葬式。
誰かを弔うための、葬るための式。
大きなお家での、お葬式。
参列者は、皆、喪服。
涙ながらに御焼香をあげていく。
ルリは、それをふわふわと見ていた。
第三者の視点とでも言えばいいのか。
誰もルリには気付かず、ルリが誰かに何かをすることもできない。
ルリは自分の身体を見る。
少し、透けていた。
これでは、ますます幽霊のようだ。
ふと、理解する。
ここは、夢の中。
誰の顔も、ぼやけて見えない。
見えないのに、遺影に写っている二人の人物が、誰なのか理解できた。
前の夢で見た、ラーメン屋台の店主夫婦だ。
参列者は、屋台に来ていた客の人たち。
あんなに幸せそうだったのに、どうして死んでしまったのだろう。
ルリには、関係ない。
だがそれが、酷く辛いことのように思える。
不思議な、空間。
こんな夢は、二回目。
前はラーメン屋台を見ていて。
それで、幸せそうな人たちを見て……。

「……あれ?」

何だったか、思い出せない。
記憶が、曖昧だ。
何か、とても怖い目にあった気がする。
ルリが思考している間に、場面は移っていた。
列を作って、全員が遺影の前に並んでいる。
皆が、目を瞑って手を合わせていた。
合掌、と言うものらしい。
ルリは、葬式に出たことがないので詳しくは分からない。
なぜだろう。
この葬式には、参列者ばかりだ。
親族は、いないのだろうか。
ルリが人を見渡すと、すぐに見つかった。
女性の遺影を持った、大柄な男性。
そして姉だろうか、大人な女女性に付き添われて遺影を持っているのは、独りの少女。
あれは――


「……また、私」


喪服に身を包んだホシノ・ルリ。
屋台のことを思い出す。
前回よりも、少し成長しているルリの姿。
あの少女は、前にも会ったことがある。
怖かった、恐怖させられた少女。
他の人が、涙を流している。
その中で、少女は涙一つ流すことなく立ち尽くす。
大事な人ではなかったのだろうか。
少女の表情は悲しみさえ読み取れなかった。
合掌は、まだ続いている。
それなのに、少女は途中で目を開いた。
迷い無く、少女はルリを見上げる。

「また、来たの?」

少女は、首を傾げた。

「来たんじゃありません。これは、私の夢です」

今度は、はっきりと否定する。
当たり前だ。
これは、全部夢。
葬式も、参列者も、少女も。
全部、夢。
まるで自分に言い聞かせるように、ルリは自らを奮い立たせる。
少女を見る。
少女は、ルリを滑稽そうにクスクスと笑っていた。
人を馬鹿にした笑い方。
嫌な、笑い方。
他人か自分か分からない相手だが、ルリは初めて目の前の『個人』を嫌いになった。

「……いなくなっちゃった」

少女が、ポツリと呟いた。
悲壮感も何もない、本当にただの呟き。
ルリは、怪訝に思う。

「悲しく、ないんですか?」
「何故?」

聞いたルリがおかしいのかと思ってしまうほど、少女は本当に不思議そうに言葉を返す。
少なくともルリには、遺影の人とルリが家族のように見えていた。
少女は、また笑い出す。

「別れは、少しの間。これで、もうずっと、誰にもあの人は縛られない」

クスクスクスクス。
支離滅裂な言葉を続ける少女。
狂気、と言うものなのか。
見ていたくなかった。
少女が何を言っているのか分からない。
唯一理解できるのは、『あの人』が少女の持っている遺影の男性と言うことだけ。
女の人がうんぬん以前に、男の人も死んでしまっている。
ある意味、もう誰にも縛られないと言うことなのだろうか。

「あなたには、死んだように見える?」
「え?」
「あの人はまだ死んでない。姿を変えても、何かをなくしても、まだ戦ってる。私は、あの人を受け入れる。あの人を、迎えにいく。絶対に、絶対に」

