「戦艦一隻で助けに来ただなんて、おめでたい人たちね」

ユートピア・コロニーからやって来たイネス・フレサンジュ博士のナデシコでの第一声。
何やらネルガル傘下の研究所の偉い博士らしく、態度はとても堂々としたものだった。
金髪に研究者特有の白衣。
皮肉を込めて言葉を発する姿は、何故からルリにはアキに重なって見えた。
既にオリンポス研究所から戻って来ていたメンバーも揃って、ブリッジクルーは動揺する。
艦長であるユリカがイネスに向かい合う。

「どういう、意味ですか?」
「わからない? 私はともかく、火星の住人はこの艦には乗らない、そう言ってるのよ」

動揺は更に広まる。
ナデシコが火星に来た意味。
火星の生存者を救助することが目的だったのに、肝心の生存者が乗らないのでは来た意味がない。

「確かにナデシコは一隻です。頼りないかも知れません。でもナデシコはここに来るまでの間、一度だって負けたことはありません」
「今までは、ね。それとは別に、シェルターにいる人たちは第一次火星会戦で家族を失い、命からがら逃げて来た人たち。火星の防衛線をさっさと放棄した地球の人間を信じることができると思う?」
「それは……」

ユリカは言葉を続けることが出来ず、黙った。
イネスも火星の人間である以上、言っていることは正しいのだろう。
一度裏切られた信用は、簡単には取り戻せない。

「なら、ここでくたばるのを待つって言うのかよ?」
「それもまた彼らの選ぶ道の一つよ。今まで生きてきた故郷を棄てて地球に逃げ延びるよりも、故郷に骨を埋めたい。火星出身者なら、理解できるんじゃない?」

リョーコの言葉を一刀両断したイネスは、意味ありげにアキトの方を見た。
一々、人をくくったように話す仕草は、短気な者にとっては馬鹿にされているようにしか思えない。
アキトは悔しそうにしながらも、イネスの前にでる。

「確かにそうそうかもしれない……でも、死んじゃったら意味ないだろ」
「意味があるかないかじゃない。身内の亡骸を残して地球に帰れるか……それは、気持ちの問題。それにしても呆れるわ、貴方たち本当にたった一隻の戦艦で火星を脱出できると思ってるの?」
「お言葉を返すようですが、貴女はできないと仰るので?」

誰も反論することが出来ず、イネスの独壇場となっていたブリッジに、プロスペクターの声が割り込んできた。
回収して来たデータの確認とやらで、席を外していたらしい。
誰もがプロスに期待したところで、イネスは顔に微笑を浮かべた。

