クロッカス。
連合宇宙軍第三艦隊所属ミスマル・コウイチロウ提督の指揮下にあった駆逐艦。
第一次火星会戦では連合軍第一、第二艦隊の火星撤退に貢献した。
会戦後は、戦艦トビウメの護衛艦として活躍する。
そして、ネルガル製の機動戦艦ナデシコを拿捕するために駆逐艦パンジーと共に作戦に参加し、冬眠中だったチューリップに飲み込まれクロッカスは完全に消滅した。
チューリップに侵入した戦艦が生還した例はない。
クロッカスは中にいた軍人もろとも、完全消滅した。
軍の公式記録では、そうなっている。
ルリは改めてメインモニターを見た。
氷付け。
冷凍庫を通過してしまったような、クロッカスの姿。
地球で消滅したクロッカスが、火星の大地に鎮座している。
反応がないことからして、生存者はいないのだろう。

「なぜ、クロッカスが火星に?」
「説明するわ」

分からないことがあった時の、イネス女史。
ずいっとモニターの前に現れる。
説明している時のイネスは、ルリの目から見ても、とても生き生きしているようだった。

「私が調べたところ、チューリップから敵戦艦が出現するとき、その周囲で光子、重粒子などのボース粒子、すなわちボソンの発生が確認されている。つまり……」

要するにチューリップは木星蜥蜴の移動手段、もしくはそれに準ずるゲートである可能性が高いと言うことらしい。
地球から火星まで、新型戦艦のナデシコでさえ一月以上。
クロッカスの破損状況、劣化状況から計測して数ヶ月は放置されている。
瞬間移動。
クロッカス周辺には、チューリップ。
仮説はほぼ確定されるが、一緒に消失したパンジーがないことから、出口は必ずしも一つではないと言うこと。
ルリが考えを纏めてモニターを見ると、何故かイネスが睨んでいた。
イネスは説明好き。
ルリは、そう認識することにした。
一応生存者確認のために、ナデシコはクロッカスに接近する。
周辺の安全が確定したら、内部の調査に移るだろう。
カツカツと、足音。
説明を終えたイネスは、ブリッジ後ろの壁に寄りかかるアキの隣に歩いてきた。

「今のも『知っていた』のかしら、お兄さん?」

周りにも聴こえるように、あえてイネスは言葉を強調した。
イネスはアキを名前で呼ばない。
まるで、意味が無いと言うかのように「お兄さん」を多用する。
客観的に見て、イネスの方が年上に見えるけど、どうなんだろう。
クルーは振り向きはしないまでも、二人の会話に耳を傾ける。

「……さあな」
「貴方の記録、見せてもらったけど不自然な点が幾つか。高度な……違うわね、熟練した操縦のテクニック、失明、この二つの項目だけでも、現存している人物なら発見は難しくない」
「何が言いたい?」
「経歴の一切ない人間は存在しない、と言うことよ。調べたわ、貴方が初めて第三者に目撃されたのはナデシコオペレーター、ホシノ・ルリの居た人間開発センター」

自分の名前が出たこともあってか、ルリは振り返った。
ルリと出会ったのが、アキが初めて他者に確認された日。
今時、過去が存在しない人間などいない。
生まれた瞬間からDNA登録され、カメラなどは街のあちこちに設置してある。
偶然がアキに適応するとは、ルリには思えなかった。
アキは無言でプロスを一瞥するように身体を動かし、クルーは横目で二人を見るようになる。
イネスの言っていることは、この間プロスが言っていたことと同じ。
『お手上げ』
何も見つからなかったのなら、正にお手上げ状態だったのだろう。

「……言いたいことは、それだけか?」
「いいえ、結局調べても何もわからなかった。だけど、貴方は何かを知っている。この艦に乗るきっかけなんて極めつけじゃない、予知不可能な木星蜥蜴の襲撃を、貴方は予知していた……そうよね?」

アキは、何も答えなかった。
アキがナデシコに乗る時、ナデシコのクルーにとってはピンチに現れたヒーローのように思えただろう。
客観的に見れば、それはおかしいこと。
ルリは今更そんなことは気にしないが、この雰囲気でイネスが次に言いたいことが予想できた。
予知不能な敵の攻撃を知るには、どうすればいいのか。

「貴方、地球と木星……どっちの味方?」

ブリッジの全員が、息をのんだ。
初めから敵ならば、双方の全てを知っている筈だろう。
アキは黙ったまま、イネスと向かい合っている。
皆、何も言わずに黙ったまま。
ばかばっか。
みんな、ばかだ。
ルリは立ち上がって、アキとイネスの間に割って入った。
真っ直ぐ、イネスを睨みつける。

