「海底ゲートを抜けていったん海中へ入り、そのあと浮上して敵を背後から殲滅します」

そんな艦長の指示があったのはいいものの、艦内はてんやわんや。
状況はあまり良くなっていない。
グラビティ・ブラスト。
ナデシコの相転移エンジンより得られる爆発的なエネルギーを重力波に変換し収束発射する兵器。
所謂、ナデシコの主砲にあたるもの。
しかし、強力故に敵の位置関係から相転移エンジンの出力の上昇など、撃つにあたり様々な制約が伴う。
そこで、誰かに囮をしてもらいナデシコ出航までの時間稼ぎと敵のグラビティ・ブラスト射程内への誘導を行う事になったのだが―。

「なっ、なんだこりゃ!?……うわっ!」
「アキトッ!アキトでしょ!?アキトッ!アキトッ!アキトッ!アキトッ!アキトッ!アキトッ!」
「ユ、ユリカ!?どーして、そんなとこに」
「君、所属と名前は?」
「困りますなぁ、コックに危険手当は出せないのですが」
「俺のロボットを返せーッ!」
「だからアタシは民間人を戦艦に乗せるのは反対だったのよ!」
「ナデシコと私たちの命、あなたに預けます。アキト、必ず生きて帰ってね」
「勝手に預けるなーっ!」

以上、混乱気味の現場でした。
エステバリスに乗っているのはテンカワ・アキトと言う、最初は不審人物、先程までは自称コックだった青年。
何故かナデシコに途中乗艦し、何故か今はエステバリスに乗って発進してしまった。
ルリにはどうでもいい事なのだが、一応スクリーンにテンカワ機を映して置く。
くるくるくるくると、何処か配線が切れた飛行機のような動きだ。

「なかなかに見事な囮っぷりですな」
「だが、動きが危なっかしい」
「わぁ〜、アキト!スゴいスゴ〜い!」
「ほら見なさいよ。あんなシロートに囮なんかつとまらないわ。ナデシコの主砲を上に向けて撃った方が効果的じゃない」
「そんな事したら上の軍人さんも彼も巻き込んじゃうわよ」
「そう言うの非人道的って言うんだと思います」
「ど、どーせみんな死んでるわよ」

ムネタケが出した意見は即座にミナトとメグミが反対した。
実際順調に見える作戦だが、多勢に無勢。テンカワ機がどんどん囲まれていくのがよく分かる。
ナデシコの準備にも、もう少し時間が掛かる予定。
このままじゃ作戦は失敗だ。
ルリはウィンドウを幾つも開いて思案する。
何か打開策は無いのものかと、マップに目を移した。
無数にある敵機の中に、二つ点がある。

「…………あれ?」
「ん、どうかしたのルリルリ?」

席が近いミナトが気付き声を掛ける。

「……エステバリス、二機いるんですが」
『はぁっ!?』

その時、ブリッジ要員ほとんどの声が揃ったのだろう。
まだざわざわ騒ぐギャラリーに、ルリはキーンとする耳を押さえたままマップを拡大する。
テンカワ機と表示されたマーカーの近くに【所属不明】と記入されたマーカーが一つ。
所属不明機の周りから敵反応が急激に減っていっている。

「ちょ、ちょっと小娘。早く映しなさいよ」

……小娘。
ルリはオカマに少しカチンと来るものを感じつつ、指示通り不明機をスクリーンに投影した。
黒一点。
その機体を表現すればそんな感じ。
カラフルなバリエーションを持つエステバリスの中でも、『戦争してます』という印象を強く受ける機体色。
テンカワ機のように取り乱した動きも見られない。

「何あれ、お味方さん?」
「さて、軍にはエステの正式導入はしてませんし……」
「軍だとしても、サセボ基地にIFS対応のパイロットはいないぞ」
「……それにしても、凄いですねぇ」

難しい顔をして話し込んでいたプロスとゴートは、艦長のやんわりとした言葉に動きを止める。
黒い機体は一直線にテンカワ機に向かっているが、通った場所に既に敵機はいない。
無駄な弾を使わず、倒せる敵はナイフで切り落としていく。

「確かに……」
「ナデシコに是非欲しい人材ですな。メグミさん、通信お願いできますか?」
「えっと、通信拒否になってます」
『つーか、あのエステ。搬入される筈だったヤツじゃねぇか!?』

