「はじめまして、ホシノ・ルリさん」
食堂に寄って、今日もアキのいる公園に行こうとしていたルリは館内放送で呼び出され応接室に来ていた。
ルリの目の前には金縁眼鏡にクリーム色のシャツの上から赤いベスト、小さな口髭を生やした中年がわざわざルリと視線を合わせるように腰を屈めている。
「プロス、ペクター?」
渡された名刺を読む。
「はい。ネルガルで会計をやっております。そして、こちらはゴート・ホーリー」
プロスペクターの後ろに立っていた大柄長身の男が頭を下げる。
「突然ですが、ホシノ・ルリさん。我が社の新型宇宙戦艦に乗っては見ませんか?」
「…………はぁ」
「お給料は弾みますよ。危険手当、海外赴任手当などつきまして、このくらいで。福利厚生色々にその他ボーナスも年3回、もちろん税抜きです」
パチパチとソロバンをはじくプロスペクター。
ルリの目はその値段よりも、プロスペクターの提示した契約書に釘付けになっていた。
走る。
ルリは走っていた。
全力で走るのは初めてかもと、初めて尽しの自分を恥じ目的の人物を探す。
直ぐにでも出発しようと言うプロスに返事を少し待ってもらい、ルリは一枚の紙を持って走った。
いつものベンチに人を見つける。
「アキッ!」
「どうした、慌てて。転ぶぞ?」
「……さっきネルガルの人が来ました」
アキの表情がサッと切り替わった。
無表情。
決まってる。アキが表情を隠すのは、何か別な事を隠している時だ。
「……そうか」
「何て言ったと思いますか?」
「俺が知っていると思うか?」
「絶対に知ってます」
断言するルリに、アキは自嘲気味に笑う。
アキはゆっくりとその手を上の方に持っていき、バイザーを押さえた。
「……機動戦艦ナデシコ、か」
「ーッ!」
やっぱり知っていた。
ルリはアキを睨みつけて、びっと紙を突き付ける。
契約書。
プロスから渡された契約書のコピー。
そこには細かな字で規約が幾つか書いてある。
「契約書です。最後の行にこう書いてあります。『この契約内に含まれる全業務終了後、ホシノ・ルリの生活及び人権の自由をネルガル重工が保証する』」
「…………」
アキは何も答えない。
契約書の内容はを簡単に纏めると『仕事が終わったら勝手に生きろ』。
数日前にルリはこの言葉を聞いた事があった。
「全部……知ってたんですね」
「……ああ」
肯定が返ってきた。
ルリは言葉を止めない。
「どうしてですか?あなたは何がしたかったんですか?私に食事の事も両親の事も教えて、あなたに利益なんてないのに……」
「君がホシノ・ルリだからだ」
「……え?」
アキの言葉にルリは止められる。
「君がホシノ・ルリである限り俺は君の助けになる。……それが一生の償いでもあり義務でもある」
ホシノ・ルリだから。
償い、義務。
アキの言っている事は相変わらずよく分からない。
「よく分かりません。……あなたは会った時からずっとそうでした」
「……すまない」
「何者かなんて聞きませんよ。あなたが話してくれるまで」
「…………すまない」
アキは謝罪を繰り返した。
どうしても言えないなら、しょうがない。
明日からは会えなくなると思うと、いつの間にかルリはアキの手を握っていた。
「あなたにとって私は何ですか?」
「……とても大切な、人だ」
「私にとってのあなたもそうです。誰か分からなくても、とても大切な人」
「……ありがとう」
ルリの手に力が入る。
礼を言うのはこちらの方だ。
何者かは結局分からず、ルリは一方的にアキからたくさんのものを受け取った。
やっぱり、この人は卑怯だとルリは思った。
「私は、戦艦に乗ろうと思っています。そしていつか故郷に行ってみます」
「……そうか」
「……私がいなくなったら、アキはどうするんですか?」
ルリはアキを見上げる。
正直、心配だ。
ルリから見てアキはいつも希薄だった。
それもルリが来なくなったらスーッと消えて無くなってしまうと思うくらい。
ルリの頭に手が置かれる。
アキは苦笑してルリの頭を撫でた。
「心配するな、ちゃんと生きるよ。それが家族との最後の約束だ」
「そう、ですか」
