黒いフードの少女が、アキトの前から消え去ってから数刻の時が流れた。

冷たい夜風に起こされる様に、天河アキトは意識を取り戻す。

「・・・うっ・・・ここは・・・何処だ・・・?」

うつ伏せになりながら、アキトは辺りを見渡す。

何処かの森の様だが自分には見覚えが無い。木々の隙間から月明かりが差し込んでくる。

現在の時刻は恐らく夜なのだろう・・・。

「・・地獄じゃ・・無いようだな。」

ここは地獄では無い、地獄にこんな緑豊かな場所が在る訳が無い。ではここは天国か?

それこそ有りえない事だ。あれ程の罪を犯したんだ。自分勝手な理屈を並べて、人を殺し続けた自分が

天国に行ける訳が無い。実際の天国や地獄を見た事が無いから、判断する事は出来ないが、

地獄でも天国でも無いすると。考えられるのは一つしかない。

「・・・俺は生きているのか・・・」

自分はあの時、ブラックサレナの爆発に巻き込まれて死んだはずでは?

そう思い。自分の身体を改めて見てみるが、幽霊には見えない。

それに土や草の感触を肌で感じる事が出来た。間違いなく自分は生きている。

「・・・俺一人が助かったのか・・・サレナは・・・」

ブラックサレナは火星の大気圏に突入して、摩擦熱で崩壊寸前の状態だった。無事であるはずが無い。

アキトは微かな望み掛けて辺りを見渡すが、やはりブラックサレナは見つからなかった。

ブラックサレナが無くなったと言う事は、自分を最後まで必要としてくれたAI

サレナもまた、居なくなってしまったと言う事だ。

「・・・また、・・・一人だけ生き残ってしまったのか・・・」

ユートピアコロニーのシェルター、アイちゃんを巻き込んで過去に飛ばしてしまったが

結果としてあの時、生き残ったのは自分だけ。そして火星の後継者のラボ。

遺跡の翻訳機として融合したユリカを除いて、あの人体実験に耐えて生き残ったのも自分だけ

多くの犠牲の上に自分は生きている。その為にも人生をやり直したい。

火星の大気圏に自殺覚悟で飛び込み、死の間際にそう自分は願った。

しかし、それはサレナと一緒でありたかった。

「サレナが居ない。俺は・・・これから一人で生きて行かなければならないのか。」

いっそ、自ら命を絶つ事を思い立ったが、それはサレナが絶対に許さないだろ。

助かった命を無駄には出来ない。しかし、これからどうやって生きていけば良いのか

自分には分からなかった。今更ラピスの元にもルリちゃんの元にも戻れない。そしてユリカの元にも。

アキトはその場で途方に暮れるしかなかった。これからの事を考える余裕は今の自分には無かった

自分が生き残ってしまった事、ブラックサレナが無い事。それだけで頭が一杯だった。

「俺は・・・どうしたらいい。サレナ」

ここには居ないサレナに呼びかける。当然答えが戻ってくる事は無かった。

それから時間だけが、ただ過ぎていった・・・

「・・・・うん?」

空気に混じって、誰かの声が聞こえた様な気がした。辺りを見渡すが人の気配は感じられない。

気のせいかと思った瞬間。

・・・・・・・・・・ス・・・・

また誰かの声が聞こえた。本当に小さい囁きの様な声だが。何処からか聞こえて来る。

今度は聞き逃さないように、辺りに耳を済ませると。

『・・・・マス・・ター・・・』

この声にマスターって・・・まさかサレナ!?。いやそんなはずは無い。