整備班長、ウリバタケがスクリーンに割り込んで来た。
そういえば一機足りないとか言っていたような気もする。

「……つまり、ドロボー?」
「まぁまぁ、ウリバタケさん。ミナトさんもその点は置いといて」
「……あれ程の動きをする者を、少なくとも軍では知らんな」
「な、なによあれ、まるで化け物じゃないの。通信なんて止めなさい、敵だったらどうすんのよ」
「だからこその話し合いでしょう。それに地球の敵は木星蜥蜴、エステバリスは人が乗る物ですから」

五月蝿い。
ルリは耳を塞ぐ。
がやがや、がやがや。
大人たちの論争を余所に、ルリの視線はじっと不明機を睨み続ける。
現在撃墜数は80を越え、損傷している様子もない。
漆黒の機体。
正体不明の機体。
通信に応じず沈黙したままの機体。
ルリは何となく、こういったフレーズの似合う人物に覚えがあった。
まさかとは、思う。
まさかとは、思うが。
ルリは自分の腕時計と、その機体を見比べた。

「…………アキ?」

呟きは誰にも聞かれずに消えていった。








黒いエステバリスに乗る正体不明のパイロットことアキは、向かって来たバッタを潰しながら小さく溜め息を吐く。
何の因果かオモイカネが選んだのは黒い機体。
狙ってやったのは間違いないが、これではある特定の人物に気付けと自己主張しているようなものだ。

「…………これで103」

左から迫るバッタにライフルを叩き込む。
心なしか前回よりも敵の数が多く思えるが、相手は大して改良のなされていない初期型のバッタ。
いくら数がいようと関係ない。
ふと、視界の端をピンクの機体がくるくると跳んでいった。
よく逃げている。
しかしまだ甘い、隙が多く下手な位置にミサイルでも食らえば轟沈は必死だ。

「……仕方ない」

スピードを上げてピンクの機体に向かう。
バッタの相手は正直あまりしたくはない。
時には敵として、時には火星の後継者と共に戦って来た仲間としてアキは少し複雑な心境になる。

『あ、あんた!頼む、助けてくれぇ!』

通信が入った。
ナデシコからの通信は遮断してあるが、テンカワ・アキトは周囲に広域回線を設定しているらしい。
今までバッタ相手に喚いていたのだろう。
テンカワ機はアキに近付いて来る。
アキの機体はアキトのエステに銃を向けないよう斜め下に降ろし―。

「……ああ、了解した」
『よかった、助かっ……』


そのまま引金を引いた。


金属がぶつかり合う、鈍い音。
アキトの機体は左足を砕かれ、その場に鎮座する。
アキは何事もなかったかのように壊れて動かなくなったエステに背を向けた。

『な、なにすんだ!?味方じゃないのかよっ!?』
「そこでじっとしていろ。蜥蜴共は動く奴から優先して破壊する。素人が……うろちょろするな」
『俺だって好きでこんな事……』

アキは通信を完全に切り離した。
過去の自分を見る事程、アキには頭にくる事はなかった。
言葉だけ何かが叶うなら、アキは今こんな姿になっていない。
動かなくなったピンクのエステバリスから離れ、ライフルを構える。
既に三割を消された敵機たちは、標的を一つに絞ったようだ。

「……来い」

間合いに入った標的から切り落とす。
ミサイルの発射準備に入るため、止まった標的から撃ち落とす。
左手にナイフ、右手にライフル。
二つの武器を携え、黒衣を纏ったエステバリスは迫り来る黄色と赤色の群集に向かい立ち塞がった。








ナデシコが浮上する。
ブリッジ要員、整備班、ナデシコクルー全員がメインスクリーンに映った光景に唖然としていた。
ごちゃごちゃと散らばった残骸の中に、たった一機だけぽつりと立っている漆黒の機体。
五月蠅く飛んでいたバッタたちも、今はいない。
異様なまでに静まり返った艦内で、ルリが一番早く再起動する。

「所属不明機よりメッセージ、読み上げます。『貴艦の障害は排除した、良い船旅を』」

素直に受け取れば感謝感激。
しかし、ルリにはその言葉の裏側に皮肉気に笑う『自称不審者』の姿が想像できた。
ルリの言葉に何人かが続けて動き出す。

「……電報とは古風ですなぁ」
「そんな事を言っている場合じゃないだろう」
「くっそぉ!カッコいいじゃねぇか!ピンチに現れる謎のヒーロー、燃えるぜっ!」
「いや、あれ盗品だぞ?」
「結局なんだったの、あれ?」
「おっと、そうでした。何とか連絡を取らなくては……」