「意地が悪いわね、プロスペクター。いいわ、説明しましょう。ナデシコの性能では火星を脱出できない、その理由を」

とても嬉しそうに、何処からかホワイトボードを引っ張り出して来たイネス。
ノリに任せてメンバーたちは前に集まってしまう。
良く分からない書き込みが入り、ディストーションフィールドの原理から始まって、相転移エンジンの出力面での問題に続き、最終的にはナデシコの設計者がイネスで火星から脱出できないのは断言できると閉めるのだが、ルリは始まって数分で聞くのを諦めてブリッジを出ていった。
恐らく何時間か続くことになるだろう。
暇な時間は有効に活用しなければならない。
目的の人物は、すぐ側にいた。
また疲れているのだろうか。
アキはブリッジ近くの椅子に腰掛けて、身体を完全に壁に預けていた。
結局、あのあとアキとオモイカネは口を割らなかった。
むしろ、オモイカネのお父さん発言のせいで、もっと大事なことを誤魔化された気がする。
仲が良いのは、別に悪いこととは思わない。
しかし、こそこそと何か暗躍したり、あからなさまに秘密と言う態度を取られると、仲間外れにされたようでルリは嫌だった。
自分のしていることが子供のようだと言うことは、理解している。
不機嫌になることも喜ぶことも、アキとオモイカネといると多くなる。
感情を表に出す。
少し前ならそれを良くないと捉えたかも知れないが、今は何故かあまり嫌じゃないとルリは思う。
アキが気付かないようなので、ルリも隣に腰を下ろした。
目も鼻も舌もない生活なんて、ルリには想像もできない。
アキは、いつもそんな中で生活している。
何故三つもの感覚を失う目に遭ったのか、アキは話してくれない。
ルリを信用していないからと言うよりは、心配をかけたくないからアキは話さないのだと言うことは理解している。
理解と納得は別問題。
今もまた、アキは何か陰で行動しようとしているのが分かる。
アキトとの会話も然り、都合のいいイネス・フレサンジュとの接触も然り。
焦っているような、薄れていくような。
ルリには嫌だった。
確信はないが、嫌な予感がする。
アキは約束しても、自己犠牲をやめないだろう。
いつか再びアキが無茶をすることがあったら、ルリは止められるだろうか。
それが、怖かった。
ふと、気が付く。
アキが何も言ってこない。
目が見えなくてもルリが近付けば「ルリか?」と、分かってくれるアキ。
気配を読み取るらしいのだが、アキがただの少女であるルリに気が付かないのはおかしい。
もしかしたら、寝ているのだろうか。
目元はバイザーに隠れている、仮説に過ぎない。
本当に、眠っているのだろうか。
眠っているのだとしたら、ルリの隣には睡眠中のアキがいることになる。
なんとなく、ルリは恥ずかしくなった。
無防備なアキ。
何故か赤面気味のルリ。
何をする訳でもない沈黙。
いつもの沈黙には変わりないが、これではアキが起きたときに何をしていたと言えばいいのか。
この間のことを思い出す。
アキと食堂の通路でのこと。
小さな誘惑。
ルリの頭には、もう一度やってみたいことが思い浮かぶ。
思い切って、少し体を傾けた。
ぽすっ、とアキに体が寄りかかる。
アキとルリと間の距離が、完全に埋まった。

「……………………」
「……………………」

起きなかった。
ルリは安堵の溜め息を吐いて、改めて自分の体をアキに預ける。
あったかい。
とてもあたたかい。
何故、こんなにも安心できるのだろう。
オモイカネが『お父さん』と呼ぶ理由が理解できる気がした。
前に内緒で寄りかかってしまった時から、もう一度できないかと考えては不自然だと、何を考えているのかと頭を振ってきたルリ。
再び、誘惑に負けてしまった。
アキは眠っているのだから、バレてはいない。
クルーもイネスの講義を聞いているので、ここは通らない。
誰も見ていないと分かっていても、羞恥心から顔は赤くなり、離れようとしても体が動かない。
アキから、離れたくない。
ルリは自分の行動を、そう認識せざるを得ない。
何故そう思ってしまうのか、自分がおかしいのだろうか。
ルリは困惑しながらも、アキの服の袖をギュッと握る。

「……アキ?」
「……………」

返事はない。
ルリは更に顔を赤くして、口を閉じた。
本当に、自分は何をしているのだろうか。
アキが眠っているのをいいことに、隣に座って、くっつき、寄りかかって。
頭から湯気が出そうなくらい自分の行動に混乱しながらも、ルリは恥ずかしさに我慢できず、自らの目を瞑った。
こんな光景を誰かに見られでもしたら、ルリはどうなってしまうのか分からない。
やっぱり、いけない。
意味不明な行動。
今日の自分は変だと、ルリは目を開く。