ブラックサレナはあの時、完全に崩壊したはずだ。精密機械である中枢AIは勿論の事

高度の情報処理が必要なリンクシステムが、まともに機能している訳が無いのだ。

そうアキトは自分を言い聞かせたのだが。その考えはいい意味で覆らされる事になった。

『マスター・・・私の声が届いていますか?・・・私の声が聞こえていますか?』

先程とは違い、より鮮明なサレナの声が脳に直接響くように聞こえて来た。

「この声は・・・本当にサレナなのか!!・・・一体何処に居るんだサレナ!」

サレナが生きていた。嬉しさから自分の声が少し高くなり、僅かに声が震える

『マスター。再び貴方に会えて私は・・・私は・・・本当に幸せ者です!』

歓喜に沸き立つサレナの声が、リンクシステムを通して聞こえて来た。

それはまるでラピスとリンクしていた頃の様に、鮮明な声をアキトの元へと届けていた。

「サレナ、またお前にまた会えて、俺はどんなに心強い事か。・・・本当に無事で良かった」

アキトは心からサレナの無事を喜んだ。そして張り詰めていた自分の心が、和らいだ事を感じた。

『・・・マスターもご無事で何よりです。最初は私の声が届いていないかと心配しました。」

「そうか、それは心配を掛けたな。それでお前は今、何処に居るんだ?」



それがアキトとって一番の疑問点だった。ブラックサレナは火星の大気圏で、崩壊したのでは無かったのか?

『ふふふ、私が今、何処に居ると思いますか?マスター♪』

アキトの疑問を他所に、悪戯でもしている様なサレナの口調。

こうして会話をしているのだから、サレナとリンクシステムで繋がっている事は間違いない。

それでは何故、近くにブラックサレナの姿が見当たらないのか。それが先程からの疑問だった。

ラピスとのリンクシステムとは違い、サレナとのリンクシステムでは精々10mが良い所。

それ以上は互いにリンクを形成する事が出来たとしても、会話する事など出来ないはずなのだ。

だから10m以内にブラックサレナが居なければ、お互いに会話を行なえないはずなのだが。

どんなに辺りを見渡しても、そこにはブラックサレナの存在を確認する事が出来なかった。

「ふう〜・・・サレナ降参だ。いい加減お前が何処に居るのか、教えてもらえないか?」

『ふふふ、私の勝ちの様ですねマスター。』

何故か嬉しそうに答えるサレナ。彼女の中では隠れんぼのつもりだったのだろうか?

サレナこんな子供じみた真似をするとは珍しい。俺と再会した事で浮かれているのだろうか

俺の自爆に無理やり巻き込んでしまってサレナに、こんな事を言うのも筋違いだと思うのだが、

彼女が無事で本当に良かったと思う。そして彼女と俺の繋がりがまだ切れていない事に安心した。

今の俺に取って、彼女との繋がりは何よりも大切な物。自分を心から支えてくる存在として。

『それではマスターの疑問にお答えします。・・・私は現在マスターと融合状態にあります♪」

「融合・・・なんの冗談だ?」

最初はサレナが俺をからかっているのかと思ったが、サレナの真剣な声を聞く限りどうやら違うようだ。

『冗談ではありませんマスター。私はマスターと融合、言えこの場合は同化と言うべきでしょ。

私の自意識と記憶は、マスターの補助脳の中に存在している様です』

サレナの言っている事は、とても信じられる話ではない。サレナはやはり俺をからかっているのか!?