歌うように、囁くように、少女は言葉を止めない。
やがて、景色が崩れていく。
お葬式の光景も。
参列者たちも。
漆黒の世界。
ルリは取り残される。
少女と、二人だけの世界に。

「ねぇ、ホシノ・ルリ」
「……何ですか?」

気丈に返事をするが、怖くて仕方がない。
逃げたい。
これ以上、目の前の少女の言葉を聞きたくない。
ルリは少女を見て驚く。
少女の瞳から、涙が流れていた。

「私の大切な人が、見つからない。迎えにいきたいのに、場所がわからない。いや、なの。もう、失いたくない。見つけなきゃ。あの人の温かさを、知ってしまった。あいたい、あいたい……もう、誰にも、渡したくない」

さっきまで笑っていたかと思えば、嗚咽がまじり始める。
言っている意味は分からない。
彼女の立場が分からない。
一瞬の動揺。
少女はぽろぽろ落ちる涙を拭うこともせずに、ルリを見詰める。

「あなたには、大切な人がいる?」

質問は、前と同じ。
いる。
側にいてくれる人が。
大切な人が。

「…………え、あ」

だが、投げかけられた突然の質問に、ルリは答えるのを躊躇してしまった。

「私には、いる。ずっと一緒にいたい人が。迎えに、いかなきゃいけない人が。あなたには、いない?」
「います!」

否定の声は、大きくでた。
少女は驚いたのか、少し目を見開いている。

「……私にもいます。あの人は、私を大切な人だと言ってくれました。だから、私もあの人が大切です」

少女は、動かない。
ただルリの答えに、皮肉を含んだ笑いを見せた。
その笑顔が、怖い。
前もそうだった。
聞いては、いけない。
耳を塞ごうとするが、ルリの身体もまた、動かない。
少女は、ゆっくりと口を開く。

「ここは、あなたの夢」

少女が一歩、近づいた。
離れようとするが、身体は、動かない。

「あなたが二度と目を覚まさなかったら、その人にはもう、あえないよね?」

背筋が凍りついた。 また少女が一歩、近づく。
逃げなくては。
脚も、腕も、瞼も、全部動かない。

「や…………だ」

僅かに動いた唇からは、情けない拒絶。
近づくなとも言えず、やめろとも言えず。
少女は、涙を流しながらクスクスと笑っていた。
怖い。
恐い。
真っ黒な世界。
前は、どうしたのだったか。
独り残されて、少女がルリに成り代わってて。
暗い道を走って――

そこまで思い出して、ルリは安心した。

一言、助けを求めればいい。
安堵の笑み。
ルリは、名前を呼んだ。

「……アキ」

視界が、真っ黒に染まる。
悪い意味ではなく、いい意味で。
視界を塞いでいるのは、あの人の黒衣だ。
ルリと、もう人のルリの間に、アキが立っていた。
夢は、自分に都合良くあってこその、夢。
呼んだら、また来てくれた。
身体はもう動いている。
ルリは、アキの右手を握った。

「また助けてくれて、ありがとうございます」

後ろから、頭を下げる。
アキは、何も応えない。
いつもと違う。
アキなら『礼はいらん』とか言ってくる筈だ。
アキを見る。
アキはもう一人のホシノ・ルリを睨んでいた。

「…………え?」

声を漏らしたのは、ルリではない。
少女は、予想外とばかりにぽかんと口をあけている。
何も知らない、と言った顔。
ルリもアキと会ってからは、時々そんな顔をする。
少女の顔は、その時のルリと全く同じだった。

「どうして?」

少女はルリではなく、アキを見つめて問う。
無表情の瞳からは、また涙。

「どうして、その子の側にいるんですか?アキって、何ですか?違う、その子じゃない。私が、私があなたの側にいたのに!あなたの本当の名前は、本当に帰ってくる場所は……」
「それ以上はやめておけ」

