を掴み握手する。

「ええ。一緒に遊びましょう」

それから直ぐに彼女達は仲良くなった。まるで姉妹の様に。

イネスが研究所に篭ってから三日後。天河アキトを追いかける準備が全て整い。

ラピスとルリはイネスに呼ばれて。彼女の研究室に来ていた。

「最後に言っておくけど、もう後戻りは出来ないは、たぶんこの世界には戻って来れないかもしれない

それでもアキト君に会いに行く覚悟は出来た?」

イネスはルリ達に最後の確認を取る。これは彼女達の人生を左右する大事な事なのだ。

「アキトさんに会いに行きます」

星野ルリには全く迷いが無かった。彼に会う事が出来るのなら、今の全てを捨てる覚悟が持って此処に来た

「・・・アキトに会いたい。・・・イネス、さようなら。エリナにも宜しく言っておいて」

ラピスにはまだ迷いが見えたが、それでもアキトに会いたい気持ちの方が強かった。

エリナはこの場には居ない。別れが辛くなるのが嫌で此処には来なかった。

このアキトの追跡ジャンプを行う事を知っているのは、他にアカツキとプロスだけ

「それじゃあ。ボソンジャンプを始めるわ。中央の円陣の中へ」

部屋の真ん中にある円陣の周りには、奇怪な幾何学模様が描かれていた。

これが演算ユニットの代わりになるらしい。本物は軍が厳重に管理している。

しかしこれはあくまで代用品なので、本当に成功するかどうかはやって見ないと分からないらしい。

それでも天才であるイネス博士を信じて、ラピスとルリは円陣の中へと入っていく。

「ラピス、貴方はアキト君を強く想うの。それでリンクシステムが再び形成されるわ」

「うん。」

ラピスは手に持った写真のアキトを強くイメージした。

それに円陣の幾何学模様が共鳴するように輝き始める。

「どうやら成功しそうね・・・後は運任せよ。さようなら。ホシノルリ、ラピス。元気でね」

「イネスさん。色々お世話になりました。ありがとうございます」

「お礼を言うのはまだ早いわ。必ずアキト君を見つけるのよ・・・ジャンプ」

イネスがボソンジャンプのナビゲートを行なった後。

眩い光と共にルリとラピスはボソンジャンプした。しかし彼女達が跳んだ場所は

アキトが訪れる事になる魔法世界、それも一年前の世界だった・・・。



極東地域、日本の埼玉県麻帆良市、ここは世界でも有数な学園都市であり、

麻帆良学園本校を中心に、複数の学園が近隣の地域に密集している。明治の中頃に創立した麻帆良学園は、

世界最大規模の図書館である図書館島や、世界樹と呼ばれる巨木が存在している。

三週間後には麻帆良祭と呼ばれる、全校合同の学園祭が三日間開かれ、入場者は延べ40万人にも達する。

その一大イベントを前に、学園都市内に何者かが転移して来た。

その調査を学園長から頼まれたエヴァンジェリンは、転移して来たと思われる場所へと急ぐ

「茶々丸、目標まで後どれくらいだ」

「目標地点まで、あと15キロ程度だと思われます。マスター」

茶々丸と言われた、ガイノイド(女性形ロボット)は、

10歳前後の、欧州系の金髪の少女エヴァンジェリンと共に・・・空を飛んでいた。

「ふふふ、私の昼寝を邪魔するとは・・・」

弟子であるネギ・スプリングフィールドは、職員会議で今日の修行には出られそうに無い。

放課後の日課と成っていた修行が無くなり、暇になったエヴァンジェリンは久しぶりに転寝をしていた。

そしてその安眠を破るように、学園都市の結界の内に何者かが転移して来たのだ。

魔法に関係する重要施設は、この辺りでは麻帆良学園本校のみ。

この学園の裏の顔は関東魔法協会の本部であり、侵入者の標的は恐らくこの学園なのだろう。

この学園の警備員を兼任しているエヴァンジェリンとしては、

現場に行き、この侵入者に害意があるか無いか、真偽を確かめなければならなかった。