「・・・冗談だろ?サレナ。」

これは彼女の悪戯なのでは無いのかと、アキトは疑ってみたが。

『マスター。・・・私がマスターに対して嘘を付くと思いますか?』

「・・・・・・・・・」

サレナの言っている事は、本当に事実なのだろうか、アキトはまだ疑いの目を捨て切れずにいた。

「信じられない、仮に俺の補助脳と、サレナの意識と記憶が融合したとして、一体どうやって融合した?」

まったく現実感の無い話に、アキトの声は裏返ってしまった。それ程驚くべき事だった。

一体何がどうなったら、ブラックサレナのAIサレナと俺が、融合する様な事態になったのか。

もう少し詳しく、サレナから説明・・・「説明しましょう!アキト君は#$%$%&%&#$」

今一瞬、イネスが・・・いや、きっと気のせいだ。サレナに改めてせつ・・いや事情を聞く必要があった。

『私とマスターが融合したのは、恐らくランダムジャンプが原因だと思われます』

「ランダムジャンプ?・・・あの時、ボソンジャンプしたのか?」

あの時、CCの予備を一つ所持してはいたが、ボソンジャンプを行った覚えは無い

ブラックサレナが爆発した後、俺の記憶はそこで途絶えているのだから・・・

『恐らく・・・マスターは無意識の内に、ボソンジャンプしたのでは無いでしょうか』

「無意識でボソンジャンプ?」

そう言えば過去に、無意識の内にジャンプアウトして助かった事があった。

あれはまだブラックサレナが形を成す前、

試作型アルストロメリアの原型機、テンカワsplに乗っていた時の事だ。

北辰達の乗る夜天光と六連と戦闘になり、テンカワsplは大破して命からがら逃げ帰った。

あの時、意識朦朧としていた俺は、何故か無意識の内にボソンジャンプをしていたらしく。

気が付いた時には、無事にネルガルの月ドックに戻っていた。

「それじゃあ、サレナが俺と融合しているのは何でだ?」

俺が無意識の内にボソンジャンプしたのは分かった。

しかし、何故サレナと俺が融合する事になったのか?それが一番分からなかった。

『それは私がマスターのリンクシステムに引きずられる形で、ジャンプアウトしたからだと思います。』

「引きずられたって、ボソンジャンプにか?」

CC1つでは人間一人を飛ばす質量しか補えない。

8m以上の巨体であるブラックサレナをボソンジャンプに引きずり込む事など。

物理的に行って不可能ではないか。しかしその疑問は次のサレナの説明で答えが出た。

『イネス博士、いえ、マスターがユートピアコロニーのアイちゃんを、

一緒にボソンジャンプで飛ばした時の状況と、基本的には同じだと思います。

もっともアイちゃんは、古代の火星に跳ばされる事になりましたが、私の場合は少々異なります。

まず身体であるブラックサレナが、火星の大気圏で爆発してしまい。消失してしまいましたので

ブラックサレナがボソンジャンプする事は出来ませんでした。しかし、運良く爆発の中から

飛び出て来たメモリーチップの破片が、マスターのボソンジャンプに巻き込まれる形で、

一緒にこの世界に跳んだようです。

その後、私のメモリーチップの破片が、マスターと同化する形で、この世界に実体化したと思われます。』

・・・そんな事が果してボソンジャンプに可能なのだろうか・・・いや、少し待てよ・・・

アキトはある事実に気が付いた。それはとても恐ろしい事だった。

「サレナ!それじゃあ俺の補助脳の中には、メモリーチップの破片が入っているのか?!」

脳の中に金属の一部が入り込んでいる。それは非常に怖い事だ。

何かの弾みに脳内出血の危険が今後付き纏う事になるからだ。

このまま無事に日常生活を送る事が出来るのだろうか。そんな不安感が頭を駆け抜ける。

『いえ、その心配はありません。メモリーチップ自体はボソンジャンプ後に、補助脳に分解吸収される形で

既に消失しています。こうして私の意識と記憶が保たれているのは、チップの中に有ったデータが

補助脳にダウンロードされたからだと思います。他に人体に異物反応はありませんのでご安心下さい』

「そうか、心配は無いのか・・・今回は運が良かった」

サレナの話を聞き。アキトはほんの少し安心した。とりあえず補助脳は大丈夫の様だ。

ボソンジャンプの全容は、まだよく分かってはいない。

それ所か古代火星人の技術も、未だに解析出来ない部分が多い。

