人間開発センター。
全然関係ないけど名前だけ聞けば健康ランドみたいだな、と大きめのベンチにちょこん座ったホシノ・ルリはどうでもいい事を考え、食べかけのハンバーガーに口を付ける。
開発センターの広大な敷地内に設備された人工自然公園。
これまた人工か自然なのか分からない名前だが、要はただの人工的に造られた自然の多い公園だ。
研究者の中には泊まり込み缶詰め状態で研究する人間も多い、そんな人たちの気分転換の場として造られた公園だが、実際ルリ以外に人はいない。
逆にこんな物に投資をするなら給料をあげろ、休暇を増やせ、など尤もな意見も飛び出す程この公園に研究員たちには不評だ。
そんな中でルリはこの公園が割と気に入っていた。
自然が好きとかではなく、単純に人がいないくて静かだと言う点でだ。
別に研究所のモルモットとして生きる日々が嫌な訳ではない。
例え遺伝子操作で生まれずに、シリコンとプラスチックで出来た10のマイナス9乗メートルサイズのナノマシン処理を受けず、普通の家庭に生まれたとしても親からの虐待や極端に貧しい家計、親子のコミュニケーション不足や家庭の教育方針の不一致による家庭崩壊などの可能性を考えれば、自分はそれなりに恵まれているのだろうとルリはそう思っている。
ルリは人間関係が嫌いだ。
それでも廊下などで食事を取れば、まれに偽善的精神溢れる常識人に物珍しさに話しかけられ、終いには子供の癖に無愛想だと怒られる。

「……大人って、やだな」

ぽつりと呟く。
他にも理由はあるのだが、ルリは就寝と実験以外の時間は部屋にいるか、ここに来るかの二通りの行動しか取らなくなっていた。
風が吹いてルリの綺麗な薄い青色の髪を揺らす。
ふと琥珀色の瞳が空を見上げる。
花火が破裂する様なパンパンッという音が聞こえ、黒や白の煙が舞う。
木星蜥蜴。
一年前から突然地球に攻めて来た謎の機動兵器群。
今では日常的に空でドンパチが行われ、連合宇宙軍と木星蜥蜴との戦いを日々見続けながらも人々は危機感を抱かない様になっていていた。

「あ、落ちた」

ぼすぼすと黒い煙を吹きながら、上空を防衛する戦闘機の一機がやられて落ちる。
小さな物が飛び出したがパイロットだろうか。
大気圏を越えた所には、木星蜥蜴に有効な有人兵器による防衛線も張られているらしいが、抗戦空しく蜥蜴の母艦であるチューリップは非公式に何機か地球に下り立っているらしい。
それも自分には関係無い事だと、ルリは思う。
この人間開発センターいる限り知らなくてもいい事も、覚えなくてもいい事もルリは出来る様にならなければいけない。
研究所の『実験成果』という形で機密情報すら片手間に覗けるルリでも、すぐ近くで起きている戦争に対し関係無いと思う。
それは一般人にも言える。
目の前で戦争が行われているにも関わらず、戦争するのは軍人さんの仕事とだと気にも止めずに日常を過ごす人たち。
子供でもとても近くでない限り怖がったりはしない。
表面的には変わりないが、少しずつ人々は異常になっているんだろう。

「私も、人の事を言えませんけどね」

ハンバーガーに目を移す。
ルリの小さな手に収まったハンバーガーはすっかり冷たくなっていた。





昼食を摂取したルリは公園の中を散策する。
今日の実験は午前中に全て終了していたし、最近はナノマシンも馴染んで調整する時間も短くなっていた。
体力が無いのは体質故にしょうがないが、それでも研究室や何も無い自分の部屋にいるよりは公園の中を歩いた方がずっと有意義だ。

「あれ?」

何かを見つけた。
黒い布のようなものが、巨木の影からはみ出ている。
ルリは4才の時からこのセンターで生活していて、7才の時に公園が出来てから11才の今でも良く利用しているが、この公園で自分以外の人は愚か樹々以外の物を見るのも初めてだった。
少し興味が出た。
自然を装ってそれの前に回り込むように歩いていく。

「人?」

驚いて声が零れた。
そこには若めの青年が一人居た。
巨木に背を預けるように座っている。
それだけだ。
それ自体におかしい事など一つも無い。
ただその格好が異常だった。
真っ黒なバイザーに真っ黒な服。戦闘服だろうか、幾つもあるポケットにはゴツゴツした物が詰まっている事が布越しに見ても分かる。
更には身体を覆うような真っ黒いマントまでしている。さっき木の影から見えたのはこのマントだったらしい。
何だか、最初は敵として現れるけど最終的には心強い味方になってくれる五人組戦隊シリーズの黒い人みたいな格好の男を見て、ルリは春先でもないのにこんな人がいるのだと数秒間観察すると、その場を離れる事にした。
どうやら眠っているようだし、何より関わりたくない。

「誰か、いるのか?」

突然声を掛けられて、ルリは身体を強張らせる。
男の声はあたり前な事に年相応で20代前半の容姿に似合っていたが、何処かルリにはその一言が疲れきった老人の様に感じてしまった。

「はい」

声を掛けられて返事をしないのは失礼だと考え、取りあえず返事をする。
今度は逆に男が身体を強張らせた。

「何処の人間だ。軍か?火星の後継者か?どちらでもいい、殺すなら殺せ」

男はルリに視線も向けず虚空を向いたまま、告げた。
殺す。
特定の生命体の命を奪う事。
ルリは何故この男を自分が殺さなければいけないかよりも、男の言った単語に興味があった。
『火星の後継者』
それはいったい何だろう。
軍は軍を指す。なら『何処の』と言う事は男は軍を含めた複数の機関に命を狙われていると言う事だ。
ルリは軍事力を持つ組織の情報をある程度押さえているが、火星の後継者と呼ばれる組織は耳にした事がない。
思考を重ねる内に男に返事をしていない事を思い出し、ルリは少し慌てて言葉を返す。