アキが、初めて口を開いた。
アキは、ルリの手を握って少女の隣を通り過ぎた。

「この子が、知るべきではない。知らなくてもいいことだ。ルリは、ここから連れていく」
「違う……ルリは私です!あなたは私を置いていった!忘れたんですか!?」

少女の激昂は止まらない。
口調が、はっきりルリと重なった。
どういうことなのか。
少女とアキが知り合いなら、今の自分はルリではないのだろうか。
早く、夢から覚めればいいと思った。
アキは少女を、振り返る。

「忘れたことなどない。忘れていたら、ここで君に会えはしない」

アキは、少女に近づいていく。
どこから取り出したのか黒いハンカチで、少女の涙を拭った。
ハンカチをしまい、左の手で少女の頭を撫でる。
少女の顔は、赤くなっていた。
気に入らない。
酷く、気に入らない。
少女がルリに接する時とは、態度が違いすぎる。

「……すまない」
「……今は、これでいいです」
「ありがとう」

アキは、苦笑していた。
ルリからすれば、少女に対して笑ってほしくはなかったが、我慢する。
少女の瞳は、まっすぐアキを捉えている。

「渡しません。あなたを誰かには渡しません」

きつく、睨まれた。
ルリはアキの後ろに隠れ、少女を睨み返してやる。
怖くない。
今はアキがいるから。
アキが手を振ると、少女は控え目に手を振り返して消えてしまった。
意味も、内容もよくわからない夢。
何だったのか何て、考えたくもない。
ただ、分かったことがある。
あの少女は敵だ。
何となく、勘が警報を鳴らしている。
夢の中だと言うのに、段々眠くなってきた。
アキに手を引かれて、こっくりこっくり船を漕ぐ。

「……眠いのか?」
「はい……少し、疲れました」

こくんと、頷く。
帰り道、ルリは初めておんぶと言うものを経験した。
顔は、赤いだろう。
現実ではなくて良かったと思う一方、現実ではなくて残念な気もする。
眠る。
温かい。
アキの歩くリズムが心地いい。
変な感じ。
夢の中で眠る。
もうすぐ目を覚ますのだろう。
夢の中の出来事は、起きた時にはほとんど覚えていないらしい。
このことだけは覚えていたらいいな。
そう思った。








ゆさゆさ。
身体を揺すられ、目を開く。
ここは、ブリッジ。
オペレーター席に突っ伏して、ルリは眠っていたらしい。
肩には、上着がかけられている。
ルリの隣には、ミナトがいた。

「あ、やっと起きたわね。ダメよ、居眠りしちゃ?」
「居眠り……?」

ブリッジには、ミナトとルリとフクベ提督しか残されていなかった。
他の人は、どこだろう。

「あら、疲れてたの?無理ないか、サツキミドリ着くまでルリルリ頑張ってたものね」

サツキミドリ。
確かサツキミドリ2号に向かってて、戦闘が始まってて、アキが飛び出していって。
アキ。
何かを、忘れているような気がする。
戦闘の間、ルリは各エステにデータを送っていた。
補充パイロットの三人。
強くなったバッタたち。
一人が撃墜されそうになって。
アキが庇って……。

「アキは?」
「んふふ、起きてすぐそれかな、ルリルリ〜?」
「え、その………」

からかわれる。
そう言えば、最近アキが中心になっていることに気がつく。
何故だろう。
面白い。
楽しい。
そして、大切。
やっぱり何か忘れているような。

「大丈夫、誰も怪我なし。今はナデシコクルーは自由行動で新しいパイロットの娘、紹介するってみんないっちゃったの。ルリルリも行きたいなら行っていいわよ」
「いえ、別に私は……」
「アキさんも戻ったばっかりだからいると思うし、ルリルリが眠る前に、お説教するって言ってたけど?」