相転移エンジンに関しても劣化コピーに過ぎない。

オリジナルの相転移エンジンが、どのぐらいの出力まで出せるのか、未だに不明なのだ。

その中でも特にブラックボックスなのが、ボソンジャンプを司る演算ユニットだ。

過去、現在、未来まで、黙々とボソンジャンプの演算を繰り返す。演算ユニット。

もし壊れれば、これまでの行ったボソンジャンプが全てキャンセルされて、現在の歴史が消滅するとまで言われる

天河アキトはユートピアコロニーのシェルターで、ボソンジャンプ出来ず無人機によって殺される事になり、

それに巻き込まれたアイちゃんも、イネス博士になる事が無く、古代火星人の技術は解析出来ずに

ナデシコは完成しなかっただろう。いやそれ所か、火星に木蓮が進攻する事さえ無かったはずだ。

ボソンジャンプの存在が無くなれば、チューリップや無人戦艦、無人兵器を作り出す

木星プラントの存在も危うくなる。木星プラントが無くなれば、

木星圏に逃げ込んだ100年前の月の子孫達は、生き残る事無く死滅して、

蜥蜴戦争は起こる事が無かっただろ。

歴史の修正点が一体何処からになるのか。まったく見当がつかない。

一説には人類が誕生する以前まで、歴史の修正力が掛かるとも言われている。

古代火星人。彼等は時間移動を行なう技術や、木星プラントの様に

無尽蔵に兵器から生活物資まで様々な物を、全自動で作り出す技術がありながら

何故か滅んでしまった。彼等は一体どうやってあの。演算ユニットを作り出したのだろう。

構成物質から機体構造まで、ほとんが不明であり。

ボソンジャンプの現象そのものが、複数の矛盾点を抱えていた。

そして、未だにボソンジャンプには、隠された秘密があると言われている。

その秘密が何なのか、ボソンジャンプとは一体何なのか、

全ての謎に答えが出る日は、果して訪れるのだろうか・・・

そしてその時、一体何が起こるのだろうか。



『・・・・・・ッター、マスター?、私の話を聞いていましたか?』

急に黙り込んでしまったアキトを心配して、先程から何度もサレナが話し掛けていた。

「・・・っん?・・あっ!済まないサレナ。考え事をしていてな」

演算ユニットやボソンジャンプの事で、自分はつい考え込んでしまっていた様だ。

自分がいくら考えたとしても、答えが出るわけが無いのに・・・

最近は物思いに耽ることが多くなった。自分の弱い心を偽って、復讐に走った事が原因なのだろう

あの時は、何時も何処かで自分の行動に矛盾を感じていた。心を鎧で隠して自分を偽っていた。

復讐を拠り所にして進む臆病で弱い自分を、もう一人の自分が笑って見ていたような気がする。

・・・俺って本当に弱い人間だな。いくら強がっても、心の弱さは隠せないか・・・

もっとも。サレナに言わせれば俺の心は弱いのではなく、優しいから

行動に対する矛盾に苦しんでいるとか言っていた。・・・優しさか。

優しさだけでは人は救えない。力が無ければ力ある物に全てを奪われる。

初めて北辰と出会った、ユリカとの新婚旅行のシャトルの時の様に・・・

しかし、手段を選ばず力のみを追い求めた結果がこの様だ。

北辰を倒して、火星の後継者に復讐を果したのは言いが、復讐の果てに自分には何が残った?

何も残らなかった。後悔と罪悪感だけが自分を蝕んでいた。

結局、俺は怖かったんだ。変わってしまった自分を、ユリカやルリちゃんに見られる事が、

彼女達に嫌われてしまう事が・・・だから会う事が出来なかった。

だから責任と言う言葉を言い訳にして、逃げようとした。死ねば楽になると考えて・・・

本当に大切な物が何なんか、見ようとはしないで・・・

こんな臆病者の俺が、この先本当に変わっていけるのだろうか、

・・・ふっ。これではまた考え込んで、サレナを怒らせてしまうな。

「・・・ボソンジャンプか、しかし、ジャンプした地点が重なるなんて事が、本当にあるのか?」

過去に前例の無い事例。いや、ボソンジャンプを研究していた

火星の後継者なら、そんな実験を行なっていた様な記憶があるが。

同化現象などは起こらず、片方だけが実体化出来ずに消滅していたはずだ。

その後、ラピスに実験記録を探らせて分かった事なのだが、

結局あの実験は成功事例が無いまま。研究は打ち切りになったそうだ。

こうして考えてみると、俺とサレナが融合したのは、奇跡に近いのではないか?

