火星。
見捨てられた、孤独な星。
守りきれなかった、誰かの故郷。
ほぼ一年前、火星に謎の機動兵器群が襲来したのは周知の事実。
火星駐屯連合軍第一艦隊及び援軍に駆けつけた連合軍第二艦隊の徹底抗戦を受けるも、未知の技術を備えた木星蜥蜴に芳しい効果を与えることもできず、何隻もの戦艦が火星の大地に沈んでいった。
激化する戦闘。
荒廃していく大地。
火星住民の被害は増大。
苦肉の策として決断されたのは、旗艦リアトニスによる火星降下中の大型チューリップへの特攻。
結果、大破したチューリップの残骸は火星からひとつのコロニーを奪い去った。
よく特番を組んで『軍の戦略は正しかったのか』『軽率な判断によって失った尊い犠牲』などの同情や皮肉を込めたタイトルでやっていたのを、ルリは覚えている。
降下中のチューリップの軌道は、完全に火星の落下コースを外れていたらしいと言うことだ。
リアトニスがぶつからなければ、ユートピアコロニーにチューリップは落ちなかったと学者たちは騒いでいる。
旗艦リアトニスを失い、生き残ったの第一第二艦隊は、第三艦隊の支援を受け防衛線を大きく下げて月宙域まで撤退。
月での迎撃の用意に備えて、瞬く間に地球へ逃げ帰ったのだと言う。
結局、軍は逃げ出したのだ。
まだ生き残りがいたかも知れない、星を残して。
だから、見捨てられた星。
ルリを乗せたナデシコは、今その星を間近で眺めていた。
先ほどの宙域戦闘での敵は予想外にも弱く、機動兵器部隊の活躍で事なきを得た。
おかしいとは思うが、サツキミドリ2号の無人兵器がずば抜けて強かったらしい。
個体差ならぬ部隊差と言うものが、バッタたちにもあるのだろうか。
契約書の騒動も、無事解決。
いよいよ、ナデシコは目的の地に辿り着いた。
地球を発って、早幾年月。
幾年月という程でもないかな、とルリは思う。
ルリにして見れば、アキと過ごした時間は長くも感じ、あっという間だった感じもする。
皆、それぞれに思うことがあるのだろう。
ブリッジは、いつになくシーンと静まり返っていた。

「……思ったより、赤くないな」

渋い声が、静かなブリッジに響く。
全員が目を丸くして、むっつり顔のゴート・ホーリーを振り返った。

「今の……冗談よねぇ?」

ミナトが問いかけるも、ゴートは何のことか分からないのか表情を変えない。
本当に、何も知らないらしい。

「あのねぇ、火星が赤かったのは昔の話、テラフォーミングが済んでからは赤くないのよ。困るなあ、これだからオジサンは」
「そ、そうなのか?」
「はい。ナノマシンの散布により、火星の大気、地表、海、植物などは地球のそれに酷似したものに変質しました。木星蜥蜴の襲撃を受けた現在でも、散布されたナノマシンは働きを続けています。つまり、火星は赤く見えません」

ルリが詳しい解説を入れると、ゴートは顔を赤くして黙ってしまった。
モニターに映った大きな火星。
大きな、まん丸。
何となく申し訳なく思いつつもルリには普通だとしか感じられない。
ナデシコの進路は、まずは大気圏を抜けてオリンポス山へ。
何でも、付近にネルガル研究施設のシェルターが在るんだとか。
高々度カメラからの映像でも、ピラミッド型のシェルターが木星蜥蜴の攻撃を受けていないのは確認済み。
そのあとは、極冠遺跡のネルガル鉱山。
ネルガルが企業である以上、データの回収が優先されるのも理解できる。
火星が木星蜥蜴の制圧下にあるため、宛もなく降下する訳にもいかないのも理解できる。
しかし、ナデシコの第一目的は人命救助ではなかっただろうか。

『会長が代わってからは、何よりも利益最優先』

アキの言葉が思い出される。
解決できるものから解決するのは合理的。
ルリには本当の企業の考え方が垣間見えたように思え、少し不快感を覚えた。

「艦長、このまま入ちゃっていいの?」
「おっけーです、ミナトさん。そのまま……」

何だかんだ思っても、結局みんな雇われの身。
会社の方針である限りは業務を全うしないといけない。
ルリはボーっと思考しながら、モニターを眺める。
艦長の指示に従い、操舵士のミナトが火星の地表向けて舵を取った。
何か、忘れているような。
ナデシコが大気圏に突入。
ガタッと言う音が周りから聴こえた。
ルリ身体が、ナデシコの船体が、大きく斜めに傾いてた。