「ふざけないでください」

自分は今、怒っている。
ルリはそう実感できた。

「私は極めて客観的に事実を述べたに過ぎない。その可能性もあると言っただけ、どう判断するかはそれぞれが決めることよ」
「私は、アキを信じます」
「どうして?」

嘲笑するようなイネスの態度に、腹が立つ。
視線が自分に集まっているのを、ルリは感じた。
誰一人、アキを不審に思わないとは、もちろんルリも思っていない。
怪しい行動も幾つかあった。
謎な人間と認識されていても仕方がないだろう。
疑うなら、疑えばいい。
嫌うなら、嫌えばいい。
アキは、そう思っている筈だ。
それは、間違っている。
ルリは疑わない。
アキを知っているから、絶対に疑わない。
ルリは、大きく息を吸った。

「アキは嘘をつきません。少なくとも、私には」
「……どういうことかしら?」
「アキはナデシコに帰って来た時に『ただいま』って言ったんです。私がアキを信じるのには、それで十分です」

アキは『おかえり』と言ったルリにそう返した。
これからも、ルリはアキが帰ってくる度にそう言うだろう。
アキも『ただいま』を返してくれるだろう。
疑う必要など、初めからない。
アキは、ここを帰る場所と認識しているのだから。
ルリがイネスと睨み合っていると「ぷっ……」と吹き出す笑い声が聞こえた。
複数から。
ミナトがナデシコの操縦桿を握りながら、ヒラヒラと片手を振っている。

「はーい、私もルリルリに一票」

手を引っ込めると、ルリに向かってグッドサインを出した。
ミナトに触発されたように、パイロット組が立ち上がる。
足並み揃えて、イネスの前に。

「女博士さんよぉ、世の中には言って良いことと悪いことが……」
「あんまし、つまんねーこと言ってんじゃねぇぞ!」
「おい、俺の台詞の途中だろっ!?」
「お兄様はね、こんな格好だけどけっこー信用あるんだよ?」
「…………命、賭けてます」
「「「賭けてねーよ」」」

四人は言いたいことだけ言うと、席に戻っていった。
残りの一人は厨房勤務のためいないが同じ気持ちだといいな、とルリは思う。
気付けば、ユリカがルリの隣でイネスに向かい合って立っていた。
いつになく艦長らしく、真面目な表情。
イネスは困惑した様子も見せずに、涼しい顔でユリカの顔を見つめていた。

「艦長として、クルーへの侮辱は許しません。ルリちゃんの言ったことはナデシコの総意です。これ以上でたらめなこと言うなら、あなたもナデシコのクルーとして罰則を受けてもらうことになります」

ユリカは怯まず、威厳を持ってイネスに言い放った。
そのままユリカは屈み、ルリと視線を合わせる。

「ありがとう、ルリちゃん」

お礼を言われた。
笑った顔。
見れば他のクルーの顔も微笑んでいた。
もしかしたら、最初からルリが言うのを待っていたのかも知れない。
無性に、自分の行為が恥ずかしくなる。
笑顔のまま、ユリカは自分の席に戻っていった。
誰も、さっきまでの会話は聴かなかったとでも言うように、業務に戻っている。
何故だろう。
誰も、アキが敵だとは思っていないのが。
誰も、アキを疑ってはいないのが。
ルリは、嬉しく思った。

「……嫌われちゃったわね、私」

声に気付いて周りを見ると、アキの寄りかかる壁の隣にはイネスの姿があった。
言葉とは裏腹に、悪びれた様子は全くない。
その態度には、見覚えがある。
どこかで見た、嫌いな人物の態度と類似していた。
ルリはアキの隣に駆け寄ると、イネスを睨む。

「ルリ、やめてやってくれるか?」
「え……」

ビクッとして、アキを見上げる。
アキが批判、侮辱されたのに。
アキが疑われたのに、どうしてイネスを庇うのかルりには理解できない。

「どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も、私の意見がここでは信用に足らなかった、それだけよ」
「あまりにもお粗末じゃなかったか、イネス・フレサンジュ博士?」

小声で会話する二人には、互いに嫌悪感は感じられない。
むしろ、好意的。
アキの皮肉に、イネスは苦笑までして見せた。
アキまでも、何がおかしいのか苦笑している。
この瞬間、ルリは不愉快の感情を理解した。