そうだった。
昨日今日した約束を忘れて、アキはまた無茶をした。
一歩間違えば死んでいたのだ。
しっかりと言い聞かせる必要がある。
ルリは、慌てて立ち上がった。

「すみません。やっぱりいってきます」
「ん。いってらっしゃい」

バイバイとミナトは手を振った。
ルリは、ブリッジを出る。
本当に忘れていたのは、約束のことだろうか。
もっとアキに関する重要なことだった気がする。
アキの正体と言うか、根底に触れるようなこと。
それと、温かいこと。
ルリは違和感を覚えながら、格納庫に向かった。









「はじめましてーっ!アマノ・ヒカルで〜す!好きなものは、ピザのはしの硬くなったとこ。スリーサイズは上から82、56、84、ちなみに18歳の独身で〜す!」
『うおおおおぉっ!』

轟く歓声。
仮設ステージの上で、パイロット三人娘の一人、アマノ・ヒカルはノリノリだった。
ギャラリーのテンションは最高潮。
整備班は元より艦長やブリッジ要員、果てはプロスペクターが司会を勤めている。
サツキミドリ2号へは、無事到着。
補給が終わるまでの数日間、クルーはナデシコ内での自由行動、もしくは手続きをしてサツキミドリ内を行動していいことになっている。
戦闘が終わり、しばらく機体の調整をしていたアキだったが、出てみればこの惨状。
今は、少し離れた場所で騒がしい声をぼんやり聞いていた。
新人パイロットの紹介兼、歓迎パーティーらしい。
ホウメイとホウメイガールズが料理まで用意していると、先ほどウリバタケから聞いた。
無事に到着することができた。
初めて、大きく変わった未来。
良く変わった点もあれば、悪化した点もある。
アキは、一概には喜べない。
アキが直接何をした訳でもないが、居たたまれない気持ちになる。
楽しそうな声。
自分がいては、雰囲気が悪くなってしまう。
アキはバイザーを押さえ、かけ直す。
出ていこう。
極力、クルーの日常に関わるべきではない。
戦闘で役に立てれば、満足だ。
杖を握り締める。

「はい。エントリーナンバー1番の、アマノ・ヒカルさんでした。元気で明るくて、かわいいお嬢さんでしたね」

プロスの声がした。
ヒカルの紹介が終わったらしい。
相も変わらず、言葉に淀みがない。
会計やシークレット・サービスよりも、式場や舞台の司会をやっていた方が似合うのではないかと、アキは思う。

「それでは、次の方に登場していただきましょう。エントリーナンバー2番、スバル・リョーコさんです」

何故か、無意識の内に足早になる。
カンカンと、段を昇る音。
堂々と壇上に登場する姿が目に浮かぶようだ。
マイクが、渡った。

「スバル・リョーコ、18歳、パイロット。特技は居合い、好きなものはおにぎり、嫌いなものは鳥の皮」

冷めた声。
会場は会場で盛り上がっているが、アキは逃げるように出口に向かう。

「あー、そうだな。あんまり言うこともねーが、一つだけ言わしてもらう」

出口まで、あと少し。
リョーコが大きく呼吸した。

「黒いエステのパイロットはどいつだ?こそこそすんな!とっとと出て来やがれっ!勝負しろーっ!」

視線が、アキに集まった。
アキの周りにいた人間が、ざっと避けてスペースを作る。
そのまま出れば良かったのだが、アキは止まってしまった。
視線が、痛い。
一筋の汗が流れた。

「おー、カッコイーっ!コスプレ?お仲間お仲間〜?」
「コスプレ……コスチュームプレイ……駄目。いいのが浮かばない」

やっほーと、アキに手を振るヒカル。
ぶつぶつ何かを考えるイズミ。

「……てめぇか。とっくに居なくなったのかと思ったぜ。クロ助、そこを動くなよっ!イズミ、ヒカル取り押さえるぞ!」
「「おーっ!」」

いまいち状況を理解していないクルーを余所に、事態は悪い方向へ。
迫り来る三つの気配。
勝負はリョーコだけではなかったのだろうか。
考えている暇はない。
アキは走る、全力で。
杖をつかなくても、ナデシコ内ならある程度移動は楽だ。
道を記憶しているし、何より細部に渡って感覚が覚えている。

