アキと人工自然公園で出会ってから既に一週間。
 ルリは今日も公園のベンチに座って居た。
 実験をして、昼食を買って、公園に来て、部屋に戻る。
 サイクルこそ変わらないが、一日の内に必ず接触しなければならない人間が研究員以外に現れた。
 ルリの膝の上には食堂で買ってきた、日替わりA定食がある。
 結局、あれから情報の進展は全くなかった訳でもないはないが、聞いたせいで余計に分からなくなったと言うか。
 アキは答えられない事には答えず、だんまりを決め込む。
 今、アキは散歩にいっている。 ルリは本当にアキが不思議な人だと思う。
 今更だが服装の事ではない。
 最初は手放さなかった杖は、今はルリの脇のベンチに立て掛けてある。
 ルリが来た時、アキは杖を持たず割と普通に歩いていた。 治ったのかと思い驚いて聞いてみたが―。
 
『地形を覚えただけだ。あとは光量と気配でどうにかなる』

……本当に人間なのだろうか。





 あれから暇を見つけては公園に来るようになったルリは、アキがどう言う人間かある程度把握出来るようになっていた。
 極力多くを語らず、「ああ」と「そうか」で片付く事はそれで済ませる。
 研究所の職員のみたいにルリを物扱いする訳でも無ければ、ルリに『子供らしさ』を強要する人種でもない。
 今までに会った事がないタイプの人間だった。
 だが、積極的にルリの行動に意見しないアキが、一日だけルリに沢山の事を話した日がある。
 昨日。 それはルリの食事についての話題が出た時。 ルリは自分が朝食と昼食と夕食はジャンクフードを食べていると話した時だ。
 
「あまり感心しない」

 アキはそう言った。

 「何故ですか?必要な栄養は摂取できます」

 アキはそう言う事を言う人とは違うと思っていたルリは反論した。

 「確かに、人が作るものと違って味も安定している。定食を頼むよりは安いだろう」

 その通りだと思う。 アキはいつに無く真剣な顔でルリを見て言った。

 「なら、どうして……」
 「だが――」

 だが?

 「あまり……大きくなれないぞ?」
 「…………は?」

 間抜けな声が出た。
 アキのいつに無く真剣な表情を見る限り、冗談を言っている訳でもなさそうだ。
 
「君の成長にはあまり良くない、と言う事だ。それに脳への栄養の周りも悪い」
 「成長……ですか?」
 「ああ」

 アキはルリに家族の団欒とか、暖かさを強要しているのではなかった。
 成長。
 ルリにとっては考えた事もない事だ。
 自分の未来は企業や組織に売り買いされるのだと決まっている。

 「……関係ありません。私は一生研究所生活でしょうし」
 「違う」

 否定された。 この人に何が分かると言うのだろう、とルリは少し腹を立て反論しようとする。
 
「それなら……君がいつか、この施設を出られる時がきたらどうする?」
 「え?」

 ルリが言葉を返す前に、アキから問い掛けられた。
 アキとここまで会話をするのも、珍しい。

 「例えば何処かの会社が君を買い取り、仕事が終わった後は自由に生きろと言われたらどうする?」

 ルリにはアキの質問の意味がよく理解出来ない。

 「ありえません」
 「だが、可能性が無い事はない」

 確かに、物好きな金持ちがルリを極めて客観的に不憫に思ったり、マシンチャイルドの人権を尊重する事ができるくらい余裕があって儲っている会 社があれば、そんな行動にでる確率もあるかも知れない。
 自由。
 ルリの行動には物心ついた時から、制限がついていた。
 今ここでアキといる時間も、監視されない唯一の時間と言っていいだろう。
 なった事もない自由をルリには想像できなかった。

 「誰にでも、自分で行き方を決めて未来選ぶ権利がある。もちろん君にもある。他人任せが嫌なら、君が自分で貯めたお金で自分自身を買い取って もいい」
 「…………」
 「無理をして普通の食事を取れとは言わないが……」

 今日のアキはよく喋ると、ルリはそう思う。
 確かにアキが言う事はもっともな意見だ。 言われなければルリは、一生自分の未来について考える事はなかっただろう。
 ふと、アキを見るとはっきり分かるくらい困ったような顔をして言葉を止めていた。

 「どうしました?」
 「いや、俺は君の生活に口をだしたり、説教できる程偉くはない。すまない、余計な事を言った」
 「いえ、気にしないで続けて下さい」

 有り得るとしたら兄かと思ったが、こういう姿を見ると先生という線も濃くなってくる。
 いったいこの人は何者なのだろうか。
 どうしてルリの事を、こうも気にかけるのだろうか。

 「なら一つだけ……約束してほしい事がある」

 ルリはこくんと頷く。
 見えないだろうが、何故かアキにはルリの頷きがしっかりと伝わるらしい。
 アキはバツが悪そうにルリの方を向くと、言った。



 「毎日の昼食がハンバーガー一つでは足りていないだろ?ちゃんと自分の満足するくらいの食事を取ってくれ」



 ルリはアキの言葉に固まった。
 マシンチャイルドとは本来、常人の平均以上にカロリーを消費する。
 人間の処理の限界以上の事をやっているのだから、その分エネルギーを多く消費するのは当たり前なのだ。
 実験なら実験した分、お腹はよく減る。
 しかし、ルリは極力食べる量を抑え我慢していた。
 ルリにも、人並みの羞恥心くらいある。
この小さな身体にハンバーガーを3個も4個も抱えて歩くのはどうしても忍びなかったのだ。
 一生、誰にも話す事はないだろうと思っていた。
 それは言わばルリの絶対に隠さなければならない最大の秘密と言ってもいい。
 それを何故アキが知っているのか。