プロスが独り言をぶつぶつ言いながら考え込む。
周りのブリッジ要員は整備班たちとあーでもない、こーでもないと討論中。
ルリはナデシコをどうすればいいのだろうと思い、取りあえず基地周辺をぶらぶらと飛ばすように指示した。何より艦長はまだ固まっている。
それにしても、どうにか連絡が取れないだろうか。
こちらからメッセージを飛ばしても拒否される。
いつまでもナデシコをぶらぶらさせて置く訳にもいかない。

「な、何してんのよ。早くこっから離れましょう。あいつだって『良い船旅を』って言ってるじゃない」

オカマが本気でビビりながら声を絞り出す。
他のクルーからすればもっともな話だが、ルリとプロスには用事がある。
どうにかあの機体と通信を取らねばならない。
だが、それ以前に何か根本的に忘れているような……。

「……あ」
「どうしました、ルリさん。何か名案でも?」
「違います。あれ、誰が回収するのかなぁとか思って」
「アキトーーーッ!」
『あ……』

今まで黙っていたユリカが叫ぶと、クルーの声が上手く揃った。
どうやらほぼ全員の意識から完全に忘れられていたらしいピンクの機体。
陸戦フレームである以上、左足無しではナデシコに戻ってこれない。
とは言え、残り唯一のパイロットであるヤマダはただ今骨折中。

「アキトッ!今助けるから待ってて!」

どうやって。
ルリは心の中でツッコミを入れる。
まさか着陸するつもりなのだろうか。
それはそれで余計な手間が省けると言えば省けるのだが。
ルリはテンカワ機の転がっている辺りを見る。
……着艦すれば、あの辺の残存施設全部押し潰す事になるだろう。
アキトと言えば、戦闘中黒い機体のパイロットと会話していたのを思い出す。
突然ノイズが掛かって相手の声は聞こえなかったが、どうやって会話したのだろう。
そこまで行き着いてルリは、簡単だと閃いた。

「か、艦長。それは困ります」
「でも、アキトが助けられません!そもそも、あの黒い人がアキトを攻撃するのが悪いんです!」

どうしたものかと頭を抱えているプロスに、ルリは黙って外部用のスピーカーに通じるマイクを差し出した。








アキはエステバリスの中で何をするでもなくぼーっと、飛んでいるナデシコを見詰めていた。

『いいの、ナデシコ行っちゃうよ?』
「…………」
『アキ?』
「……ん?ああ」

アキは慌てて返事をする。
アキの機体以外に動く物体はもう地表に存在しない。
どうやらナデシコは無事出航したらしい。
手でも振ってやろうかと思い、柄じゃないと思い止まる。
これでアキの役割は終了。
もうナデシコに直接関わる事はないだろう。
エステバリスに乗っている間だけ、付けている意味がなくなったバイザーを外す。
アキ自身顔は見えないが、きっとテンカワ・アキトと顔は大して変わらない筈だ。
10年や20年経てば別だが、ほんの数年で人の顔は変わらない。

『……本当は、乗りたい?』
「……まぁ、な」

ナデシコに未練はある。
アキがテンカワ・アキトとして一番大切な時間を過ごした場所だ。
出会いも、別れも経験した場所。
乗って何かが良くなるのならアキは乗るだろう。
不確定。
不必要。
異分子。
しかし、三つの不安がアキを拘束する。

『自分は必要無いとか、思ってる?』
「……ああ」
『少なくとも、アキが来てくれれば私は頼もしく思う。恐らくルリさんも喜びます。私一人に全部押しつけないで』

アキは力無く苦笑する。
乗らないとは言うが乗りたくない訳でもない。
オモイカネにそう言われて、少し安心したような気がした。
結局は、誰かに必要として欲しかっただけなのかも知れない。
乗りたい、そう思う。
何だかんだ言っても、ここにいるのが何よりの証拠だ。
このボロボロの身体が誰かの盾にでもなるなら、甘んじて身を投じよう。
バイザーを付け直して、オモイカネマークのウィンドウをを向く。