髪をくしゃくしゃっとされるのが気持ちいい。
ルリは猫のように目を閉じて無言の時間を楽しむ。
無理に言葉にしなくても気持ちが伝わっているようで、ルリはアキといる静かな時間が好きだった。
「あっ……」
頭から手が離れた。
残念そうに声を漏らしてしまった自らの口を、羞恥心から塞ぐ。
隣りを見るとアキは自分の左手から何かを外している。
「これをやろう。餞別だと思ってくれ」
渡されたそれを見る。
それは時計だった。
真っ黒い腕時計。
今時の時計はかなり薄く開発されている。それなのにアキが渡した時計は大きめで無骨なデザインだった。
「……出来れば着けていてほしい」
「ありがとう、こざいます」
餞別。
旅立つ人に渡す物。
早速腕に着けてみる。
ルリの細い腕に大きく無骨な時計は似合ってはいなかったが、アキの物であると言うだけでルリは嬉しい気分になった。
時間をみる。残念だがそろそろ戻らなければいけない時間だ。
「……さよなら、です」
「元気で、健康には気を付けろ」
「アキに言われたくありません」
手を繋いだまま二人はそろって苦笑した。
アキと言う名前以外に、ルリはアキについて何も知らない。
手を放したら、もう会えないかもしれない。
もしかしたら、ひょっこりまた現れるかもしれない。
ルリが口を開く。
「……またあえますか?」
「……ああ、再会は君がちゃんと未来を選んでからだ」
「はい、約束です」
小指を指しだす。
アキは恥ずかしいのかそっぽを向いて、ためらいながら指を差し出した。
ゆーびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった。
大人と子供の指きり。
黒衣の男と妖精のような少女故に、その光景はかなりシュールだった。
始終二人が目を合わそうとしなかったのは、案外ルリも恥ずかしかったかららしい。
ベンチを降りて、ルリは出口に向かう。
向かう途中、腕時計が巻かれた場所が温かく感じ、何度か触って確かめる。
アキと出会ってからの時間は短い。それでも大切な事を教えてくれたとても大切な人だ。
「……じゃあな、ルリ」
背中から掛けられた言葉。
振り返るとアキは微動だにしていなかったが、ルリは確かにその言葉を聞いた。
初めて、名前で呼んでくれた声を。
「……ありがとう、アキ」
ルリは前に向かって歩き出していた。
アキは誰もいなくなった公園で一息吐く。
ルリは行ってしまった。
本当は両親の事も生まれの事も干渉しない方が良かったのかも知れない。
自分はイレギュラーな存在だと、アキは思う。
異分子。
存在してはならない者。
本来ならここでアキが言わなくても、ルリは食事を改めたし両親の事にも気がついた。
それでも、アキには放って置く事が出来なかった。
彼女はアキにとって大切な人だから。
「……俺は、大切な人なんて言われる人間じゃない」
また、溜め息が出た。
アキはルリがナデシコに乗り大切な思いでと、大切な人を見つけてくれる事を願う。
オモイカネには記憶を見せ、頼んである。
ガイが死ぬ事もない、サツキミドリ2号が破壊される事もないだろう。
しかし、あの頃に無かった力が今はある。
乗れば未然に防げる事もあるだろう。
だからこそ、何もしなくていいのだろうか。
アキは自分でも纏まらない考えを振り払い―
―銃を抜いた。
抜いた銃をそのまま目の前の林に突き付ける。
「……いつまでそうしているつもりだ」
「いやはや、バレておりましたか」
がさがさと音を立てて一人の男が這い出て来る。
赤いベストに髭の中年。
プロスペクターはパンパンと葉っぱを払って、アキの向かいに立つ。
「不躾とは思いながら、ルリさんを監視しておりました」
「知っている。お前は昨日からだったな」
アキが会った瞬間からルリには監視が付いていた。
ルリはスキャパレリプロジェクトの要になる存在だ。
ネルガルの社員が交代交代で護衛、監視についているのは当然と言える。
プロスがルリの監視についてから、急に気配が読みにくくなったの覚えている。
「そこまで気付いていらっしゃるとは……そろそろ歳ですかな」