 「どうした?」

 アキに声を掛けられて、ルリはアキを見上げる。
 
「……なぜですか?」
 「ん?」
 「ん、じゃありません。どうしてアキが私の食事が足りてない事を知っているんですか?」

 低く、押し殺した声でアキに問う。
 ルリの言葉の意味に気付いたのだろう、アキの変化は劇的だった。
 初めて出会った時と全く同じ動作で、穏やかな表情だったアキは慌てて表情を消し、無表情に。
 そのまま視線をルリから外して虚空を見つめ、左手では杖を掴む。
 その行動はもう遅い。
 ルリはしっかりと聞いてしまった。

 「……散歩に、行ってくる」
 「ダメです」

 ルリはアキの黒いマントを掴んで引き止める。

 「……誰かと勘違いしていた。聞き流してくれ」
 「聞きました。絶対に答えてもらいます。あなたは何者なんですか?」

 アキは溜め息を吐いて、再び腰を下ろした。
 杖は奪って置く。
 少し目を離すと、アキなら居なくなり兼ねないからだ。
 目を移す。
 アキはあちゃーといった風に額を手で押さえていた。

 「……誰だと思う?」

 額を押さえたまま、アキは逆に問い掛けてきた。

 「分かってたら聞きません」
 「賢い君の事だ。予想くらいはついているんじゃないか?……もしも当てたなら全てを話してやろう」

 全て。
 ルリにとっては一番聞きたい、自分の故郷に繋がる話が関わっている可能性もある情報。

 「……私には4才より前の記憶がありません」
 「そうか」

 アキは驚きもしない。

 「だからアキに名前を呼ばれた時、もしかしたら私の過去を知っている人かも知れない、と思いました」
 「…………」
 「覚えてないものを当てられません。ですが……もしかしたらアキは私の兄妹とか、小さい時に私に会っていた人じゃないんですか?」

 アキは何も答えない。
 いつもの無表情は肯定にも否定にも読み取れる。
 やがて、アキはゆっくりと口を開いた。

 「残念だが……」
 「……そう、ですか」
 「ああ……すまない。意地の悪い問題だったな」
 「いえ」
 外れた。
 しょうがない。
 元々、当たる可能性の方が低かったのだ。
 しかし、残念なものは残念。 また振り出しに戻ってしまった。

 「……答える事は出来ないと分かっていた。辛い事を思い出させたか?」
 「いえ、辛くはありませんが……これで両親を知る手掛かりも、アキへの手掛かりも無くなってしまいました」
 少し肩を落とす。
 いったい自分の両親は何処にいるのだろう。
アキはいったい何者なのだろう。
 考えれば考えるだけ分からなくなって行くような気した。
 ぽんぽんと、ルリは頭の上に温かい感触を感じた。
 気がつくと、アキの手がルリの頭に乗せられていた。
 頭を撫でられるという行為には、相手を褒めたり励ます意味がある。
 普通は子供相手にする事だが、ルリは子供扱いされた事に不思議と不快感は抱かなかった。

 「アキ?」
 「本当に、すまない。……今はまだ言えないんだ」
 「いいんです。気にしないで下さい」
 
『今はまだ』。
 いつかは言ってくれるのだろうか。
 ルリは頭の上の感触を楽しむ。
 温かい、大きな手。
 少しの間、ルリは目をつぶり頭を撫でられるという初めての行為を甘受する。
 しばらく撫でられて、アキの手はゆっくり離れた。

 「あ……」

 離れた手を見上げて、 不覚にも少し寂しく思った。
本当に、らしくない。

 「……父がいたらこんな感じなのでしょうか?」
 「だとしたら最悪の父親だ。どこも似ていない」

 割と似ているとルリは思う。
 性格とか、捻くれた所とか特に。

 「私の容姿は遺伝子操作によるものですから……何とも言えませんが、私の髪も顔のつくりも少なくとも親譲りと言う事はないと思いますよ?」

 ルリは俯く。
 自分の髪も顔立ちも、親に似ている所はないのだろうと、溜め息を吐いた。
 アキから返事があったのは、そろそろ帰る時間かと出口を見た時だった。

 「いや、確か君の髪は母親譲りだと思ったが……」
 

「え……母、親?」
 「あ」
 「今なんて……」

 ルリが振り返ると、アキの姿もルリの脇に置いてあった杖も既になかった。 ただかつかつと杖をつく音だけ小さくなっていく。
 遠くの黒い影が、角を曲がって消えた。
最早視覚障害者の移動速度ではない。

 「アキ……逃げましたね」


その後ルリはしばらく園内を探し回ったが、アキの姿は見つからなかった。




感想は第五話でまとめてあります