「……乗っても、いいと思うか?」
『もちろん。私一人では不安だから、一緒に行きましょう』

オモイカネのウィンドウが飛び回る。
何をを表現しているのだろうか。
オモイカネが暇な時は会話相手をしてやっていたアキだが、最近はどんどん自由奔放になって……。
一、AIの父であるアキとしてはオモイカネの将来に一抹の不安を隠し切れない。

「……オモイカネ。お前はあんまりお節介やきになるなよ」
『了承し兼ねます。おとーさん』
「やめろ」
『アキおとーさん♪』
「…………頼む、やめてくれ」

アキは冷汗を流しながら、オモイカネに拒絶を訴える。
何やら変な感じがして、エステバリスの視線を泳がせていると、ナデシコが視界に映った。
良く見ると同じ所をぐるぐる回っている。
何をしているのかとアキが思っていると、突然別方向から視線を感じた。
そこにいたのは横たわるピンク色のエステバリス。
少し、目が合った。
アキトの機体の片足はもちろん無い。
通信を入れればギャーギャー喚く声が聞こえて来るのは確実だ。

「……オモイカネ」
『はいはい』
「まさか知っていたのか?」
『はい。テンカワ機が破損した時点でほぼ八割の可能性で、アキに出番が回ってくるだろうとは』

しれっと言ってのける。
オモイカネに表情があったならば、にこにこ笑いでアキを指さしている事だろう。
ウィンドウを睨みつける。

「……俺にあれを持っていけと?」
『他に誰かいますか?考えなしに吹っ飛ばしたアキが悪いんですよ。自業自得。私と一緒に愉快なナデシコライフを楽しみましょう』
「…………はめたな、性悪AI」
『おとーさん、そんな事言わないで』
「ぐっ……」

ほのぼのした会話。
何が楽しいのかウィンドウがころころ画面を転がっていく。
AI二児の育ての親。
子育てと言うものは、必ずしも親の計画通りにはいかないものである。

『えー、聞こえてますかー!そこの黒い方!黒い方ー!』

失礼な。
アキは、好きでしているとは言え『黒い方』呼ばわりはないのではないかと思ったが、今の状況を見れば黒い方以外に呼び方がない。
恐らくプロスペクターであろう声は、ナデシコの外部スピーカーから直に聞こえてくる。

『先程はありがとうございましたー!ありがたいついでにお頼み事がありまして、とにかく、まずは一度ナデシコでお話を…………いえ、冗談ですよ艦長。そこに倒れている方の回収をお願いできますかー!?』

何のためのスピーカーか、プロスはやまびこが返ってきそうなくらいの大声。
なにやらざわざわしているのは艦内で揉めているようだ。
アキは倒れたアキの機体に近づくと、残った片足と取れた片足を両手に持ってずるずる引きずる。

『こらーっ!アキトが乗ってるんだからもっと優しく運びな』
『艦長ーっ!?少し黙っててください!ここまで来て交渉に持ち込めなかったらどうするつも』
まだ繋がっているのか、耳を劈くような声が響き渡る。
「オモイカネ、切れ」
『了解。艦長の声は聞くに耐えない大声。学習しました』

ぶつっと音が鳴って、放送は終わった。
オモイカネがナデシコ側から切ったため、復旧する事はルリで無い限り無理だろう。
ゆっくりと飛び上がる。
アキトの機体が宙吊り状態、時折風で接合部がガタガタ揺れた。
初めての操縦、ましてや初めての実戦でトラウマにならない事を祈りつつ高度を上げると、ナデシコが近づいてくる。

「……結局戻って来た、か」
『ナデシコは、苦手?』
「C型はな。さんざん…………ルリちゃんに追いかけられた」

何となく思い出す。
いつもユーチャリスを待ち伏せるように目的地に先いたりしたのは、アキの雇い主の馬鹿会長が面白がって情報を流していたんじゃないだろうか。
もっとも、今となってはもう昔の思い出。
二度と、戻る事は出来ない。
二度と、追いかけることの出来ない場所にアキは来てしまった。
もう、あの世界を繰り返さないために、アキは再びナデシコに乗る。

『ルリちゃんと、ルリさんは、別人?』
「……ああ、別人だ」

そして、アキ自身も。
それはアキ自身の覚悟の問題。
自分が本来ここにいてはいけない人間だと言うことを忘れないように。
気が付くと、ナデシコのハッチは既に開いていた。