『ナデシコ、許すまじ!』

ついさっきまで髭面のおじさんたちが映っていたモニターから、そんな声が聞こえたような気がした。
おじさんたちとは言っても、連合宇宙軍の提督たちなのだが。
ナデシコは現在、第4防衛ラインを突破。
いよいよ宇宙、と言った雰囲気。
だが、このまま地球圏突破とまではいかない。
先程の連合軍からの通信は、言わば最後通告。
これ以上進むなら撃墜してでも止めて見せると言う意味。
それに対し、ナデシコのブリッジ面々は――。

「やっぱり、着物っていいよね〜。あ、そうだ、アキトに見せに行こっと」
「駄目です、艦長。仕事をしてください」
「え〜、いいじゃないですか、プロスさん。ちょっとだけ」
「駄目です」

何故か、和服だった。
ルリも小さめの物を身につけている。
こんな状態で、しかもあの艦長に応対されたら、流石の軍人さんもキレるかもしれない。

「ルリちゃん可愛い〜♪」
「ルリルリも、よく似合ってるわよ」
「……はぁ、どうも」

何と応えればいいのか。
格好を誉められるのも、初めてだ。

「ルリルリ〜、アキさんに見せられなくて不満、かな?」
「……アキは、関係ありません。それに、アキは見えません」
「それでもいいじゃない。気分の問題よ」

ミナトの言葉に、無愛想に返す。
着物に腕時計は合わないが、ルリは気にせずに付けている。
アキに見せる。
別に、見せたところでどうと言うことはないが、興味はあった。
だけど、少し恥ずかしい。

「見せたら……」
「ん?」
「見せたら、アキは喜びますか?」

ミナトは初めきょとんとしていたが、動き出すとルリに近寄って来てルリの頭を抱きしめた。

「うん、喜ぶと思う。今は忙しいくて無理だから、後で着方教えてあげるね。あ〜もう、ルリルリ可愛いなぁ!」

されるがままに撫でられた。
髪が解けるからあまりぐしゃぐしゃにはしないで欲しいと思うが、ルリは口には出さなかった。
アキに撫でられるのとも違うが、ミナトに撫でられるのも温かい。
アキが喜ぶなら、いつか見せに行くのもいいかも知れないと思った。
それにしても、今の状況は緊張感がない。
このあとには第3防衛ラインの有人宇宙ステーションからの宇宙戦闘部隊。
無人武装衛星からの大型ミサイル群。
そして地球圏最大の難所、ビックバリア。
割と厳しい状況なのだが、皆は理解しているのだろうか。
絶対に理解していないだろうが、その中でルリも段々とナデシコなら何とかなる。
あの人なら何とかしてくれる。
そんな気がしてきていた。








地球連合宇宙軍の宇宙ステーションサクラから発進した、九機のデルフィニウム。
デルフィニウム。
現時点で木星蜥蜴に対し、もっとも有効とされる有人機動兵器。
ロケットに手足を無理矢理くっつけたようなデザインをしているが、それは構造が単純で安価な証し。
そうでなければ大量生産など叶うはずもない。
何故、そのデルフィニウムが九機もナデシコに向かってくるかと言うと、第3防衛ラインが彼らのお仕事だから。
ルリはモニターを見る。

『テンカワ・アキト、僕と勝負しろ!僕に勝ったら、ナデシコをこのまま通してやる!』
『な、なに言ってんだこいつ?』
『くうぅっ、敵の大将と一騎打ち、燃える展開だぜ!おい、アキト、まさか受けない訳ないよな!?』

……バカばっか。
デルフィニウム部隊を率いてナデシコに立ち塞がったのは、元ナデシコ副長のアオイ・ジュン。
艦長ユリカ登場の際から彼女の背後にいたらしいが、どういう訳かルリの記憶に全くない。
影が薄い、ルリは彼をそう判断した。
実績を見れば、地球連合大学もかなりの成績で卒業している。
そして、トビウメにユリカが赴いた時に、どうやら置いて行かれたらしい。
しかもジュンはユリカに片思いをしているらしく、艦長がトビウメで「ナデシコには、私の王子様が乗ってるんです」なんて言ったもんだから、事態はめちゃくちゃ。
ジュンはナデシコを止めるためにナノマシン処理を受けたし、更にテンカワ・アキトに対して並々ならぬライバル心を持ってしまったようだ。
説明が全部不確定なのも、彼の影が如何にも薄いかを示している。
ナノマシン処理は、軍で昇進するためにはマイナスにしかならない。
あまり良いイメージがないから。
ルリ自身は、物心ついた時には身体にナノマシン処理が施されていたため、その評価を理解したいとも理解しようとも思わない。
しかし、好きな女性のために職場での人生を捨てるのは、大抵の覚悟ではないのだろう。