「最初から気付いてた、って訳ね。やっぱり面白いわ、貴方……で、どうだった?」
「芝居の見過ぎだ。何がしたかったのかわからん」
「この艦での貴方の立場、それが知りたかっただけよ。事実は事実だけど、バイザーとか、穴を探せばいくらでも見つかるわ。第一、木星蜥蜴は無人機集団、仮に人型で高度な知能を備えた生命体だったとして、わざわざ地球の新造戦艦の位置を調べて乗らなくても、火星の私を捕まえた方が早いじゃない」
「ひねくれてるな」
「あら、理解していたのに黙って付き合ってくれた貴方ほどじゃないわ……それにしても嘘はつきません、か。まさかそんな答えが返ってくるとは、人気者はつらいわね」
「誰が……ルリが庇ってくれなかったら、誰も何も言わなかった」

ついにはくっくっと声を出して笑い出す。
ルリはきょとんとして二人の会話を聞いていたが、段々と堪えられなくなってきた。
知り合って間もないのに、旧知の友のような会話。
実際は腹の探り合いなのだが、遠慮の無さが伺える。
ルリは、精一杯の勇気でイネスの前に立った。
改めて思い返すと、かなり恥ずかしい言葉もあった。
それなのに、アキはイネスが本気でアキのことを敵だと思っていたのではないと知っていたのだと言う。
納得いかない気持ちもあってか、文句の一つでも言ってやろうとルリが顔を上げる。
くしゃっ、と手がルリの頭に置かれて頭は動かなかった。
もちろん、アキの大きな手。
黙ったままのルリを気にしていたのか、アキはこちらに顔を向けていた。

「……ルリ、ありがとう」
「……はい」

ずるい。
卑怯だ。
しかも天然だから質が悪い。
そういえば、久しく撫でられていない気がした。
気持ちいい。
何も、言えなくなってしまう。
ルリはアキに撫でられながら、頬を染めて俯いた。

「この子とは、どういう関係?」

今度はイネスが屈んでルリと目線を合わせて来た。
目は合わせるのに、アキに話し掛ける。
たぶん、仲良くはできない。
ルリはそっぽを向いて、アキの陰に隠れた。

「旅を共にする仲間……ではどうだ?」
「ふふふ、まあいいわ。貴方が表に出てきたきっかけ、つまりは現時点で貴方を一番よく知る者……興味深いわね」

一番よく知る者。
それに当てはまるのは、恐らくオモイカネくらい。
実際はほとんど何も知らないのだが、余計なことを言ってアキを不利にするのは本位ではない。
勘違いしているならさせて置こう。
イネスの食い入るような視線から守るように、アキが一歩前にでた。

「さっき、どっちの味方かと聞いたな」
「ええ。私の予想ではクリムゾンかアスカの人間だと思ってるけど……それが? 実は木星人でしたとか言うつもり?」
「クリムゾンには恨みがある、アスカ・インダストリーには興味がない」

ルリはアキの言葉を聞き逃さない。
地球での戦艦造船を手掛ける三大企業。
ネルガル。
クリムゾン。
アスカ。
クリムゾンに恨み。
恨みと聞いてまず初めに思い浮かぶのは、アキの身体のこと。
本当なら、ルリには許せなかった。
自分のことではなくても、アキはオモイカネと一緒のルリの初めての『友達』。
友達を酷い目に遭わせたのなら、許せない。
あとで、徹底的に調べてみよう。
アキが口に出したのなら、何かは見つかる筈だ。

「選択肢を減らしてくれてありがとう。木星人ではないとしたら、同僚とか?」
「調べていなかったんだろう?」
「……それなら、何なのよ?」

いじけたようにイネスは、アキに聞いた。
先ほどまでクルーと対峙していた涼しい表情からは想像できないほど、子供っぽくふてくされている。
不思議と大人なイネスがしても、似合わなくはなかった。
イネスの態度にアキは苦笑すると、後ろに隠れていたルリを抱えて自分の前に降ろした。
突然の行動に驚いて、ルリはアキを振り返る。

「ア、アキ」
「……俺はこの子の味方だ」

頭に手が当てられる。
ルリはアキらしくない行動に、違和感を覚えた。
優しいのはいつものことだが、アキが積極的に何かを話すのも、自分のことを言い出すのも不自然。

「この子の?」

イネスは意外そうにアキを見る。

「俺が今もこの場所にいる理由。何があっても、この子とナデシコを守ろうと誓ったから、俺はまだここにいる」
「…………私、が?」

アキがナデシコに乗った理由。
やり残したことがあると、そう言った筈。
やり残したこととは、自分を守ること?
アキがナデシコにいるのは自分のため?
内心動揺。
それとは別に、アキはまたキザな台詞を言っている自覚はあるのだろうか。
自覚がないのはいつものことだが、周りにルリがいることを考えて欲しい。
ルリは、またアキの後ろに隠れた。
イネスは何やらぶつぶつと考え込んでいる。

