アキは正直言って困っていた。
エステバリスのカメラが外部映像を映したコックピットの中で、ただ映像の隅っこに映ったオモイカネマークを見ている。

『……降りないの?』
「降りれると思うか?」
『私に身体があると仮定するなら、絶対降りない』
「…………」

アキのエステバリスを取り囲む群衆。
手に取るのは剣や盾ではなく、一本のスパナ。
揃いの作業着を着ている姿は、軍隊を彷彿させた。
一歩、拡声器らしき物を持った男が前に出る。

『あー、あー。只今マイクのテスト中……ごほん。貴様は完全に包囲されている!大人しく武器を捨ててそこから出てこぉい!』
『そうだーっ!俺のロボット返せーっ!』

ナデシコが誇る『優秀な』整備班一同。
そこに骨折中のパイロットが居ようが全く違和感がない。
その中でも『最も優秀な』整備班長、ウリバタケ・セイヤは弁を続ける。

『いいか、貴様のおかげでパイロットに志願したテンカワ青年は医務室送り、エステも壊れてこのざまだぁ!』
『……博士。何かそれ俺の台詞』
『誰が博士だっ!?』

漫才を始めるウリバタケとヤマダ。
ナデシコに乗る者は、皆何かしらのエキスパートだ。
ヤマダ・ジロウはともかくとして整備班はもちろん優秀だが、場の雰囲気に流されやすい。
ウリバタケの周りの整備班員たちも、そうだそうだーとスパナを掲げている。

「……オモイカネ。ナデシコを頼んだ」
『逃げられません。ルリさんがアキが入った瞬間にハッチをロック、出口は封鎖されました』

万事休す。
大人しく出ていって何かをされる事も、させる事も無いと思うが、それなりの覚悟がいる。
出るに出れない状況の中、アキは頭を抱えていた。
ピーピー、と電子音。
画面を見るとオモイカネマークの横には『残り二分』と表示されている。

『あー、アキ、良い知らせ。もうすぐ出れる』

良い知らせなのに、何となく気まずそうなオモイカネ。

「……これはなんだ?」
『ルリさんがこちらに向かっています。到着まで残り……あ、スピード上げました』
「…………」

カウントが速まった。
ルリが来たらアキの立てこもりも終了だ。
だが、出ていって何を言ったらいいだろう。
別れてから再会までがあまりにも短すぎる。
殺風景な格納庫を見渡す。
格納庫にデザインを求めても仕方がないが、点在しているカラフルなエステバリスが目を引いた。
懐かしい。
何一つ変わらない、変わる前のナデシコ。
アキは、自分が消える前にルリには少しでも感情を表に出せるようになってほしいと思う。
引き取って、直ぐに死んで、現れて、また消えた。
『前回』を思い出す。
結局、家族らしい事は何一つしていない。
アキが、一つだけナデシコでやりたい事。
家族代わりになろうとは思わない。
今度こそ、彼女を守ろう。
アキはコックピットの中で、無言のまま外部映像を遮断した。








ルリは通路を進む。
次第に足取りは速くなっていく。
ルリに併走するプロスも、何処から出したのか何枚かの書類をバサバサ。
どうやら即契約に踏み切るらしい。
プロスに着いてくるように言われてブリッジを出たのが数分前。
言われるまでもない。
最初から格納庫に行くつもりだったルリは、しっかりと『ハッチを閉鎖』してからブリッジを出た。
あの人の性格はある程度把握している。
自分から近づく事はなく、相手が気まずくなれば自分からその場を離れる。
そういう人間だ。
オモイカネと連絡が取れないのも、何やらアキが暗躍しているような気がした。
しっかりと機動しナデシコを動かしているので特に問題がある訳ではないが、何か怪しい。
歩みを進める。
艦長は先程負傷したテンカワ・アキトに付き添って医務室へいってしまった。
ルリとオモイカネがいれば最低限ナデシコは動くのだが、艦長としてブリッジを離れるのはどうなのだろう。
ルリは、思考の途中でどうでもいい事だと切って捨てる。
格納庫に着いた。
スパナの集団に囲まれるように立っている黒い機体。
集団を纏めているウリバタケに、ルリは歩み寄る。

