そんなこんななやり取りがあり、ルリはまた公園に来てアキの帰りを待っている。
食事もジャンクフードじゃない普通のもの。
うやむやに誤魔化されたとは言え約束は約束。
少し値は高くなるが、ハンバーガーを食べるよりは量が多いだろう。
そもそも値段は気にしない。
こうして食べて見ても悪くないものだと思う。
ルリは今日、初めてアキが食事をしている所に遭遇した。
カロリービスケット。
軍隊などでよく利用される、如何に早く如何に効率良くエネルギーを摂取するかを突き詰めたような、小さなビスケット。
アキの食事はそれを口に一枚頬って終了した。
確かにアキはこれ以上、身体は成長しないかも知れない。
それでも、あれは食事と言えるようなものではなかった。
その事を指摘しても、アキは小さく苦笑するだけで何も言わずにルリの頭を撫でてくるだけだった。
間違いない事だが、何かまだ隠しているのだと思う。
アキの事も気になるが、今日の目的は一つ。
アキが昨日言った『母親』について問い詰める。
案外、あの人は間が抜けてるのかもしれない。
ただすぐに逃げるのはやめてほしい。絶対に追いつけないから。

「……昔、家族にも隠し事が出来ない性格だと、良く言われたよ」

ビクッとして隣りを見る。
いつの間に帰って来たのか、そこにはアキが座っていた。

「家族……?」

当たり前なのだがアキにも家族がいるのだ。
なら、今どうしてここに座っているのだろう。

「帰る場所はないんじゃないんですか?」
「……ああ、もう二度と逢えないからな」
「え……」

二度と逢えないと言う事は―。

「……ごめんなさい」
「気にするな、俺から話した事だ」

しばらく沈黙が続いた。
アキが自分の事を話すのは初めてだ。
ルリもたまに愚痴に近い事を言ったりもしたが、アキはいつも聞く側。
静まり返った雰囲気を打ち消す様に、アキが話出す。

「気になるか?昨日の事」
「それは…あります」

ない筈がない。
いつもは黙る筈のアキ。
しかし、言葉は続いた。

「……スウェーデンの山奥に洋館がある」
「え?」
「数年前まで、その洋館には遺伝子操作によって生まれた子供たちが、自分のしている事の意味も考えないままただ学習を続けていた」

スウェーデン。
7年前。
父親。
母親。
子供たち。
先生。
少しづつ思い出す。

「アキ……それは」
「『よくやった、ルリ』」
「ーッ!?」

知っている。
ルリはまた思い出す、それは両親の言葉だ。
アキの言葉は棒読みだが、その棒読みが良く似ている。

「『えらいよ、ルリ』、『かわいいよ、ルリ』『よくや……」
「やめて……ッ!」

どんどん思い出していく。
深海色の壁。
小さなベッド。
壁には海をイメージした絵がある。
しかし、そこには子供以外の人物が見当たらない。

「……目的は教育。子供たちはロボットを遊び相手に、教育型のコンピュータを先生として生活していた」

アキは構わず話を進める。
まるっこいロボット。
ルリが小さい頃にトランプやチェスなどで遊んでいた。
だが、両親は見つからない。
思い出したくない。


「やだっ!もう聞きたく……」
「……そのコンピュータの中に『parents』、『両親』と言うプログラムがあった」


「あっ……」

全部、思い出してしまった。
机の並べられた教室。
共に勉強する子供。
コンピュータが教えてくれる勉強。
そしてモニターに映る、目も鼻も口もないシルエット姿の両親。

『よくやった、ルリ』
『かわいいよ、ルリ』
『えらいよ、ルリ』
『ばんざーい』
『ばんざーい』

気持ちが悪い。
吐き気がした。
持っていた食器を落とし、顔が真っ青になる。
ルリの身体が傾きかけた時―。
―バサッと何かがルリの身体を覆った。
ルリはアキにしっかりと抱き締められていた。

「すまない……本当は自分で確かめて欲しかったんだが」

アキが謝る。
彼なりに言うまいか考えていたのだろう。

「……兄妹どころか、私には本当の両親すらいなかったんですね」

アキは何も言わず、ルリの頭を撫でた。
温かい。
アキの手はとても温かいと、ルリは思った。

「教えてくれて、ありがとうございます」
「すまない」

アキは謝り続けた。
ルリはただ撫でられる。
結果的にルリの過去は明らかになった。それが望む形にしろ、望まぬ形にしろ決着はついたのだ。
だが最初から知っていたアキについては、今だに何も分からない。

「……いつかあなたの事、教えて下さい」

ルリはアキに抱き締められたまま、聞こえないように呟やく。
ルリは心の中で何かが吹っ切れたような、そんな感覚を抱いていた。






「大丈夫か?」

ルリが落ち着いた頃、アキがゆっくりと話掛けて来た。

「はい、ありがとうございました」

両親はいなかった。
先生も人物では無くコンピュータ。
住んでいた館は故郷ではなく、人間開発センターと同じ研究所。
理解はしていても、少し辛い。

「ちなみに、その話には続きがある」
「…………は?」

アキが話出した。
ルリの頭にはアキの手があるので顔は見る事が出来ないが、恐らくアキは笑っているのだろう。
小刻みに手が震えている。
手を置いているのは、笑顔を見れないようにする照れ隠しかも知れない。