「あー、全くわからない。貴方が言うことを纏めるなら、火星出身の経歴不明無所属盲目の特級パイロットは、ホシノ・ルリのためだけにナデシコに乗ったって……信じると思う?」
「どう判断するかは……」
「……そうだったわね。参考程度にはしておくわ、貴方は嘘をつかない、だったわよね?」

イネスはルリに確認を取っているようなので、こくんと頷くことにした。
少なくともルリには嘘をつかない、もしくはつけない。
イネスにはどうだか分からないのだが、言わないで置くことにした。
それからイネスはまた何か考えるようにぶつぶつ言いながら、ブリッジから出ていった。
天才。
イネス・フレサンジュ。
医師の資格まで持っているらしい。
ルリも天才と言えば天才なのだが、人為的な作為であるものが多い。
性格も違えば、思考回路も違う相手の考えていることは理解できないだろう。
アキを見る。
アキはいつものように、ボーっとして何かを考えている。
その間も、アキは愛しむようにルリの頭を撫でていた。
何かが、おかしい。
ルリから近づくことはあっても、アキから歩み寄ってくるのは、いつもはない。
アキの考えていることも、イネスが考えていることも、ルリには理解することはできない。
ルリは控えめにアキのマントをくっくっと引く。
アキは気づくと、ルリに近付くように身を屈めた。

「アキ……?」
「……君は、幸せになってくれ」
「幸せ?」

ルリに囁くように、アキは呟いた。

「そうだ。いつか結婚して、家庭を持って……最後まで、自分が後悔しないように生きろ」
「そんなこと、まだ考えられません」
「覚えていてくれるだけでいい。俺のことは忘れもいいから、その言葉だけは覚えていてほしい」

アキは、ルリを撫でるのをやめない。
ルリのためにではなく、アキが自分から望んでしているように。
変だ。
絶対に。
今日のアキは、変。
イネスとの会話も、しなくても、話さなくていいこともあった筈。
無理に積極的になっているような気がする。
今の状況だって、ルリには別れを告げているようにしか聞こえなかった。
言えることを、無理矢理全部吐き出してるようにしか見えなかった。
ルリは不安な顔でアキを見た。

「……どうしたんですか? アキ、変です」
「……俺は……結局何もしてやれなかった……」
「え……」
「……ここにいるべき人間ではない……大事に……ごめんな…………」
「アキッ!」

うわごとのように小さな声で何かを喋り続けるアキ。
怖かった。
アキが呟く度に、どんどん希薄になっていくようで。
ルリが大声で名前を呼ぶと、アキは初めて自分の行動に気付いたと言わんばかりに、ビクリと身体を揺らして立ち上がった。

「……すまない」

謝られても、何を謝ったのか分からない。
アキが逃げるように扉へ歩き出す。
無意識の内に足は、アキを追いかけた。
あのまま放って置いてはいけない。
ルリの勘は、ことがアキ関係の嫌な予感であるなら外したことがない。
追いかけるまでもなく、アキは扉の前で止まった。
見れば、扉からはテンカワ・アキトがブリッジに入って来ている。
いつもの人が良さそうな顔ではなく、怒りの表情。
道を譲ったアキと同じように、ルリも避ける。
ずんずんとフクベに向かって進んでいくアキト。
気が付くと、アキは扉の前で立ち止まっていた。

「さっきイネスさんに言われた、よくこの艦に乗ってられるなって……あんたが第一次火星会戦の指揮をとってたのかよ?」
「何言ってるのよ、アキト。フクベ提督が第一次火星会戦で指揮をとった英雄じゃない」

知らなかったのだろうか。
地球では子供でも知っていることだ。
ユリカの言葉も届いておらず、凄い剣幕のアキトに対して、フクベは思い詰めた表情で黙って肯いた。

「戦闘で撃墜されたチューリップのせいで、一つのコロニーが消えた……あんたが、あれを落としたのか?」

クルーが、息を飲む。
フクベは顔を上げて、アキトの目を見て言った。

「そうだ。私が君の故郷を破壊した」
「おまえがっ!おまえがアイちゃんを、火星の人たちを……っ!」

アキトが、腕を振り上げる。
殴るのだろう。
パイロットたちが制止するにも、間に合わない。
間に合うとしたら、ルリの隣の人くらい。
隣を見る。
アキの姿は、ない。
アキは、フクベとアキトの間
振り上げたアキトの拳を、アキは微動だにせず受け止めていた。