「仮にもネルガル・シークレットサービスの長が言う台詞か、プロスペクター?」
気配は一人。
行動を起こすつもりならプロス一人では来ない。
アキは銃を降ろす。
「……名刺要らずとは、味気無いものです」
「どうせ渡されても読めん。目が見えないのは知っているだろう」
プロスはわざとらしく出し掛けた名刺を懐にしまい、やれやれとポーズを取った。
「一週間程前に部下から連絡が入りました。ホシノ・ルリさんに怪しい男が接触したと」
「……怪しい事は否定しない。何故取り押さえなかった?」
「よく言えますな。監視していた部下は入れ替わった四人共々全治一ヵ月の重傷。余計な出費が増えましたよ」
「突然銃を向けられて穏便に済ませる程、俺は人間が出来ていない」
プロスの言葉にアキは不敵に笑ってみせる。
プロスは溜め息を付いてアキに向き直った。
「……それとは別に、貴方に興味がありましてね。誰にも発覚を許さない移動術。ネルガルさえも知り得ていない情報。一応部下もそれなりの強さでしたが、盲目のまま流派不明の武術を要いて撃破。さて、貴方の正体はいったい何者なのか?」
「……さあな。最近聞かれる事はそれだけだ、忘れてしまった」
芝居掛かった声で話しだすプロス。
言葉に含みを持つアキに、何故かプロスはニコニコ顔。
数分間睨みあった結果、先に沈黙を破ったのはアキの方だった。
「もう話す事はない。……彼女を、よろしく頼む」
「頼まれましょう」
「いいのか?」
「我々にも必要な事でして。その代わり一つご相談を」
プロスは何処からか一枚の紙を取り出す。
その手の動きは、アキも気付かない程早かった。
「戦艦に乗っては見ませんか?」
「…………馬鹿か?」
「いえいえ、至って真面目ですよ。貴方ならたぶん知っているでしょう、戦艦ナデシコのモットーは」
「……腕が一流ならその他は問わない、か」
「御明察」
パチパチと拍手するプロス。
前の歴史では何年かの付き合いだが、相変わらずこう言った所は素なのか芝居なのか分からない。
「これでも人を見る目はあります。正体不明を差し引いても、その戦闘技術は目を引き、何より貴方はルリさんに対し何をする訳でもなく、昼食を共にし世間話をしていただけでアクションを起こさなかった。少なくともネルガルの敵方に回る気はないとお見受けしますが?」
「ああ、ネルガルを敵に回す気はない」
「でしたら……」
「だが、乗る気もない」
ペンを持ってアキに詰め寄るプロスは、言葉を止められた。
ルリを気に掛けるアキなら乗ってくると思っていただけに、プロスは不可解に思う。
「……何故でしょう。ルリさんを守るなら我々に任せるよりも貴方が乗った方が確実では?」
「生憎、俺は一度死んでいてな。……死人が乗るのにあの場所は少し明る過ぎる」
アキはまた皮肉気に笑って、ベンチから立ち上がった。
今日はちゃんと出口に向かう。
「非常に残念です。貴方のような人材は是非保安に欲しかったのですが、気が変わったらどうぞサセボの方まで」
「すまないな。……見送りくらいには行くかも知れん」
アキは応えると、杖をついて歩き出す。
出口まで差し掛かった辺りで、アキにはプロスの呟きが聞こえた。
「……それにしても指きりとは、微笑ましいものを見させていただきました」
その後、アキは廊下を曲がったところで頭を抱えていた。
感想
今までの話分の感想をここでまとめたいと思います。
俗に言う逆行物のようで。
アキ=アキトということが最初わからなかったり。それは自分の読解力が乏しいせいですが(汗
どうやら次回の話からナデシコ登場のようで、楽しみです。
ルリと指切りするとは…微笑ましい。落ちるに落ちたな、テンカワ・アキト!(管理人暴走)
・・・しばしお待ちください・・・(冷却時間)・・・もち付け…じゃない、落ち着こう。
さて、乗艦に抵抗してるアキはどうなるのか…気になるところです。
あと、ユーチャリスのAI殿がいつ出てくるのかも期待が膨らむところです。
最近は雨が多い憂鬱な天候ですが、体調には気をつけてもらいたいもので。
短いですが、ここまで。次回以降、大いに期待して待っています。では。