『マスター、これは私の推測なのですが、私とマスターが融合出来た一番の理由は

リンクシステムなのでは無いでしょうか?感覚の共有、思考の共有により。

同一の存在として演算ユニットが誤認したからこそ、融合と言う稀な状態が生まれたのでは』

「・・・確かにそう考えると辻褄が合うが・・・」

しかし、それはリンクシステムの使用中に、ボソンジャンプの扱いを一歩でも間違えてしまったら。

映画「ザ・フライ」状態になっていたと言う事だ。・・・実に怖い

機械と人間の融合、機械であるブラックサレナが消滅した事で、

辛うじて機械人間の誕生は避けられたけど。サレナのメモリーチップの一部が、俺の補助脳に入り込み

サレナの自意識と記憶を、俺の補助脳にダウロードした後、メモリーチップが消失した事で、

サレナは俺と補助脳を共有する形で、存在する事になった。



「何にしても、これからは常にサレナと一緒なんだな」

アキトは照れながらも、サレナの反応を待つ。

『はい、そう言う事になります。私とマスターは一心同体の存在になりました♪』

「・・・・・(サレナが嬉しそうに言って来るのは・・・何故?)」

アキトは相変わらず鈍感だった。こればかりは誰も治療する事は出来ないだろ。

「何にしても、これからはサレナの命も背負う事になったか」

難しい問題だな。サレナの存在が俺の支えになってくれる事は嬉しいが。

しかし、同時に俺の失敗でサレナを危険な目に遭わせしまう事になる。

この先、上手くやっていけるのだろうか。危ない橋を渡るつもりは無いが。人生何が起こるか分からない。

時々俺の存在が、周りに不幸を振りまいているんじゃないかと考えた事があった

俺がナデシコに乗りさえしなければ、A級ジャンパーの存在は世に出ることは無く。

火星の後継者に、火星出身者が誘拐される事も無かったはずだ・・・俺は・・・。

『マスター。またネガティブな思考になっていますね。そう言う考え方はこれから改めて頂かないと!!」

厳しい口調のサレナから、アキトはお叱りを受ける。

「サレナ・・お前・・」

サレナの心遣いは嬉しいが・・・俺は・・・

『マスター、あの時約束しましたよね?無茶はしない、私の言う事を今度からちゃんと聞くと。

マスターと私の未来は今、新しく始まりの時を迎えたんです。ですから・・・前を向いて生きてください。

過去を忘れろと言いません。機械はデータを消去すれば済む事ですが、人にはそれが出来ません

だからこそ辛い過去を一緒に乗り越えていきましょう。私はマスターを信じ続けます!ですから!!』

「ふっ、分かったよ。サレナ、お前の言う通りだ。」

人生を悲観して全てを諦めるにはまだ早過ぎるか、サレナ言葉が俺の心に響いたよ。

そうだな。生きて自分の過去と向き合って生きていかなければならない。

その為にも、自分の身体を治す方法を考えなければならないな。

今のままでは自分はそう長く生きられない。今はナノマシンが小康状態になって、暴走はしていない様だが

また何時暴走しても可笑しくは無い。自分の身体はそう言う危険な状態なのだ。

リンクシステムとナノマシンの制御を、代行をしていたブラックサレナは無くなり。

もう一度体内のナノマシンが暴走したら、今度こそ暴走を止める手段は無く、その先に待つものは死だけだ

「何か・・・手は無いか・・・」

どうにかして、ナノマシンを制御する技術を手に入れて、延命を謀らなければ。

サレナの想いが無駄になってしまう。・・・やはりイネスに頼るしかないか?