「ジュンくん、アキトのエステ撃っちゃダメだよ?アキトはユリカの大事な人で……あ、でも、アキトは男の子だもんね。アキトが決めたことなら、私、止めない!最後まで頑張って〜!」
『だ・か・ら、俺を巻き込むなぁぁぁ!』

恋は盲目とは言うが、ルリはユリカを見て、ああはなりたくないと願う。
その前に恋どころか相手すら見つからないと思うが。
またモニターを見る。
あんなんでも、隊長は隊長。
他の八機のデルフィニウムは忠犬のように、アオイ機の周りに下がっている。
良く訓練された軍人なのだろう。
中央にはテンカワ機とアオイ機。
無駄な被害もお金もかからず合理的だと、ナデシコの面々、主にプロスも賛成している。
そして二人の戦いが始まった。
戦いと言っても、要はど突き合い。
スピードに任せて突っ込んでくるデルフィニウムを、アキトは紙一重で回避し続ける。
もちろん、アキトに戦う意志などないのだが。

『なんで、地球人同士で戦うんだよ!』
『うるさい!ユリカを守るナイトは僕だったんだ!ユリカが地球に帰ってからずっと……ずっと……』
『だから、俺はユリカとはそんなんじゃ』
『言い訳なんか聞きたくない!』

聞く耳持たず。
話し合いで解決できない程、頭に血が昇っているようだ。
ルリはモニターの端をジトっと見る。
こういうもめ事ならあっさり一刀両断しそうな黒い機体は、ヤマダ機と並んで勝負を見守っていた。
もしかしたら、本当にアキトが嫌いなのかも知れない。

「止めないんですか?」

バレないようにこっそり通信を入れる。

『……何故、俺が』

返って来たのは、はっきりとした不愉快そうな声。
面倒だ、と言葉が続くのが分かる。

「理由はありません。でも、アキなら止めると思ってました」
『……ここで負けるようなら、あいつはコックに専念すればいい。どちらにしろ、デルフィニウムの燃料はもう直ぐ切れる』

それは負けるようなら助ける、と言っているのと同じに聞こえた。
ルリはデルフィニウムの情報を割り出すと、確かに燃料はあと僅かだ。
だが、それはあちら側もわかっているのか、周りの八機は今にも勝負に割って入りそう。
このまま勝負が長引けば、ナデシコの負担が増す。
ましてや、これから第2防衛ラインまでの移動の間に、全て終わらせて回収できるとも限らない。
それはナデシコの危機になる。

「…………」
『……止めればいいんだろう。だから、睨まないでくれ』

しぶしぶ、それでもルリの要望には対応してくれる。
どうしてだろう。
アキはいつも理由も聞かず、ルリを尊重してくれる。
考えるより先に、言うことがある。

「……ありがとう、アキ」
『……礼はいらん』

アキの通信が切れる。
照れている、のだろうか。
アキの機体。
アキの姿を表すように真っ黒だ。
黒。
アキの色。
だが、黒はアキに似合わない。
何故かは分からないが、ルリにはそう感じた。
アキはアキトに戦場に立つ人間ではないと言っていたが、ルリにはアキの方が戦場が似合わないように感じた。
どうしてだろう。
どうして疑問に思うのだろう。
ルリに優しいアキは、どうして戦うのだろう。
黒衣の機体は答えてはくれない。
ただ構えたライフルを、敵機に向けて撃ち放った。








アキの目の前で一機のデルフィニウムが、小破した。
損傷は極めて軽微。
しかし、損害は甚大。
だが、放たれた一発の銃弾は確実にデルフィニウムの推進力を奪い、機体を地球の引力に縛り付ける。