「スウェーデンの近くに中立国家ピースランドと言う国があるのを、知っているか?」
「……いえ」

アキの声はいつになく、楽しそうだ。
からかわれている感じがして、ルリは少し不機嫌に応える。

「……ピースランドの女性は薄い青色の綺麗な髪をして生まれて来るらしい」
「…………」

ルリは頭の上の手を取っ払って、自分の髪とアキの顔を交互に見た。
薄い青色。
アキは手で口許を隠している。
笑ってる。
十中八九笑っている。

「アキ、笑ってますよね」
「……笑ってない」
「嘘です」
「ピースランドでは……」

話を逸らした。
やっぱり大人は狡いとルリは思う。
ルリはアキを睨みながら、話を聞く。

「今代の国王夫妻になってから子宝に恵まれなくてな。近隣のとある研究施設に遺伝子を提供して体外授精で子供を作ろうとしたらしい」
「随分と大胆な話ですね」
「ああ、跡継ぎがいなくて必死だったんだろう。だがその王女になる筈だった娘も4歳の時に研究所が廃止になり、ピースランドでは今も行方不明になってい る」

4歳。
ルリがこの研究所に来たのも4歳。
ルリの髪はピースランドと言う国では、割とポピュラーなものらしい。
きょとんとした顔をして、ルリが言葉を漏らした。

「……私、もしかして王女ですか?」
「ルリ王女、とでも呼んでほしいか?」
「それよりアキは呼び捨てでいいので名前を呼んで下さい。いっつも『君』じゃないですか」
「む……」

突飛過ぎて頭が付いて行かない。
アキはまたルリの頭に手を置いていた。

「国王はそれから子息を何人か授かって、今でも王女を捜索しているらしい」
「……そうですか」
「あまり驚かないんだな」
「驚いてます。信じられないくらい」
「……今更だが、全部作り話かも知れないんだぞ?」
「アキは、嘘を言いません。嘘を言うくらいなら黙るでしょう」
「…………」

正論だけに、アキは何も言って来なかった。
『今も行方不明』。
不確定。ならアキはどうして知っているのか。
アキはルリを励ますために嘘を言うくらい軽薄な人間ではない。
やはりその情報は正しいのだ。
何故知っているか、何て質問は今更過ぎてルリは問う気にもならなかった。

「……国王に伝えてやる事は出来ないが、いつか正式に対談を申し込まれる日がくるだろう」
「そうでしょうか?」
「家族とは尊いものだ。例えそれが会った事がない家族でも、だ。絶対に見つけてくれる、それまで自分を大事にな」

ルリの頭をくしゃくしゃっとし、アキは立ち上がった。

「……どうしました?」
「少し出かけて来る。疲れたなら今日は早めに寝る事だ」

そう言ってアキは歩きだしてしまう。
どうやって入って来たのかも知らないが、どうやって出るのかも分からない。
素人がすんなり出入りできる程、この研究所の警備は甘くは無い。
ルリはアキが曲がった角まで小走りに追いかける。
その先は行き止まりで、アキの姿は既になかった。




懐かしい通路を歩きながら、アキはある場所を目指す。
右手に掴んだCCをしまい、バイザーに手を当てた。
ルリの所からボソンジャンプし、一発でここに辿り着けたのは幸運としか言い様がない。
最近、ジャンプの精度が安定しないのだ。
目が見えないのは不便だが、杖がある分いくらかは楽、まだ明かりも無い通路をただ歩いて行くと、目の前の扉が自動で開く。
どうやら電気は周っているらしい。
扉の先はブリッジだった。
ナデシコA。
この頃はAやBと言った呼称も無かった。

「……懐かしい、か」

アキが料理人として、パイロットとして歩き始めた場所。
今はまだ、誰もいない。
アキは小さい座席の備えられたオペレーターシートに近付きコンソールに手を置く。

「おはよう、オモイカネ」
『おはようございます』

アキの言葉に返事が帰って来る。
ナデシコ搭載のオモイカネ級スーパーコンピュータ、オモイカネ。
遠くない未来でも、その性能は約束されている。

『一つ、質問をよろしいでしょうか?』
「ん?ああ」
『現在、艦内格納庫に限り整備班数名の出入りが許可されています。貴方はどちら様ですか?』
「不法侵入者だ」

けたたましい音を立てて警報が鳴りだした。
冗談が通じない奴だと、アキは思う。

「待て、少し話をしに来ただけだ。何もしない」
『……話?』

ぴたっと警報が止む。
元々本気で鳴らす気は無かったのか、警備がやってくる様子もない。

「ずっと一人で暇だったろう?独り言くらい付き合ってくれ」
『確かに暇でしたが、貴方が破壊、もしくは情報工作目的の諜報員ではないと言う証拠がありません』
「……お前が情報操作なんかされるのか?」
『私の存在意義にかけてされません』
「なら、俺がいても問題ないな」
『…………』

ウィンドウには『考え中』がくるくる回っていた。
アキは構わずに言葉を続ける。

「……まぁ、聞け。一人の馬鹿な復讐者の話だ。その辺の小話よりは面白い」

アキは皮肉気に口元を歪めると、体内の補助脳から自己の記憶を引き出し投影した。





数十分後。
無数のウィンドウに取り囲まれたアキの姿があった。
ウィンドウには『ごめんなさい』『大丈夫?』『ごめんなさい』『痛くない?』『痛くない?』など労りの言葉が記載されている。

「……いい加減にしてくれ。所詮は過去の事だ」
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』
「いや、オモイカネは悪くないだろ」

アキは苦笑しながら、慌てるオモイカネの様子に自分を迎えに来ると言ったAIの事を思い出していた。




感想は第五話でまとめてあります