彼女に頼るのは気が引けるが、今の所それしか有効な考えが浮かばない。

問題はどうやって彼女と連絡を取るか、俺が生きている事が周りにバレては、俺が死んだ意味が無い。

「・・・・・・・・・」

『イネス博士に連絡を取る必要はありませんよ、マスター』

「・・・うん?」

もしかして、サレナは俺の思考読んだのか?いや充分にありえる事だ。

俺とラピスはリンクシステムで表層意識だけだが、思考をお互いに共有し合っていた。

だから今の俺とサレナが、表層意識か思考の一部を共有し合っていも可笑しくは無いはず。

そうすると、先程のサレナの発言は一体どう言う事だ?

『・・・マスター、五感の調子はどうですか?』

「五感?そんな物が俺にあるはずが・・・?」

・・・何か変だ?何か何時もと違う?・・・そう言えば、こんなに鮮明に目が見えたか?

そう思い、顔に掛かっているバイザーに手を掛けるが・・・無い!?

「バイザーが無い!!・・・いや、バイザーが無いのに何故目が見ている?!」

目が見える。いや、それだけでは無い、バイザーが無いのに音まで聞こえる。

バイザーは自分の衰えた視覚と聴覚を補佐している物、それが無いのに感覚が維持されている。

「そんな、まさか・・・もしかして!」

急いで地面に屈み、草花の臭いを嗅いで見ると・・・臭いを感じる。その草を口に含んで見ると。

「・・・ぅぇ」

草特有の青臭い苦味を口一杯に感じた!・・・味覚が完全に戻っている。

「・・・ぁ・・」

触感も何時も以上に感じる・・・まさか、本当に五感が治ったのか!?

そんな奇跡がありえるのか?・・・そう言えば、俺はどうして生きているんだ

火星の大気圏突入時、サレナのリンクシステムでは力及ばず、

俺のナノマシンは暴走していたはずだが・・・何故暴走が収まっているんだ?

ブラックサレナと言う、俺の生命維持装置は既に消失しているのに。

俺の失ってしまった大切な五感が元に戻り、正常に機能しているでは無いか!!

「あはは、・・・・」

アキトは嬉しさから、知らず内に涙を流していた。



『私にはこれぐらいしか、マスターのお役に立つ事が出来ませんので」

サレナが恥ずかしそうに答える。

「・・・サレナのお前のお陰なのか?」

先程まで流していた涙は何時の間にか止まり、冷静さを取り戻したアキト。

この状況から考えられるのは、サレナが何らかの手段を使って、自分を救ってくれた。一体どうやって?

『五感が治っているのは、私がマスターのナノマシンを制御しているからです。』

「ナノマシンを制御?サレナにそんな事出来るのか!?」

ナノマシンは製造の段階で、人体に与える動作及び効果が決められる。

一度人体の中に入ったナノマシンは全身に回り、摘出する事も制御する事も出来ないはず。

サレナは一体どんな魔法を使ったんだ?

『マスター、お忘れですか?私はAI、つまり自意識を持ったプログラム情報体ですよ?

そして、今の私はマスターと融合して、補助脳の一部となっています。』

「ああ、それは分かったが、」

それが、俺の五感が正常に機能する事と、どう繋がるんだ?