アキは手すりを掴んだ手に力を込める。
手すりを離したら、ナデシコの長い通路を『落下』することになるだろう。
比喩など全くないままに。
現にアキを支えていた杖は、遙か下の方に転がっていってしまった。
現在、通路の角度は直角とまではいかないが、かなり急な滑り台のようになっている。
アキには原因が分かっていた。
ユリカが艦内の重力設定を忘れたまま、大気圏に突っ込んだのだろう。
こんな出来事すらも懐かしいと感じてしまうと、過去の自分の日常がどれほど異常なものだったのか再確認できる。
アキは予め分かっていたからこそ対処できたが、他のクルーたちはこうはいかない。
そこで、アキは一抹の不安を覚えた。

「いやああぁぁーっ!何これ何これ何これーっ!?避けて避けてーっ!」
「ヒカル!こっちに掴まれーっ!」
「リョーコも滑ってるのに掴まっても意味ないよーっ!」
「…………下まで落ちたら死ぬかしら」
「「縁起でもないこと言うなーっ!」」

何か、上から降ってくる。
何かも何もパイロットの三人なのはアキも理解していた。
事態が事態だけに、三人の焦り方も半端ではない。
下まで落ちることなく重力制御されるだろうと思い、アキは手すり側に避けて道を譲った。

「あ、クロ……って何で避けんだよ!」
「……避けろと聴こえたが?」
「オメーなら大丈夫だ!とにかく何とかしろっ!」

根拠のない自信。
リョーコがいくら自信を持っても、当人が持たなければ仕方が無い。
アキが仕方なく手を伸ばすと、ズシズシとかなりの衝撃があった。
速度が増せば、重量も増す。
危うく手すりを放しそうになってしまった。
アキは傾いた体勢から、何とか体を立て直す。

「……ふぅ、ギリギリセーフ。お兄様ありがと〜♪」
「………蟻が十匹……ありが、とう……くくく」
「オメーら、何でもう掴まってんだよ!?」

アキの抵抗空しく、手すりを掴むのとは別の片腕に新たに一人分の重量を支える羽目になった。
完全に通路が直角でないことに、アキは安堵を覚える。
重さ自体はおまり大したことはないのだが、長時間に渡るとアキでもキツい。
あとから掴まったリョーコが、少しでも上にとよじ登る。

「おい、離すなよ! 絶対だぞ!」
「そんなこと言って、リョーコ結構喜んでたりして〜?」
「ば、ばか、んなわけねぇだろ!」
「「リョーコ顔真っ赤〜♪」」
「こ、これは、その……」
『うあああぁぁぁーっ!』

誰かの叫び声。
三人は会話を止めると、上の方に顔を向ける。
二人の人間が上から叫びながら落下していた。

「た、助けてくれーっ!」
「何だあいつ、何人支えてやがる!? 超人か!?」

耳障りな声は段々とアキたちに近付いてくる。
助けようにも、腕は足りない。
そもそも、アキは自分自身に助ける気があるのか首を傾げた。
二人はアキが考えている間も止まらず滑り続ける。

「あー……こちら満員でーす。頑張ってね〜」
『ぎゃあああぁぁぁーっ!』

ヒカルが申し訳なさそうに手を振ると、声は悲鳴に変わってアキの隣を通り過ぎていった。
冥福、ならぬ曲がり角に到達しないこと祈る。
悪くても骨折程度で済むだろうと、アキは見切りをつけた。
悪運だけは、人一倍強いアキトが付いているのだから
遠ざかっていく叫び声が聞こえなくなったころ、目の前に一枚のウィンドウが現れる。
かなりごちゃごちゃなブリッジの映像が映っていることだろう。

『ごめんなさ〜い。色々大変だと言うことはじゅーっぶんわかるんですけど、とにかくごめんなさ〜い。ナデシコの重力制御忘れてました』
「いいから早く元に戻せーっ!」

ユリカの様子から読み取る限り怪我人がいないようで幸いだと、アキは安堵の溜め息を吐く。
リョーコが叫ぶと同時に、傾きが直って普通の通路に戻った。
アキは床に足をつく。
とりあえず、曲がり角まで落ちていってしまった杖を回収しなければならない。
ついでに被害者二名も回収していこう。
パッともう一枚のウィンドウ音。
アキは、何故か動き止めてしまった。

『……………………』

無言の重圧。
何となく、止まらなければいけないと思う本能。
最近、声が無くても分かるようになってきた。

「……ルリ、どうした?」
『どうして、リョーコさんたちと一緒にいるんですか?』

そう言えば、まだ片手に重さの感覚がある。
三人とも、そのままへたり込んでしまったらしい。
三人が気付いたようにパッと手を離した。
リョーコが焦ったように、怒ったようにウィンドウのルリを睨み付ける。