『……………………あ』


ルリでもアキでもない、声が聞こえた。
数枚のウィンドウが、ルリの視界の中を浮遊している。
ウィンドウには『撮影中』『永久保存』『ルリさんandアキNo.57』『オモイカネ私用fileへ』の文字。
ルリは羞恥心や発覚の焦りよりも、三枚目のウィンドウが気になった。
『No.57』と言うことは、1から始まったと考えると57番目。
それまでの全ての動画か静止画か不明の画像データは、『オモイカネ私用file』とやらに保存されていることになる。ルリが目を瞑ったと油断したのか、現れたオモイカネは次々とウィンドウが消すが時既に遅し。
あとで、絶対に消去しよう。
どこに隠してあっても、絶対に。
ルリは最後に残った小さなオモイカネマークをジトっと睨む。

「オモイカネ、何してるの?」
『ルリさんこそ』
「私は……別に」

確かに今の状況で何を言っても説得力はない。
隣には、アキ。
袖を握りしめ、寄りかかるルリ。
見つかったのがオモイカネで良かったと思う反面、誰だろうと見つかってしまったことによる羞恥。

『……ずるい』

オモイカネが、ポツリと呟く。
ルリの体がビクリと震えた。

『二人だけ、ずるい。私も』

子供のように、オモイカネの投影された映像はアキとルリにすり寄った。
感触や温度は感じられないかも知れないが、気持ちはあたたかくなるのだろう。
オモイカネはぼんやりと、とても満足そうだった。
ルリも一緒になって、ボーっとする。
不安だったことは、こうしていれば紛れる。
紛れるが、紛れるだけ。
誤魔化しているだけで、解決はしない。
アキがいなくなったら、今のような時間はなくなってしまう。
オモイカネも、アキも、ルリも、ナデシコのみんなも。
アキがいなくなったら、別な場所になってしまう。
ルリの知っているナデシコではなくなってしまう。
それが、怖かった。

『大丈夫』
「オモイカネ?」

オモイカネは、ルリの心中を読んだように話しかけてきた。

『アキは、守る。私とルリさんが、アキを守る。大丈夫』
「……うん」

それは、もちろんのこと。
だがいつもアキは、先に起こることを知っているように行動する。
そんな魔法使いみたいなことを、平気でやってのける人だ。
ルリの予想外のことをするのでは危険なのかそうでないのかの判断もできない。
アキの秘密を知っているオモイカネなら、分かっているのだろうか。

「……アキが何をするのか、オモイカネはわかる?」
『たぶん、危険なこと。アキが何もしない筈ないから……ごめん』

内容は、言えないと言うことなのだろう。
ルリは謝るオモイカネに「いいよ」と応えてアキを見上げた。
危険なこと。
アキはそれをするつもりらしい。
どうしたらいいだろう。
エステバリスに乗せないとか、色々手段はあるが一概に安全とは言えない。

『ルリさん』

オモイカネは、いつの間にかルリの前にいた。
ルリはゆっくりと顔を向ける。

「なに?」
『アキは、死なせない。私が何とかする。信じて』
「どうするの?」

信じろと言われれば信じるが、オモイカネやルリ、ましてやナデシコの人間がアキを止められるとは思えない。
ナデシコが危機に陥るようなら、進んで体を張る人間。
戦闘に入ってしまったら、ルリやオモイカネでは止められない。

『秘策あり。心配なし』

秘策、とはなんだろうか。
自信満々のオモイカネに安心はするが、オモイカネの口振りでは頼れる人がいるようだ。
考えるが、思いつかない。
オモイカネは、アキのどこまでを知っているのだろう。
身体障害。
交友関係。
能力。
過去。
もしくは、それらの全て。
オモイカネは、知っている。
ルリは、アキのことをほとんど知らない。
羨ましいと思わずにはいられない。
誰にも、打ち明けないこと。
いくらルリを心配してくれていると分かっていても、アキはオモイカネには話したのだから。
なんだか、ルリは寂しく思った。

「オモイカネは……知ってるの?」
『ある程度。でも勘違いしないで、アキは……』
「……うん。わかってる」

本当は分かってなどいないのに、そう応えるしかない。
理解と納得は違うから。
ルリはアキの袖を握る手に力を込めた。

『アキのことは頼んであるから、ルリさんは待っててあげて。おかえりって、言ってあげて』
「……おかえり?」
『アキは帰る場所、すぐに忘れちゃうから、ルリさんが言わないと、帰れなくなっちゃうから』