『あ、あいつ、撃ってきたぞ!』
『応戦しろ!』

仲間を撃たれた七機のデルフィニウムがお互いに声を掛け合う。
その間に、また一機。

『おい、何してんだよ!アキトのタイマンに……』
「ヤマダ、一機任せた」
『おっしゃぁ、任せろ!それと、俺はダイゴウジ・ガ』

アキは通信を切る。
乗せられやすく、扱いやすい。
それがヤマダ・ジロウと言う男だ。
ヤマダ機は一機のデルフィニウムと肉薄している。
ムネタケを降ろした以上、死ぬことはない筈だが、不安がないわけではない。
一応、気に掛けておこう。
二機撃墜して、ヤマダが一機、残った五機はアキを強敵と見たのか迫ってきた。
躊躇わずに撃つ。
一機が戦線を退く。
残りの四機の攻撃も急上昇して回避する。

『何だ、あのパイロットは!?』
『くそっ、やられた!』

続けて一機を狙い撃つ。
ヤマダも順調に勝利したらしく、機体の一部がへっこんだデルフィニュウムが地球に降下していった。
元々機体の性能差が大きい。
デルフィニウムはあっと言う間に数を減らす。
最終的に残ったのは、まだ戦っていたアキトとジュンの二機だ。

『た、隊長、ご武運を!あの黒い機体、ただ者では……』

最後に落ちていった一機の通信が届く。
やっと自分の置かれた状況に気が付いたのか、アオイ機が動きを止める。

『ぜ、全滅……。何故だ!彼らを、殺したのか!?』
『え、何だ?他の人たちは?』

先に攻撃をしかけた人間が何を言うのか、と思いつつも、アキトの台詞に我ながら情けないような気分になる。
もうテンカワ・アキトとアキは関係のない全く別の人間だ。
だが、気に入らないのは事実。
テンカワ・アキト。
出来るなら、コックとして生き、結婚して幸せになってくれればいいのだろう。
料理の才能もある。
側にいてくれる人もいる。
それなのに何故、力を求めるのか。
コックにもなりたい、ナデシコも守りたい。
そんな幻想を叶えられる程、テンカワ・アキトは器用な人間ではない。
何かを求めれば、何かを失う。
大切な、何かを。
昔のアキのように。

『答えろ、黒い機体のパイロット!』

どうやら考えに没頭していて、ジュンを無視していたようだ。
アキは極力、活動を控えるようにしようと思っていたのだが、頼まれた以上手を出さない訳にはいかない。

「……死者はゼロ。これでいいか?」

答えはしたが、もちろんジュンではなくナデシコの方。
広域通信なので意味はあまりない。

『……アキさん、強いですね』
『……うん』
『はい。無理を言って、ごめんなさい』

メグミ、ミナトの会話が混じったようだ。

「気にするな。あとは……」

ルリに返事を返すと、アキは放置していたアオイ機に目を向ける。
アキは銃を構え、そのままジュンに突きつけた。
機体の機関部ですらない、コックピットを狙って。

「選べ」
『な、何をだ』

ジュンからの返事には、明らかに怯えが含まれている。

「くだらない喧嘩を止めてナデシコに投降するか、ここで撃たれて終わるか、だ」
『くだらないだと、彼女がこのまま行けば、彼女は地球に居場所を失うんだぞ!そんなこと……』
「詭弁だな」
『なにっ!?』

アキはジュンの言葉を切り捨てる。

「言葉で誤魔化すな。お前が守りたいものは何だ?」
『……僕は、ユリカが守りたい。だから、ここで僕が死んでもユリカを止めなくちゃいけないんだ』

ジュンはアキの言葉に真っ直ぐに答えた。
アキはジュンを見て、苦笑する。

『な、何が可笑しい!』
「……お前意外に誰がいる」
『馬鹿にするな!』
「……好きな女を守りたいなら、何故敵に回る。ナイトの役はテンカワ・アキト以外がなってはいけないのか?」
『それは……』

ジュンは言葉に詰まった。
彼とて好き好んで敵役をやりたい訳ではない。
アキトを見ると、名前を出されたせいかおどおどしていた。

『か〜、あんた熱いぜ!惚れた女のために命をかける、格好いいじゃねぇか!気に入った!』
突然、通信に割り込んできたヤマダ。
ヤマダのエステは、素早くアオイ機に回り込むと機体を掴んだ。
いきなり機体の自由を奪われ、アオイ機は暴れる。

『や、やめろっ!』
「燃料はもうほとんど無い筈だ。それに、まだナイトの席は空いている。そうだろう、艦長?」

名前を出されて、アキト同様にユリカもおどおど。
今までの真剣な雰囲気を黙って聞いていたブリッジ面々も、ユリカ注目している。
ユリカは少しの間、悩むような仕草を見せると、満面の笑みで言い切った。