「あ、こらっ、逃げんな!往生際が悪いぞ!くそっ、何であんなにはえーんだよ!」
「リョーコが追っかけるからじゃない?」
「野郎共、加勢してやれ!アキ捕まえたら、リョーコちゃんがキスしてくれるってよ!」

火に油を注ぐ馬鹿がいた。
変な叫び声が上がり、追いかける人数が何倍にも増える。
アキは、あとでウリバタケに蹴りをいれることにした。

「お、おいっ!誰もそんなこと……」
「まあまあリョーコ、サービスだと思って♪」
「んなこと絶対にしねぇぞ!」

そんな言葉が聞こえる筈もなく。
群集は止まることを知らない。

「ふむ。お困りのようでしたら、ここは一つ私が……」

壇上に残ったマイクを、誰かが拾い上げた。
加われば、本気で捕まる危険性があるだろう。
アキはプロスにも鉄槌を下そうかと考え、逃げることを優先した。








通路に備え付けられた座席。
アキは、腰掛ける。
場所は食堂に向かう通路。
パーティーに料理が運ばれていたため、食堂には最低限の人間しかいない。
だから、ここを通る者も少ない。
逃げに逃げた。
溜め息を吐く。
自室に隠れて鍵をすればいいと、自室に向かったアキだが、入り口は数名に押さえられていた。
酒が振る舞われ、泥酔の者もいた筈なのにチームワークだけは衰えない。
仕方なく、時間を潰すことにした。
ナデシコにいる自分に違和感を感じる。
こうして皆と悪ふざけできる人間では、もうない。
迷惑を、かけているんじゃないだろうか。
見るからに不審。
正体、経歴共に不明。
失明していて、おまけに無愛想。
どこをどう好意的に見ればいいと言うのだ。
誰もが、自分と距離を置いてくれればいいとアキは思う。
自分のせいで敵が強くなり、旅に危険が増えたことを知ったらクルーはアキを憎むだろうか。
関わらなければ、余計な不安を持たなくて済む。
アキに近付かなければ、誰もが楽しい旅を続けられる。
それを叶えるために、アキは自分を犠牲にしなければならない。
他に、犠牲に出来るものなど持っていないのだから。
左手を手を握る。
軽く、痺れていた。
最近では、IFS接続の度にこんなことになる。
身体のどこかが麻痺したり、五回に一回くらいには――

鋭い、痛み。

チクリ、とかの痛みではない。
身体を内側から喰い破られるような、激痛。
歯を、食いしばる。
制御仕切れなくなった体内のナノマシンが、一斉に暴走しているのだ。
前は、こんなことはなかった。
痛みから護ってくれた人が、ラピスがいてくれた。
今は、もうアキ独り。
この痛みは、受け入れなければいけない。
立ち上がる。
拳を作って、壁を思いっきり殴りつけると、壁は大きく陥没した。
ヤマサキに投与された未知のナノマシン。
解析できた物もあれば、出来なかったものもある。
アキは椅子に座り、頭を押さえた。
髪を、かきむしる。
自分の顔は、爛々と輝いていることだろう。
遊び。
科学者たちはそう言っていた。
この痛みも、人間離れした力も、この顔も。
どれもA級ジャンパーだろうがなかろうが、全く関係ない。
あいつらは、ただ面白がって、笑って、無針注射器を手に迫ってくる。
何人も、死んだ。
データを取った人間から、どんどん娯楽のために死んでいった。
たった独り、アキは生き延びた。
だから、アキは堪える。
自分は生きていてしまったのだから、と痛みを受け入れる。