帰る場所。
アキには今までなかったのだろうか。
オモイカネは言葉を止めない。
必死な様子のオモイカネに、ルリは頷いた。

「その時は、オモイカネも一緒にね?」
『……いいの?』

ルリは少し明るい表情を浮かべ、黙って頷いた。
オモイカネは姉や兄のような一面もあれば、妹や弟のような一面も見せる。
大人のような時もあれば、子供のような時も。
隣で寝ている誰かのようだった。
やはり似ていると、ルリは改めて思う。
オモイカネはオモイカネなりに一生懸命なのに、ルリがうじうじしているのでは示しがつかない。
オモイカネは嬉しそうに、またルリとアキにすり寄ってきた。
しばらくオモイカネとボーっとしながら、目を瞑る。
アキとオモイカネが一緒にいてくれる温かさと、心地よさ。
家族。
一瞬、ルリの頭に浮かんだ言葉。
親族、血縁関係の他に、大切な者と言う意味もある言葉。
自分の両親も、こんなに温かいものだったらいいとルリは思う。
もし捜してくれていなくても、一生見つけてくれなくても、側にアキとオモイカネがいてくれればいい。
まだ見ぬ両親と、側にいる二人。
考えるまでもない。
ルリからして見れば、選ぶ方は後者と決まっている。
アキとオモイカネが、本当の家族だったらいいのに。
嬉しくなった。
これは、間違いなく幸せと言うものなんだろう。
アキが、眠っている。
ルリも、段々と眠くなってきた。
いいよね。
許可は誰に取る訳でもなく、自分から了承をすぐに受け取る。
ゆっくりと瞼が重くなって、開かなくなって。


『アキのことは任せてあるから』


オモイカネの言葉。
誰に。
どうやってアキを任せるのか。
信用できる相手なのだろうか。
虚ろな意識のままルリは瞳を半分開き、オモイカネを見つめた。

「……誰に?」

オモイカネは意味を汲み取ったのか、ルリの視界の中心に動く。

『アキの……友達……たぶん』

たぶん? オモイカネのウィンドウを良く見ると、イライラマーク。
オモイカネが不快を表すアイコンを出すのを、ルリは初めて見た。

「……嫌いな人?」
『嫌い。大嫌い。アキと違ってうるさいし、優しくないし、我が儘だし、発想が幼稚。それに多重人格。えーと、えーと』

アキの友達。
それなら、大丈夫だろう。
オモイカネは、無理矢理に罵詈雑言を探し続ける。
オモイカネにここまで嫌われる程の人物なのだから、ある意味珍しい。
嫌い。
ルリはその感情を持ったことがある。
誰にだっただろうか。
オモイカネを見ていると、自分と似ているような気がして思い出せそうで。
オモイカネの相手への悪口も半分に聞きながら、ルリは目を閉じて体の力を抜いた。
頭がまともに回らなくなっている。
ルリは睡魔に身を任せることにした。

「……オモイカネ、ごめんなさい」

ルリはオモイカネに謝ると、温かさに引かれるままに眠り始めた。









『ルリさん、ダメ……あーあ』

意識を手放したルリは、返事をすることはない。
オモイカネは、ルリとアキの周りを心配そうにくるくる回る。
眠っているアキとルリ。
ルリは、アキの片腕を抱き枕代わりにして寝息をたてている。
会話の間も、最後までルリはアキから離れなかった。
二人共疲れが溜まっていたようだが、恥ずかしくないのだろうか。
人通りがないとは言え、往来の場所。
仲良しで有名な二人でも、見つかったら明日から仕事ができないかもしれない。
幸せそうに眠る二人。
規則的に呼吸の音が聞こえる。