『補助脳が人体のナノマシンを司っている事は、知っていると思いますが。

その補助脳から私が独自に指令を与えて、ナノマシンプログラムの変更及び制御を行っています』

「つまり、サレナのお陰で俺は五感が治り、こうして生きていられると言う事か?」

『はい。そう言う事になります。久しぶりの五感の感覚はどうですか?』

嬉しかった・・・本当に久しぶりの五感の感覚だった。しかし同時に俺は戸惑いも覚えていた。

五感が治り嬉しいはずなのに、まだ何処か信じられない気持ちを抱いていた。

そして、多くの者を死に追いやった自分が、何事も無く五感を取り戻した事に対する後ろめたさ・・・

いや、今は素直にサレナの善意に感謝する事にしよう。

「・・・五感は正常に働いている。寧ろ前により鋭く感じるな」

長い間、五感を失っていた反動で感覚が鋭くなっているのか?

それにしても少々鋭過ぎる気がする。これは一体どういう事だ?

『それはマスターのナノマシンが、全て正常に機能しているからだと思います』

「全て正常に機能している?」

火星の後継者のラボで、研究者に生死を無視された人体実験を受けた俺は

開発中の試作ナノマシンや、遺跡から検出した未知のナノマシン等を投与され続けた。

その結果、制御も効果も分からないナノマシンが体内を巣食い、度々暴走を繰り返すようになった。

そして暴走の度に人体の器官は破壊され、補助脳は過剰なナノマシンにより圧迫され

遂には五感を失う事になった。

『マスターに投与されたナノマシンの大半は、

試作段階ながら人体機能を引き上げる物が大半だったようです。

パイロット用やオペレーター用の他に、身体強化、感覚強化、治療用、対毒、

他に20種類以上の試作ナノマシンを確認しました。

それ等、制御機能が組み込まれていないナノマシンを、私の力で正しく制御して

正常な状態で機能する様に調整を致しました。これでマスターのナノマシンが暴走する心配は無くなり

お互い阻害し合っていたナノマシン同士の衝突も、ついでに無くなって

それが結果として、マスターの身体機能を引き上げる事になった様です。』

そう言うことか、確かにあれだけ大量なナノマシンが正常に機能すれば

常人を遥かに超える能力を得る事が出来るだろ。しかし、懸念すべき問題が残っている

「俺の体内には、悪性のナノマシンも有ったはずだろ?」

山崎は俺に遊び半分で、人体に毒にしかならない有害なナノマシンも試していたはずだ。

『それなんですが、私の命令を受け付けない未知のナノマシンが勝手に、

マスターの有害なナノマシンを、良性とも悪性ともまったく分からない。

効果不明なナノマシンに、プログラムを書き換えた様なんです』

少し心配する様にサレナは言う

「・・・?サレナが全てのナノマシンを、制御しているわけでは無いのか?」

てっきり全てのナノマシンは、サレナの制御下にあると思っていたのだが。

『一つだけ、私の命令を受け付けない未知のナノマシンがそれです。今は何も活動していませんが』

サレナの命令を受け付けないナノマシン。・・・それは恐らく遺跡から検出した未知のナノマシン

「そうか、それはこの際後回しにしよう。今はこれで充分だ」

『すいません、私の力不足でマスターに心配事を増やしてしまって。』

未知のナノマシンの事は気がかりだが、今は特に心配する事は無いだろ。

身体を蝕んでいた悪性ナノマシンを別な物に変えたい以上、今の所、宿主の俺を殺す気は無いらしい。

「誤らなくて言いサレナ、お前には充分感謝している。それで俺の身体能力はどの程度まで向上しているんだ?」

五感だけで無く身体能力の方も、前より格段に上がっている。そんな感じがする。

『単純計算して、五感の機能は2倍、身体能力の方は3倍近くまで上がっている様です』

「ほう〜。それは凄いな・・・」

五感に関しては2倍では無く、五感を患った反動で集中力が引き上がり。

戦闘時には実際、神経を研ぎ澄ます事で、3倍近くまで五感を強化する事が出来るだろう。

身体能力の方も3倍か、これなら武術の技量で劣る俺が、月臣や北辰の様な達人を倒す事も出来そうだ。

技で劣るなら、力と早さで補えばいいのだから。



後編に続く