『よく分かんないけど、ジュンくんがきてくれたら心強いな♪』
「ユ、ユリカ!」

その一言で、ジュンはあっさりと陥落した。
ヤマダとアキトに連行されていくアオイ機を見ながら、アキは溜め息を吐いた。
最初から、ユリカが説得すれば良かったのだ。
これでアオイ・ジュンは悪くて減給程度の処置で、ナデシコの副長に復帰する。
結果上手くいったとは言え、アキからすれば重労働よりもずっと疲れた。
休んでもいられない。
第2防衛ラインが間近に迫っている。
ナデシコのディストーションフィールドなら、ミサイル程度で破られると言うことはない。
しかし、最終防衛ラインであるバリアを抜けるには、フィールドの出力が最大でなければいけない。
ミサイルが命中すれば、フィールドの出力は落ちる。
そこで、アキがもう一仕事しなければいけない。
また溜め息が出た。

『アキ、どうしました?』

ルリから通信が入る。
いつまでも帰還しないアキを心配しているようだ。
アキは顔を上げた。

「……何発か迎撃する。ナデシコはそのまま進め」

アキの返答にブリッジは困惑する。

『……それってヤバくない?』
『危ないですよ』
『大丈夫なんですか?』
『あ、てめぇっ!また俺の出番を!』
『…………アキ』

ミナト、メグミ、ユリカに割り込むヤマダ。
アキ自身、特に問題のある作業ではない。
問題があるとすれば、名前を呼んで黙ったままのルリが一番問題がある。
たぶん、怒っているのだろう。

『まあまあ、皆さん。彼ができると言っている以上、可能なのでしょう』

こういう時こそプロスの役目。
アキは密かに感謝した。

『現状では、バリア突破が難しいのが事実です。頼りにしてますよ、アキさん』
「……了解した」

アキのエステはナデシコの前にたどり着く。
そこで残弾を確認した。
何とか、なるだろう。
ライフルを構え直す。

「言っておくが、全弾撃墜なんて器用なことは出来んぞ?」
『何発か落として頂ければ、儲けものです。あとは自己判断でお任せします』

危なくなったら帰って来いとのことらしい。
アキは思わず苦笑した。

『ミサイル接近、着弾まで三十秒』
『近い順に、マーカーで知らせます。無理、しないでください』

オモイカネが接近を告げ、ルリの言葉に続いて、ミサイルの位置が表示される。
ルリの顔がいつになく不安そうだった。
元より一発も着弾を許す気はないが、アキは気を引き締める。
標的を射程に捉えた瞬間、無機質なエステがナデシコの前に道を造った。








機体を降りたアキは、格納庫の端に座る。
さすがに、疲れた。
アキの身体は、あまり無理が出来る身体ではない。
だが、無理ができる内に無理をしなければ、一生後悔することになる。
一瞬、感覚が鈍った左手を握り直す。
最近では珍しくもない。
いつ戦えなくなるか、アキにとってそれだけが不安だった。
今なるのは困るが、少なくともまだ動く。

「ほれ、お疲れさん」

声を掛けられ、何かが投げられた。
受け止める。
感触から察するに缶コーヒーか何かだろう。

「あ、悪ぃ。目、見えねぇんだったっけか?あんまりそう見えないからよ」

声の主はウリバタケ。
プルトップを開ける音、そのあとウリバタケはアキの隣りに座り込んだ。

「……視覚が無いからと言って、何も分からない訳でもない。特に、ナデシコでは」
「そう言うもんか?」
「ああ」

アキは渡された缶を触る。
飲まなければ失礼だが、飲んでも意味がない。
懐にしまうことにした。

「……すげぇな」
「何がだ?」
「お前だよ。ブリッジの連中、驚いてたぜ。命中するもんだけ判別して撃つ、神業みたいなもんだ」

あの後、無事にバリアを突破できた。
大したことをしたつもりはない。
何年かエステバリスに乗ったパイロットなら、あれくらい難なくこなす。
しかし、今は時代が違う。

「何日か前に正式発表された機体だぞ。こっちですら完璧に性能把握できてないもんを、パイロットが先に理解してるんじゃ立場がねぇよ」
「……すまない」
「いや、責めてる訳じゃないが……」