「…………はは、は」

笑ってしまう。
顔を光らせ、合金製の壁をへこませ、苦悶を浮かべて。
他人が見たら、何と言うだろうか。
化け物だと罵って、銃を手にアキを殺すのだろうか。
別に殺されたって構わない。
死人が、また土に還るだけだ。
誰も悲しむ人もいない。
誰も本当のアキを知っている者もいない。
ふと、気が付く。
一人だけ、見てほしくない人がいた。
彼女にだけは、この姿を見られたくない。
彼女は、化け物でも殺すことを躊躇う人間。
そんな思いをされるくらいなら、自害する。
痛みが引いてきた。
よろよろと立ち上がり、壁に寄りかかると身体を預ける。
時間はかなり経った、部屋に戻るのにはいい頃合い。
なのに、足は立つのが精一杯。
歩き方を忘れてしまったように、崩れ落ちるのを必死で止めている。
情けない。
こんな状態で、よくナデシコを守るなどと言えたものだ。
アキは足の力を抜いて、その場にへたり込む。

「アキッ!」

声は、案外アキの近くから聴こえた。
本当に、自分が馬鹿みたいに思える。
今日に限って、今に限って。
見られたくないと願った相手に、会ってしまう。
ままならない。
神がいたなら、必ずアキの敵に回る。
ルリは、アキに駆け寄って来た。
どう接していいか、分からないのだろう。
一歩分の距離を保っている。

「……すまない。こんな所にいては目障りだな。今、部屋に戻る」

自然に返したつもりが、キツイ言葉遣いになる。
逃げ出したい。
一刻も早くこの場から。
アキは再び立ち上がろうとして、右手を引かれた。
小さな手が、添えられている。

「……医務室、行きましょう」

ルリは、しっかりとアキの手を握っていた。

「やっぱり怪我したんですか?だから言ったんです、自分を大事にしてくださいって。今度からは庇う前に自分のことも考えて」
「…………離せ」

アキの手を引いて、医務室に連れて行こうとするルリ。
口数が多い。
ルリなりに、何も見なかったことにしようとしているのかも知れない。
アキは少し手に力をいれるが、ルリは離さない。

「……イヤです」
「俺のことは、放っておけ。……ただの怪我じゃないことくらいわかっているだろう」
「…………」

ルリは、何も答えない。
アキは左の手で、ルリの手を解く。
最悪だ。
何もかも。
ルリに声を掛けようとして、止める。
化け物が、これ以上少女を傷つけ、脅えさせてどうすると言うのか。
戻ろう。
明日から、ルリに会わなければいい。
黙って、反対を向いた。

「……あなたは、いつも独りですね」

ルリが口を開いた。
身体が、強張る。
これでは脅えているのはアキの方だった。

「全部独りで抱え込んで、誰にも助けてもらわないで……何をやろうとしているかなんてわかりません。だけど、誰かを頼ったらいけないんですか?私は、そんなに頼り無いですか?」

ルリは、溜まった鬱憤を晴らすかのように喋り方続ける。
アキは、返す言葉を探す。

「……そんなことは、ない」

絞り出た声は、震えていた。

「嘘です。今だって、何なんですか?光ったって、そんなの恐くも何ともありません。どうして自分から離れようとするんですか?」
「だが……」
「アキは、アキです。私の手を握っていてくれたのも、ここで苦しんでいるのも……アキです。私は、絶対にあなたを恐いとは思いません」

かつかつと、通路に小さな足音が響く。
ルリはまた近づいて来て、アキの手を握った。
引っ張られる。
弱く、小さな力で。
ルリに怒鳴られるのは、初めてだった。
本気で、怒っている。
アキは動けないでいた。
ルリは、本当に恐くないのだろうか。
化け物みたいな自分の手を、何故まだ握れるのだろうか。
何で、こんなにも真っ直ぐ自分のことが見れるのだろうか。


何故ルリの言葉に、こんなにも自分は救われているのだろうか。


アキは、ルリの手を握り返した。

「…………ルリ」
「いつも助けられてるのに、アキが傷付くのは……不条理です。痛みますか?病気でも怪我でもいいですから医務室、行きますよ?」
「いや、その、これは……だな」
「言い訳は聞きません」