「私、少女です」

何を言っているんだろう。
予想以上に取り乱していた事をルリは恥じるが、男は虚空を見つめたまま首を傾げるだけだった。

「少……女?」
「はい。まだ11才の少女ですから、あなたを殺す気も殺す事もありません」

良く良く思い返せば研究所職員以外の人間と話すのは、男が初めてかも知れない。
かも知れないと言うのは、ルリの4才までの間の記憶が曖昧なためであるが、今は関係ないので割愛する。

「済まなかった。驚かせてしまったな」

ええ、特に格好が。
表情は変えないが、本当に済まなそうに話す男にそれは言えない。
ルリは帰ろうとも考えたが、少ない好奇心が勝って声を掛けてしまう。

「ここで何をしているんですか?」

その質問は簡潔だった。
男は無表情のまま、少し困った様にまた首を傾げる。

「……本当に俺は何をしているのか。ここが何処だか分からないまま、ただ死ぬのを待っているのかも知れない」

一瞬ルリは馬鹿にされているのかとも思ったが、相変わらずの男の無表情を見ているとどうやら本音らしい。

「どこだか分からない、ですか?」
「ああ、視覚が……ほとんど無い。明るいか暗いか、分かるのはそれくらいだ。ここは森か何かか?」

ああ、それで。
男の顔がこちらを向かないのも、頷ける。
見えないのなら、相手の目を見て会話をする必要もない。
ルリ自身見えなかったらそうするだろう。

「いえ、ここは人間開発センター敷地内の人工自然公園です」
「なに?」
瞬間、男の形相を変えた。
驚愕。
男の顔にはただ驚愕が張り付いている。

「今は……何年だ?」
「え?」
「今は何年だと聞いている!」

先程までの落ち着いた態度が嘘の様に、男はルリの声がする方に怒鳴り声を上げた。
ルリは何か自分は変な事を言ったのかと思ったが、特に変な事は言っていない。
むしろ変なのは男の方だ。

「現在、西暦2196年です。それがどうかしましたか?」
「21、96年?」
「ええ、それでは私はこれで」
いきなり怒鳴られて少しむっとして答えてしまった。
今日の自分は少しおかしい、そうルリは思う。
驚いたり、戸惑ったり、怒ったりと、らしくない。
それもこれも全部この真っ黒な男のせいだ、答える事にも答えたし後は帰ろうとルリは踵を返して―。



「ルリ……ちゃん?」



すっ転んだ。
確かに男は「ルリちゃん」とホシノ・ルリの名前を口にしたのだ。
もちろんルリは名乗ってない上に、男に出会ったのもこれが初めてである。
男はぽかんとして口を開けていたが、傍目から見ても分かる程焦って顔を無表情に戻す。

「どうして……私の名前を知っているんですか?」
「何でもない、他人の空似だ。引き止めて済まなかった」
「でも、私の名前もルリです!」
「偶然だ。暗くなる前に帰れ」
「ですが……」

ルリが言葉を掛けても、それ以上男が口を開く事は無かった。





途中夕食を買い、部屋で手早くシャワーを浴びて一息つくと、ルリは午後に公園で会った真っ黒な男の事を考える。
公園から帰る途中から今までずっと思考を繰り返していたが、あの男は矛盾ばかりだ。
最初はルリは男がセンターに侵入した工作員か何かかとも思ったが、目が見えない人間が破壊もしくは情報工作など出来るはずもない。
まして男は「ここが何処か分からない」と言ったのだ。
少なくとも工作員説は消える。
と言うか、本当に目が見えないならどうやって入って来たのだろう。
もちろん目が見えないのならただのコスプレマニアと言う訳でもない。
しかし、男は最初の段階ではルリの事が分からずに「殺すなら殺せ」と言った。つまりは自分が軍またはその他組織に殺される可能性がある事を示している。
やはり人間開発センター目的ではないにしろ、何処かの工作員なのだろうか。
もし工作員であるなら、唯一のマシンチャイルド成功作であるルリを知っている可能性はかなり高い。
でも男は目が見えない。それは確かだ。
人間開発センターには、ルリ以外にもマシンチャイルド候補は幾らでも存在する。
それを考えると11才と言う情報があったとしても、声紋まで完璧に覚えている工作員がいるだろうか。
男が目が見えないふりをしていると言う可能性もある。
しかし、現在位置を知るためだけに目が見えないなどと、いつバレるか分からない嘘をつくだろうか。
違う。観点が違う。
男の態度から察するに『場所』よりも『時間』の方が大切だった様に思える。
ルリの名を呼んだのもその後だった。
しかし、もしかしたら男が全て演技をしているという可能性も―…。

「……やめよう」

可能性を考えていったら、全てにおいて可能性がある事になる。
確かな事は、男がルリを「ルリちゃん」呼んだ事。
『ちゃん付け』。
身近で親しい人間に対する愛称。
矛盾。
言動にも行動にも矛盾ばかり。
ふと、ルリは自分が他人の事をここまで考えるのは初めてではないかと思い、溜め息をつく。

「おやすみなさい」

ルリはベッドに寝転がると、また溜め息をついた。
やっぱり今日の自分は何処かおかしい。
あの男に会ってからだ。
ルリは生まれて初めての理解出来ないというイライラを感じながら浅い眠りについた。




感想は第五話でまとめてあります