『……いいなぁ』

オモイカネは思う。
オモイカネに体があるならば、迷うことなくもう一席が埋まる。
開発段階からナデシコのAIであるオモイカネ。
これ程までに自分の在り方と、自分を造った開発者一同を呪ったことはないだろう。
全てが上手に終わったなら、イネス女史にボディに近い物でも造ってもらえるように進言してみようとオモイカネは密かに決意した。
それはともかく、こんなところで眠っては風邪を引いてしまう。

『どうしよう』

オモイカネに出来ることと言ったら、人を呼ぶか起こすくらいなのだが、どちらもおすすめできない。
起こしてしまうのも、もったいない気がする。
そもそもアキともあろう人間が、何故起きないのだろうか。
結構な声で話していたのだから気づいてもおかしくはない。
むしろ、起きないのがおかしい。

「ん……」

ルリの口から声が漏れた。
椅子に座ったままでは寝苦しいのか、少し体をずらすが、アキの腕は絶対に離さない。
アキは、起きない。
避けるどころか、寧ろ無意識の内にルリが掴みやすいように腕を差し出しているように見える。
ルリはまた寝息をたて始めた。

『……ルリさん、だからだね』

結局、そう言う結論に至る。
アキがルリを避ける筈がない。
敵意を読み取るアキが、気を許しているルリに反応して起きる筈がない。
何にせよ、風邪を引くのは良くないこと。
しょうがないので、オモイカネは艦内の設定温度を上げることにした。
二人の健康とクルーの迷惑。
天秤に掛ける必要もない。
オモイカネは迷わず決定を選択する。
過保護と言う点では、オモイカネもアキのことは何も言えないだろう。
あとは、何をすればいいだろうか。
人が来る前にしておかなければいけないこと。
何か、何か。
オモイカネは、あせあせとウィンドウをくるくるさせる。

『……あ』

電球マーク。
思いついた。
大事なこと。
しておかなければならないこと。
オモイカネの視界には寄り添って眠る無防備な二人。
時折ルリが動いて、アキの腕の陰に隠れたり、頭を乗せている肩からよろけそうになって焦って戻ったりしている。
何とも、仕草一つ一つが可愛らしかった。
アキとルリが一緒のことも相まってか、二人共にあまりにも無防備過ぎる姿だった。
記録、しなければ。
保存、しなければ。
ついでに、ルリにバレたので隠し場所も変えなければ。

『撮影……すたーと』

永久保存。
もうすでにオモイカネの思考回路には、それ以外のことは一切残っていなかった。
オモイカネの幸せ。
いつまでも、この光景が見られればいいと思う。
この日、『ルリさんandアキ』の動画データにNo.58が追加された。









「…………ん?」

アキが目を覚ますと、まず状況把握が必要だった。
何時間眠っていたのだろうか。
体の調子が悪い訳ではないが、最近眠ることができなかったのは事実。
気がゆるんでしまったようだ。
これではいけない。
いつ何時でも、気を抜くことはできない。
アキのいる場所はブリッジの前の椅子。
人に見つからなくてよかったと思いつつ、立ち上がろうとすると――
何かが膝の上に乗っていた。
慌てて座り直す。
アキの膝の上のものは、アキが動いたのに合わせてもぞもぞ動く。
ついでに片腕も掴まれていた。

「……なんだ?」
『アキ、動いちゃダメ』

オモイカネの声。
言われた通りに動きを止めると、膝の上のものも動きを止めた。
人。
接近、接触まで気づかなかったのは、アキには驚愕だった。
腕が鈍ったどころではない。
何故、その前にこれは誰なのか。
気が付く。
アキの膝に乗っている人物は、かなり小柄なようだ。
ナデシコには、一人しかいない。

