次の日の実験も簡単なナノマシンの調整で終わった。
毎日毎日。
実験実験。
改めて言うがルリはこのセンターの生活は嫌ではない。
だが少し不満。
人間開発センターはネルガル重工傘下の研究機関である。
要は上司と部下の関係で、たまに上司は部下の働きを注意深く見る事もある。
つまりは査察。
指図めルリは人間開発センターの成績表だ。
『子供なんだから子供らしく』
聞き飽きた。
ルリは『子供らしく』とはどういうものを指すのだろう、と考える。
わーい、とか言って感情豊かに愛想を振りまけばいいのだろうか。

「そんなの……私じゃない」

誰もいない自販機の前で独り言。
自販機から取り出したハンバーガーを手に取る。
温度も大きさも味も値段も毎日変わる事がない、どこにでもあるファーストフード。
毎日何も変わらない自分はこのハンバーガーと同じなのかな、と思いながら歩き出す。
自然とルリの足は人工自然公園に向かっていた。





公園に着いたルリはハンバーガー一つを両手に持って、とある場所に向かう。
どうしても食べる前に行って確認したい。
そこには誰もいない、筈。
それなのにそこに少しだけいる可能性を期待する自分がいる。
常識的に考えいる筈がない。
出会ったのは偶然だ。
まさか今日もいる筈がない。
それなら――どうしてわざわざそこに向かっているのだろう。
ルリ自身でも理解出来なかった。
昨日マントがはみ出していた巨木に、着く。
今日は黒いマントは視界にはない。
ルリはホッとした様な、まだ解いてない問題を未解答のまま取り上げられた様な、何とも言えない気分だった。

「誰か……いますか?」

昨日とは逆に小さく問い掛けた。
前に回り込めば分かる事なのに、何故か出来ない。
しばらくしても返事がない。
今日はいないのだろう、ルリはそう見切りをつけていつものベンチに移動する。
自分は何を期待していたのだろうか。
居たとしたらどうだと言うのだろう。
少し興味があっただけだと自分自身を納得させ、ルリは道の先にあるベンチに視線を移し―。


足を縺れさせ、転んだ。


ルリにとっては大きめのベンチに、真っ黒い男が座って居た。
男の隣りには少し太めの木の枝らしき物もある。目が見えないと言っていたから、恐らく杖代わりにしているのだろう。
真新しいことから見て、まさかこの辺の木から削りだしたのだろうか。
起き上がり服に付いたゴミをはらう。
途端に今までの自分の行動がバカだったのではないかと思えて来る。
いや、実際バカバカしい。
誰かが座っているからといって、座れなくなる程小さなベンチではない。
ルリは男から少し距離を取ってベンチに腰掛けた。

「何故ここにいるんですか?」
「……昨日の少女か?」
「他には誰もここには来ません」
「そうか」
「隣り、座ります」
「ああ」

男はルリの質問にも答えず、聞きたい事を聞いて口を閉ざす。
男の服は昨日と変わっていない。
黒い戦闘服に黒いマントに黒いバイザーを、しっかりと装着している。

「昨日からいたんですか?」
「ああ」

もう何故ここにいるのかは聞かない。
どうせ聞いても答えないのだろう。
ルリはハンバーガーの包みを開けて食べ始める。
昨日からいたのなら男は食事はどうしたのか。
まさかこの格好で施設内に入って買うとは思えない。

「……ここには、見回りの警備員は来ないのか?」
「ええ、この公園には何もありませんし」
「君の隣りに不審者はいる」
「……自覚あったんですね」

少し、飽きれる。
ルリが男と同じ格好をしろと言われれば、絶対に拒否するだろう。
相変わらず男の表情は無い。
ただ虚空を見つめている。
ルリも無感情だとか言われるが、男はそれ以上だと思う。

「……無様だな」
「え?」
「一晩歩いて見たが、ここまでだ」

最初ルリは男が何を言っているか分からなかったが、男の服には何度も転んだような土のあとが残っていた。
杖にも真新しい傷が幾つか、いやよく見ればこの杖は男がその辺の木から削り出したんじゃないだろうか。

「足……悪いんですか?」
「悪くはない。ただ目に慣れていないだけだ」

慣れていない、とはどういう事なのか。
それではまるで公園に入ってから目が悪いのに気がついた、もしくは悪くなった、と言っているようだ。
ますます、ルリにはこの男は理解出来なかった。

「君は、何をしに来た?」

初めて男が顔をルリに向けた。
見れば分かるでしょう、と言おうとして、改めて男が失明しているのだと思い出す。

「昼食です」
「そうか」
「あなたは食べないんですか?」
「済ませた」

いったいどうやって。
ルリは出掛かった言葉を飲み込む。
昼食を持っているにしてはあまりに軽装だ。更に昨日の昼からいた事を考慮すると本当かどうかも疑わしいが、男の言動を一々気にしてはいられない。
それからしばらくは沈黙が続いた。
ただ並んで座っているだけだが、決して居心地が悪い訳でもない。
男はそれ以上話す事も無く、ルリは幾つか質問したが男は黙ったまま。
結局言葉を交わす事なく、やがて日が沈んで来た。

「それでは、私は帰ります」

ルリにとっては誰かと二人きりでベンチに座っていたのも初めてなら、こうして別れの挨拶をするのも初めての体験だ。
辺りが夕焼けに染まっている。
多少扱いがいいとは言えどルリは実験体。
消灯時間も決まっていれば、それまでに帰らなければ捜索命令もでる。
ルリはベンチから腰を上げ、男に声をかけて歩き出す。
まだ聞きたい事があるのだが、これ以上ここに居続ければ男も職員に見つかってしまう。
それは好ましくない、とルリは思う。