「何処の誰だか知らないが、一滴残らず血を吸い尽くしてやる!!」

物騒な事を言うエヴァンジェリン。折角気持ち良く寝ていたのに、

侵入者に叩き起こされる形で眠りを邪魔され、あまつさえ現場へ、調査に赴かなくてはならなくなったからだ。

その事で彼女の機嫌は、最悪な気分へと変貌してしまった。まさに天国から地獄

「血を吸い尽くした後は、切り刻んでくれるわ」

エヴァンジェリンは吸血鬼の真祖であり、最強の魔法使い。

10歳前後と言う見た目とは違い、数百年の時を生きて、魔法界にその名を轟かせた。

「闇の福音」エヴァンジェリンなのだから。

しかし、15年前にネギの父親でもサウザンドマスター

ナギ・スプリングフィールドに負けて以来、魔力を極限まで封印されてからは

満月の夜を除いては、触媒無しに魔法を使う事が出来なくなってしまった。

ただし、人の血を吸うことで、ある程度魔力を取り戻す事が出来た。

だが、今日はそんな事は考えなくてもいい。今日は待ちに待った満月の夜

吸血鬼が最大の力を発揮する日。侵入者は不幸な時期にここに来てしまった。

「マスター、標的を殺してしまうと、事情を聞くことが出来ません。」

絡繰茶々丸。麻帆良大学工学部によって作られた。AIを搭載した高性能ロボットであり。

エヴァンジェリンの従者。動力機関は魔法の力によって活動している。

動力の補充はゼンマイを巻く事に寄って賄う。エヴァンジェリンの命令には絶対服従を誓うロボット

「そんな事はわかっている茶々丸。適当に痛め付けて、ここに来た目的を吐かせた後、

ジジイに引き渡す。後はジジイが決めればいいことだ。ふん、洒落の分からん奴め」

「申し訳ありませんマスター」

AIと言えども、そう簡単に感情持つ事は出来ない。機械と人の絶対的な違いはそこにある

しかし、茶々丸は学習する事によって段々、感情らしき物を芽生えさせていた。

「さぁ、狩りの時間だ!溜まったストレスを一気にブツケテヤル」

エヴァンジェリンと茶々丸は、侵入者の存在を自らの射程圏内に納めようとしていた。



エヴァンジェリン達が森に向かう少し前の刻

薄暗い森の中、顔を黒いバイザーで隠し、黒衣を身に纏った青年が気絶していた。

そしてもう一人黒いフードを目深に被った少女が、その青年を見下ろす形でその場に佇んでいた。

「・・・来てくれた。やはり貴方は私を救ってくれる。あの子達も貴方を待っているわ」

少女はそう言うと、青年を中心とした魔方陣を描き。

気絶している青年の唇を、自らの唇と重ねて口づけを行い。少女は誓約の儀式を行った。

儀式の完了に伴い。不思議な光が辺りを輝かせる。そして一枚のパクティオーカードを生み出した。

「でも、あの子達には悪いけど、貴方は渡さない。誰にも渡さない。貴方の心は私だけの物

貴方の心の奥底に眠る。全てに絶望した深い闇、烈火の如き復讐心、己の犯した罪に揺れる儚く脆い心

過去を断ち切れずに足掻く哀れな人、貴方の全てが私の空虚な心を満たしてくれる。

あの子達から貴方の情報を引き出した時。私は歓喜した。ようやく私にも救いが訪れる日が来るのだと。

・・・何れ時が私と貴方を引き合わせる。その時まで・・・眠りなさい。アキト殿」

手にしたパクティオーカードを眺めながら、冷たい薄ら笑いを浮かべる少女、

少女は青年の顔に付いたバイザーを盗り、その場から、ふっと幽霊の様に消え去った。

森の中に残されたのは、気絶している黒衣の青年だけだった。



後書き

魔法先生ネギま!とのクロス。・・・単行本は全17巻所持、ネギま!のファンです。

・・・やっぱヒロインからルリとラピスは外せませんでした。ナデシコクロス物として!

それと改正版では、大幅な内容の修正と追加を行なうので・・・改正前と改正後では

話の繋がりにかなりの誤差が生じています。そのつもりでよろしくお願いしますね!