「アキ君……やめてくれ。これは私の問題だ」
「なんで止めるんですか!? アキさんだってわかるでしょう、こいつがユートピア・コロニーをっ! こいつがっ!」
「……それ以上喋るな」

アキの怒声を聞いたのは、ルリは二回だけ。
ムネタケを殺そうとした時と、今、アキトを殴りつけた時。
殴り飛ばされたアキトに艦長や、ヤマダたちが駆け寄った。
アキトは信じられないとでも言いたげに、尻餅をついてアキを見つめる。

「アキさん、アキトに何するんですか!?」

ユリカを無視すると、アキはアキトを睨みつけた。

「なんで……?」
「お前は、提督に何か言う権利があるのか?」

アキはアキトに歩み寄ると、胸ぐらを掴み上げて立ち上がらせる。

「独りだけあの場所から逃げ出したお前が、提督を責める権利があるのか? 独りだけ生き延びた、お前が」
「――ッ!? そんな、俺は……」
「俺もお前も、逃げ出したんだ。故郷を見捨てて、守りたかった人を見捨てて」
「違うっ! 俺は、見捨ててなんか……あいつだっ! あいつが全部悪いんだっ!」

アキの手を振り払って、フクベに再び殴りかかろうとしたアキトは、次の瞬間、宙を舞った。
アキを軸にぐるんと一回転すると、アキトの体が硬い床にぶつけられる。
一撃で気絶したのか、動く気配はなかった。

「うわっ、痛そー」
「「アキトォォーッ!」」

ヤマダとユリカが揃うと、とても五月蝿い。
ルリは耳を塞いだ。

「……言ってわかる男ではない、か」

アキは呟くと、ルリの側まで歩いてくる。

「艦長」
「は、はいっ!」
「そいつは提督に拳を上げた……独房刑くらいにはなるんだろうな?」
「え、それはちょっと……」
「なるんだろうな?」
「……はぁい」

艦長の返事を聞くと、アキはブリッジを出ていった。
皆、呆然としている。
無理もない、アキが言ってることはアキトにしか、火星にいた人にしか伝わらないのだろう。
開いた扉。
アキの姿が小さくなっていく。
ルリは急いで、アキのあとを追いかけた。








焦りと、憤り。
今日のアキを見ていると、そんな気持ちが読み取れる。
イネスとの会話もそうだが、アキらしくない。
ルリに何かを伝えようとして失敗したり、呆けて別なことを考えていたり。
後者に関しては、火星に近づくにつれて回数が増えていった。
増していったのはボーっとする回数だけではなく、疑問も。
故郷の火星。
両親を亡くした。
移民名簿に無い。
クリムゾンに恨み。
傷ついた身体。
ナデシコに乗った理由。
ルリのため。
自分を古くから知っている。
正体不明。
アキ。
纏まらない、繋がらない。
焦っているのはルリも同じ、アキは何かをしようとしている。
オモイカネが言っていた『危険なこと』。
止めないと。

「……ま……って、ください」

アキの歩幅は広い。
ルリの歩幅と比べれば差が付くのは当たり前だが、アキは明らかに早足だった。
息も切れ切れ。
ルリの制止に、アキは後ろ姿で止まった。

「……ルリ」

ほんの少しの違和感、それがとても怖く感じる。
アキが、顔を向けてくれない。
アキの声に、力がない。
確証のない焦りが、ルリに警報を鳴らす。
後ろ向きのままアキは自分の杖を両手に持って、ルリに見せた。

「短い間だったが、俺を支えてくれた。もう必要ない……ナデシコに、置いてやってくれ」

カランと、杖はアキの足元に落ちる。
見えるように動けると言っても、アキはナデシコで杖を手放したことはあまりない。
短い間。
必要なくなったと、確かにアキは言ったんだ。

「…………なんで……」

自然と声が震える。
アキの手を掴んでしまえばいいのに、それができない。
俯いて床を見る。
おかしい。
自分も、アキも。
変じゃないか。
人間開発センターで別れた時は、こんなに怖いなんて思わなかった。
こんなに、誰かを失いたくないとは思わなかった。
それが、今では――


「未来……しっかりな」


あの時と、同じことを言われた。

「アキッ!」

いなくなる。
アキが、いなくなる。
直感して顔を上げた時には既にアキの姿はなく、薄い光がゆらゆらと煌めいていた。
まだ間に合う。
ナデシコから出る手段は限られている。
諦めずにルリが走り出すのと同時に、ナデシコに警報が鳴り響いた。





感想
きゅ、急転直下!?
どうなる次回って感じか!?
真っ先に読める管理人って素晴らしいな。