「……何か聞きたい事があったんじゃないのか?」

男に背を向けたルリに、声が掛けられた。
割と長い間続いた沈黙は、男からすれば気まずい雰囲気だったのかもしれない。

「聞いたら、答えてくれますか?」
「答えられる事なら」

それは知っている事の範囲ならと、答えられる範囲ならのどちらなんだろうと考え、すぐにやめた。
男が答えると言っているのだから、取りあえず聞いてみよう。

「あなたは何者ですか?それと、私の事を知っていますか?」

細かい事を言えばもっとある。
どうやって警備の厳重なセンター内に盲目のまま入れたかとか、何が目的なのかとか、しかし別れ際に男が聞いたと言う事はあまり多くを聞かれたくはないのだろう。
男はルリに顔を向け直すと、口を開く。

「前者については答えられないが、後者については肯定する。……もっとも口癖とかそんなどうでもいい事だが」
「そう、ですか」

何者かは言えないが昨日『ルリちゃん』と呼んだ事には関しては肯定する、と言う事らしい。
そもそもルリには『どうでもいい』事ではない。それは男がマシンチャイルドととして以外のホシノ・ルリを知っていると言う事だ。
ますます、何者なのか分からない。
ルリはそのまま背を向けて歩きだすが、数歩進んで足を止めた。

「……もう二つ、質問いいでしょうか?」

振り返ると男の顔はまだルリの方向を向いていた。

「ああ」
「名前、教えて下さい。あなただけ私の名前を知っているのは不公平です」

無表情を通してきた男の顔が、少し苦笑したように見えたのルリの気のせいだろうか。

「今の名前はアキ……かな」
「アキさん、ですか?」
「さんは必要ない。呼び捨てでいい」

偽名です、とはっきり宣言された方がまだ幾漠かマシかもしれない。
言葉一つ一つに何かを含んでいるような感覚。
ルリは会ってから短いが、この人はそう言う人だと理解し諦める事にした。
ルリは改めて出口を向く。
年上の人を呼び捨てにするのも初めてだと思いながら、二つ目の質問をする。

「アキ」
「どうした?」
「……明日もここにいますか?」
「ああ、どうせ行く所もない。しばらくはここで歩く訓練でもするつもりだ」
「そうですか」

それだけ応えるとルリは公園を後にして、帰路についた。





何故今日もあの公園に行ったのだろう。
ルリはベッドに横たわり、考える。
黒装束の不審者。
ルリが警備員に通報すれば、すぐに研究所の外に放り出され、二度と会う事もない。
結果的にルリはそれをしなかった。
興味を抱いていないと言えば嘘になるが、最初はルリの名前を呼んだ事だけが気になり、今ではその正体が気に掛かる。
目が見えず、歩くのにも不自由し、場所も時間も分からず、帰る家もない。
だが、ルリの事は知っている。

「私の口癖って……なんだろう」

『口癖とかどうでもいい事だが』
アキの言葉を思いだす。
よくない。
ルリはあまり人と会話をしない。
したとしても機械的に質問に答える程度だ。
今日アキと会話したのも、ルリの中では他人と会話した最長時間だった。
重要なのはルリを知っている人間だと言う事。
そう言う意味で考えれば、人間開発センター責任者でルリの親代わりをしているホシノ夫妻、センターの研究者、ネルガル重工の社員が当てはまる。
だがそれはルリの上辺の『情報』を知っているに過ぎない。
ルリの記憶にある人間の情報の中にアキはいない。
だがアキは上辺じゃない、少なくともルリを愛称で呼ぶ程近くにいた事になる。
と言う事は―。

「4才以前の私の知り合い?」

ルリには研究所に引き取られる以前の記憶が断片的にしか思い出せない。
それはルリ自身知らない記憶。
父親と母親。
一緒にいた子供たちに先生方。
覚えている人物はこれだけ。
それすらも、そんな人がいたようなくらいにしか思い出せない。
記録によれば、ルリが試験管から生まれたのはスカンジナミビア半島東側の国、スウェーデンと言う事になっている。
遺伝子提供者の本当の親もそこにいるらしい。
少なくとも、ルリにはアキがスウェーデン出身には見えない。
なら、誰だろう。
父親にしては若過ぎる。
一緒にいた子供たちにしては年上過ぎる。
先生方は……どうだろう。
教職……。

「あり得ない」
アキが教職なんて絶対に似合わない。
違和感が有り過ぎる。
一番有り得そうなのは―。

「兄……?」

有り得そう。
親の片方が日本人なら、ましてやルリのこの容姿は遺伝子操作によるもの。親がスウェーデン出身だと確実に言える訳ではない。
ルリには、どちらにしても違和感があるような気がした。
結局考えても確かな事はほとんど無いのだ。
ルリが今まで考えた事は、昨日と同じ可能性論にしか過ぎない。

「……会ってみよう」

アキはしばらくいると言った。
どれ位がしばらくかはアキの気分次第だろうが、もう少し会ってみよう。
アキはルリが何処にハッキングしても分からない、4才以前の記憶を知っている人間かも知れない。
理由はそれだけでいい。

「おやすみなさい」

目を閉じる。
アキ。
ファミリーネームすらない、簡潔なな名前。
間違いなく偽名だろう。
それでも、名前は名前だ。
名前を呼び捨てにするのも、出来るような知り合いを作ったのも、初めて。
簡単だが、忘れる事は無い。
そういえば、アキは例の『ルリちゃん』以来ルリの名前を呼んだ事がない。
君とか少女とか、無理にルリの名前を呼ばないようにしているようだ。

「この場合、私も呼び捨てにされた方がいいのかな」

呟きに返事を返す者は誰もいない。
アキに会ってから、独り言が多くなった気がする。
ルリは改めて小さく、おやすみなさいと言って眠りについた。




感想は第五話でまとめてあります