アキの耳にくっくっと声がした。
ウリバタケが笑っている。
アキに気付いたのか、ウリバタケが話出す。

「いやな、もっと取っ付き難いヤツかと思ってたぜ」

アキとしては、あまり自分に関わって欲しくないとは思う一方、無碍にすることもできない。

「……格好が格好だからな」
「違いねぇ」

ウリバタケは、遂に声を上げて笑いだした。
その様子を整備班一同は、遠巻きに注目している。

「まぁ、あれだ。あんまり無理すんなよ?」
「無理は、していない」
「リミッター、直しといたぜ」

アキはギクッと身体を固めた。
はっきり言って、まともな人間が乗れる機体ではないように設定して置いた。
いつかバレるとは思っていたが、それが割と早かった。

「あんなんに乗ってたら死ぬ。間違いなく」
「それでも……必要だ」
「なぁ、いくら仕事って言ってもよ。死んだら意味ねぇだろ?」
「……死んでも、守りたい者がいる。それ以上の理由はいらない」
「お前、副長より頑固じゃねぇか」
「…………」

アキが守りたいのは、この場所、この時、この人々。
そのためなら、命を削るのも惜しくない。
最初から、そのつもりだ。

「……何がそんなに大事かは聞かないけどよ。あんまり肩肘張るなって。お迎えさん、心配してたぜ」
「迎え?」
「あれだよ」

言葉の方向から、視線を感じた。
睨まれているような、居づらいような。
アキは何故か焦って、視線の方向に声を掛ける。

「……ルリ、か?」
「……はい」

そう言えば、ブリッジに収集がかかっていたことを思い出す。
忘れて、座り込んでしまっていたらしい。
アキは杖をついて立ち上がる。
普段あまり使わないようにしているが、辛い時にあるととても楽だ。

「整備班長、すまない。呼び出しだ」
「わあってるよ。あと整備班長はやめろ、お前は整備員か?」
「……了解」

ウリバタケは苦笑して、仕事に戻って行った。
アキもルリに近づく。

「すまない。少し、休んでいた」
「いえ、それよりアキは大丈夫でしたか?」

心配、してくれているのだろうか。
姿は見えない。
表情も見えない。
機体を降りてしまえば何も見ることはできない。
アキの隣りには、小さな少女がいる。
気配では分かっても、姿を見ることはできない。
相手の感情を判断するには、もう声色で判断するしかない。
自惚れでなければ、ルリは本当に心配してくれたのだろうか。

「……大丈夫だ。君は?」
「え、あ、大丈夫です」
「そうか」

アキは一安心する。
客観的に見て、アキならまだしもルリが怪我をすることはまずない。
それでも、アキからすれば心配だ。
困惑するルリを余所に、アキは杖を握りしめ、ブリッジに向かう。
ぐっと、マントを掴まれた。

「あの……」
「ん?」

ルリの、様子がおかしい。
全てのことに対し、言った以上ははっきりと言うのがルリだ。
何か、問題があったのだろうか。
アキの不安そうな表情に気付き、ルリは慌てて口を開く。

「……おかえりなさい、アキ」

おかえりなさい。
帰りを待っていた人が、帰ってきた人に告げる言葉。
アキはここ何年か、聞いたことがない。
最後に聞いたのは、家族と暮らしていた頃。
あの頃は、帰る場所があった。
言葉を返す人たちがいた。
もう二度と、誰からも聞ける筈はないと思っていた。
返事を、しなければならない。

「…………ただ、いま」

ルリはしばらく、マントを掴み続ける。
満足したのだろうか、急にルリはアキよりも先にブリッジの方向へ駆けていった。
何が何やら。
ナデシコに戻って来てから、嫌と言う程自分が変わってしまったことを思い知らされた。
それなのに、一つだけ変わらないことを思い出した。
ただいま。
アキが帰る場所。
結局、どれだけ変わってもここに帰ってくる。
どんなに傷ついても、守らなければならない場所。
ナデシコ。
アキの疲れて重くなった足取りは、少し軽くなっていた。








「あらら、ルリルリ〜♪顔赤いわよ?」
「……気のせいです」
「どうしたのかな〜?」
「何でも……ありません」

アキがブリッジに入ると、ミナトにルリがからかわれていた。
先程から、何だか様子がおかしいルリに、アキはただ首を傾げるだけだった。