ピシャリと言葉は遮られ、アキは黙って手を引かれる。
しばらくルリと歩く。
長い、沈黙。
アキは焦る。
このまま連れて行かれる訳にはいかない。
立ち止まる。

「これは……持病のようなものだ。医者に行くほど酷いものでは」
「……持病ならなおさら診てもらった方がいいと思います」

確かに、もっともだ。
冷や汗をかく。
何と言えば、ルリは引き下がってくれるだろうか。

「いや、薬がある」
「薬、ですか?」
「ああ」
「……嘘っぽい」

内心、動揺。
もちろん、アキは薬など持っていない。
嘘はつきたくないが、他にどうしようもない。

「……ある。大丈夫だ」
「本当に?」
「……………………」
「………………はぁ」

念を押されると、途端に罪悪感が増す。
何も答えられないでいると、ルリは溜め息を吐いた。
小さな視線が、アキを見上げた。

「アキ……」
「……すまない」

頭を下げ、謝る。
見破られる以前の問題なのだと、アキは少し不甲斐なく思う。
打つ手なし。
アキがうなだれると、くいくいと袖を引かれた。

「座ってください」
「ん?」
「いいから、座ってください」

アキは床に座る。
何故か、正座をしなければいけない気がして姿勢を正した。
ルリはアキの正面に座る。

「もう、痛くはないんですね?」

痛むのは十分前後。
ルリが来た時点で、ほとんど痛みはなかった。
こくん、と頷く。

「ナデシコが地球に帰ったら、ちゃんとした病院にいくこと。これ以上、無理はしないこと。約束、できますか?」
「……………………」
「できますか?」
「わ、わかった」

ルリに、睨まれる。
妙な威圧感に、アキは押し負けた。
さすがにここで指きりはしないらしい。
ルリはアキの隣に移動する。

「もっと、頼ってください。微力ですが、できることなら力になります」
「……ありがとう」
「今度またあんなことになったら、強制的に医務室ですからね?」
「む…………」
「反論が、ありますか?」
「……ありません」

いつからルリは、こんなに強くなったのか。
アキは、遠くを見てまたうなだれた。
他人から見れば完全に尻に敷かれているのだが、二人の会話を妨げる者はいない。
のんびりとした沈黙は、二人の間では日常になっている。

「夢……また見たんです」

ルリがぽつりと呟く。

「夢?」
「はい。よく覚えていませんが、またアキに助けてもらいました」
「……そうか」
「アキには、大切な人がいますか?」

ルリの問い掛け。
大切な人は、沢山いた。
もう、二度と会えない家族。
戦いを共にしたナデシコの人間も大切だ。
今は、もういない。
この場所は、もちろん守りたい。
この場所で、この世界で守りたい人間は――


「ルリは、大切だが?」


「………………そうですか」

よく分からないが、ルリは長い沈黙の後にそう応えた。
そういえば、ルリはどうしてこの場所に来たのか。
食堂に人はいない。
アキが見つからないのなら、パーティーは再開している筈だ。

「そう言えば、どうして君はここに?」
「………………別に、たまたまです」

変に、間のある返事。
アキは、首を傾げて追求はしなかった。

「そろそろ、いくか?」
「…………はい」

ゆっくりと立ち上がる。
もう必要ないのに、ルリはまだアキの手を引いて歩いた。
小さな気づかい。


アキは少しだけ、昔の笑顔で笑った。





管理人の不定期感想。


ご無沙汰な感想です。


話がどんどん進んできましたね。天城さんのおかげでこのサイトもアクセスが伸びてきてますよ、ええ。
感謝ですね。

さて、本題。

アキの見せる優しさとかが光ってますね。

他人を拒絶しようにも周りがそうはさせない。というか、呼んでもいないのに必然的に人が寄ってくる。
本質は変わっていない、とはこういうことを言うんでしょうか。

ルリが見る夢もきになりますし、ユーチャリスの行方とかも気になります。
健康は第一ですが、続きを大いに期待します。

では。