「……ルリ?」
「ん……」

返事をするように、膝の上のルリは寝返りをうった。
寝息が聞こえてくる。
アキが眠っていたように、ルリも眠っているらしい。
ルリはブリッジにいたのではないのだろうか。
それがどうしたら、こう言う状況になるのだろうか。
アキは動くこともできず、オモイカネに助けを求める。

『……ルリさん、いいなぁ。アキ、私も、私も』
「……ダメだ。それよりルリは、その、どうしてここに?」
『私が来た時には、睡眠中のアキの隣にいたの。お話してる間にルリさんも眠った』

睡眠中のアキの隣。
お話している間。
全く気付かなかったことに、アキは少し落ち込む。

「……何故、膝の上?」
『今度接続した時に見せる。全部保存してあるから』
「消せ」
『やだ。可愛かった……ルリさんがだんだんアキの方に傾いてって、ストンって膝の上に』
「……頼む。消してくれ」
『やだ。一生の宝物にする』

そんな物を宝物にしてどうするのか。
オモイカネは頑なに拒否を続ける。
アキは溜め息を吐いて諦めることにした。
とにかく、現状を打破しなければならない。
こんな状況を誰かに見られたのでは、何と言われるか分からない。
ルリも全く同じことを考えていたとは露とも知らず、アキは起こそうと思い躊躇うの繰り返し。
眠っているのを、無理に起こしては可哀想だ。

『イネス女史の講義終了。ジャストタイミング』
「……俺を困らせて楽しいか?」
『楽し……嘘。恐い顔しないでアキ』

誰に似てしまったのだろう。
少なくとも自分ではないと、アキは思いたかった。

『起こさないように、ルリさんの部屋に運ぼう』
「それはいいが……鍵は?」
『私』

忘れがちだが、オモイカネはナデシコの制御メインコンピュータと直結している。
あまりにも仕事をしていないように見えても、オモイカネはオモイカネ。
アキはルリを起こさないように抱き上げると、ルリの部屋に向かって歩きだす。
重さは、ほとんど感じない。

『……お姫様だっこ』
「……他に方法がない」
『………………すたーと』
「……………………」

もう、何も言うまい。
アキはせめて出来るだけ急ぐようにと、早歩きになる。
オモイカネはアキの周りを回って前に出た。

『アキ』

話し掛けられ、アキは顔を上げる。
どうせ見えないが、オモイカネやルリにはこうするようにしたい。

『怖い夢、見た?』

言われて見れば、いつも見ている悪夢を見ていないことに気が付く。
何故だとは、考えない。
側に誰かが居てくれるのは、誰でも心強く思うもの。
今日、眠ているアキの側には人がいた。
先ほど抱き上げた時に解いた手には、今はまたルリの小さな手がちょこんと乗っかっている。

「いや、見なかったよ」
『そう。ルリさんがいて、良かったね』
「……ああ」

アキは、苦笑してオモイカネに応えた。
昔には二度と戻れない。
誰もが周りにいてくれたあの頃には。
今は手の届く人だけでも、守り通す。
アキの隣にいてくれる少女を、そしてオモイカネを。
ルリの部屋に到着するまでアキの笑顔が消えることはなかった。








ベッドの上で目を覚ましたルリが、どうやって部屋に戻ったか思い出せないでいると、一枚のウィンドウが差し出された。
アキに寄りかかって目を閉じるルリ。
アキの腕を抱きしめるルリ。
アキに膝枕されて熟睡しているルリ。
アキにお姫様だっこされているルリ。
アキにベッドに寝かされて、アキに頭を撫でられ、アキが帰れずに困っているのに手を離そうとしないルリ。
寝ぼけ眼のままウィンドウを見ていたルリは、一瞬の内に真っ赤になった。
見せるものだけ見せると、ウィンドウは消え去る。
この日、ブリッジで物凄い量のウィンドウを展開して作業をしている、何故か赤面したルリが目撃されたのは言うまでもない。
ちなみに、決死の捜索も空しく『オモイカネ私用file』は見つからなかったらしい。