「んだよ。オレたちとクロが一緒にいちゃ悪いのかよ?」
『いえ、悪いことはありません』
「ならいいじゃねーか」
『ただ……』
「「「ただ?」」」
『なぜか……不快です』

アキをジト目で見るルリ。
きっぱりと言い切る姿は、とても堂々としていた。
乾いた笑いがヒカルとイズミから聴こえ、アキはどうしたらいいのか分からず戸惑うばかり。
感情を表に出していくのは良い兆候。
確かに感情と言えば感情だが、不快感はどうかと思う。
リョーコはと言うと、握り拳を作っていた。

「……オメーとは一度決着をつけなきゃいけねーようだな」
『ところでアキ、怪我はありませんか? 私もボーっとしていて艦長のミスに気が付きませんでした』

約一名を完全に無視して、ウィンドウがアキのみに焦点を合わせた。
眼中に無いとばかりに、先ほどの話題に触れることは無い。

「…………てめぇ!」
「リョーコ、怒っちゃだめっ! 小さい子にグーはだめーっ!」

ウィンドウを殴りつけ兼ねないリョーコを、羽交い締めにするヒカルとイズミ。
ルリは臆した様子もなく、アキの無事を確かめるような視線を向けてきた。
苦笑、するしかない。

「ああ、ルリこそ……怪我はないか?」
『…………はい。大丈夫です』

こうして互いの無事を確認するのは、ハプニングのあとの決まりになってきている。
アキもルリも照れくさいのか、そのあとは黙ってしまう。
こんなしばらくの沈黙も、いつものこと。
ほー、と頷くような揃った声が後ろから聞こえた。
いつもと違うのは、二人だけの会話ではないと言うこと。
座った目をした三人が、ルリとアキを少し離れた位置から眺めていた。

「はい。リョーコのまけ〜」
「ま、負けってなんだよ!?」
「…………負け」
「だから、負けてねぇよ!」

誰が勝ったのか、誰が負けたのか。
いったい何が勝負だったのか。
結局のところ、アキは理解できていない。
アキは騒ぐ三人の会話を聴きながら、小さく首を傾げた。

『とにかく、ナデシコは火星に到着しました。作戦会議があるのでパイロットは予備を含めた全員がブリッジに集合、だそうです。それでは……また』
「……了解した」

ルリのウィンドウが閉じられた。
その後アキは三人と別れて、通路を歩く。
杖を回収するついでに、落ちていった二名も回収してこようと思っていたが、どうしようか。
重力制御のタイミングから予測すると、床までの落下阻止はたぶん間に合わなかった。
思いのほか頑丈な二人のことだから、気絶程度で済んでいるかも知れない。
ルリの言葉を思い出す。
ブリッジにて作戦会議。
恐らくオリンポス研究所に派遣されるメンバーを決めるためだろう。
近くまで行けるとは言え、地形の関係上高度を上げなければオリンポス山頂には辿り着けない。
高度を上げれば、木星蜥蜴の索敵範囲に入り易くなる。
前回は、輸送艇ヒナギクとエステバリス三機の構成だった。
そして、テンカワ・アキトはユートピアコロニーへ。
ナデシコは、火星へ到着した。
地下の生存者。
イネス・フレサンジュ。
駆逐艦クロッカス。
フクベ・ジン提督。
火星はたくさんの亡者が住まい、眠る場所。
無念も苦痛も恨みも悲しみも、何もかもが眠る星。
誰かの犠牲なしに、地球へは帰れない。
亡者に捧げる生贄は、同じ死者でもいいのだろうか。
アキは皮肉気に口元を歪め、小さく笑った。
覚悟など、最初からできている。
誰かの犠牲の代わりに、犠牲になるためにアキはここにいる。
人知れず、アキの決意は固まった。
大切な船を。
大切な場所を。
大切な人を。
たとえ彼女との約束を違えても、彼女を救うことができるのなら。
彼女を守れるのなら、この身など必要ない。
この黒衣は、もう自らの鎧ではない。
この黒衣は、誰かの盾となるために。
存在意義を全うするかのように、黒衣は主を突き動かす。
アキは知らず知らずのうちに、苦痛の生よりも安らぎを求めて歩き始めていた。





拙い管理人の感想でふ。

お久しぶりです。

いやはや、シリアスのようなのになんかこう、暗い内容ではないですね。

こういった点でを自分も学び取りたいと思います。

物語もようやく火星に到達ですね。

これからオリジナルな内容が盛り沢山になること期待しています。

ここらへんでユーチャリスとかの行方も知りたいところですね。

短い感想ですが、ご容赦ください。では、また次回。