「すみません。拡声器、かしてもらえますか?」
「ん?おお、それはいいが、あの黒いのうんともすんとも返事がないんだよ」

差し出された拡声器を受け取る。
整備班一同はルリに注目しているようで、もう誰も騒いでいるものはいない。
黒いエステを見つめる。
エステの機械的な顔の作りが、誰かと同じ無愛想と無表情に見える。
ルリは自分も無愛想だとは思うが、そこにだんまりも決め込むとなると、推測が確信に変わる。
プロスを一度振り向く。
相変わらずニコニコ笑ったまま、ルリの行動には口を出さずに身だしなみを整えていた。
ゆっくり、声を出す。

「……アキ、ですか?」

返事はない。
ただ返事の代わりに、コックピットが開いた。
そこから顔を出した黒いバイザーは―


そのままコックピットから飛び降りた。


エステバリスは小型とは言え、全長6メートルはある。
乗り降りには専用の梯子が用意されるほど、それは高い位置にあるという事だ。
整備班の何名かが驚きの声を上げようとしたが、声が少し上がった頃に男は難なく着地していた。
ルリは別に驚きはしない。
あの人ならそれ位やっても不思議はないだろう。
比喩無しで。

『おおぉぉぉぉぉぉぉぉーッ!』

歓声が上がった。
飛び降りた男にだろうか、それとも一言で男を引きずり出したルリにだろうか。
恐らく両方だろう。
ルリは騒ぎ始めた整備班を余所に、男に近寄った。
黒い戦闘服。
黒いバイザー。
黒いマント。
杖を片手に持った男。
世界中の何処を探しても、こんな人間はいない筈だ。
ルリに腕時計をくれた人。

「アキ、ですよね?」

確認の言葉を入れる。

「他の、誰かに見えるか?」
「いいえ」

回りくどい話し方。
間違いない、アキだ。
聞きたいことも色々あるが、それがまず確認できればいい。

「……アキも、ナデシコに?」
「ああ……やり残した事があってな。少し厄介になる事にした。プロスペクター」

アキがプロスを呼んだ。
いつの間に知り合ったのだろう。
それとも元から知り合いだったのだろうか。
プロスは戦闘中、あのエステバリスにアキが乗っていると知らないようだった。
それよりも、新造艦のナデシコに『やりとり残した事』とは……。
ルリは少しして、溜め息を吐く。
考えても理解できない。それがアキと言う人間だ。
プロスは待ってましたと言わんばかりにアキに詰め寄った。

「……やはり、貴方でしたか。いやはや、生身だけでなく操縦の方もお強いですなぁ。気が変わっていただけたようで嬉しい限りです」
「最初は本当に見送りだったんだが……。まぁいい、契約でも何でも、早く済ませろ」
「相変わらず、お話が早いようで助かります。ささ、あちらのお部屋にどうぞ」

プロスが通路に戻ろうとする。
それに杖をついたアキが続く。
整備班員たちは、正に唖然と言った感じで誰も声を掛ける者はいない。
機体は放置、真っ黒いロボットは命令があるまで動くことはない。
ルリは二人と一緒に行こうとして、止めた。
書類契約は基本一対一。
ルリはアキの親族でも何でもない、決めるのも契約するのもアキだけだ。
だけど、何となく嫌だった。
置いて行かれるようで、またあえなくなるようで何だか寂しく思う。
ふと、ルリは視線を感じて通路の扉を見る。
アキが扉の前に立ち止まっていた。

「ルリ」
「……はい」
「また……後で」
それだけ言うと、アキは背を向けていってしまう。
どうしてなのだろう。
いつも、アキはルリの事を気にかける。
利害関係がある訳でもない。
ただ側にいて、気にかけてくれる。
アキについて、何も分かることはないが断言できるのはアキが優しいと言う事。
腕時計に触れる。
少し、温かい。

「はい……また」

小さな呟きは、もうアキには届かない。
それでも返事はする。
ルリがしたいと思ったのだから、これは気持ちの問題だ。

「……すっげぇなぁ、あいつ」

ヤマダから声がこぼれた。

「飛んでたな。こう、ぽーんって」
「と言うか、あの格好なんだ?」
「……正義のヒーロー?」
「どっちかと言うと、ダークヒーロー」

触発されて声が上がり始める。
ルリも幾つか質問されたが、適当に誤魔化してブリッジに帰ることにした。
誰かと聞かれても答えようがない、ルリ自身知らないのだから。








ブリッジに向かうつもりが、ルリは通路に設けられたイスに座っていた。
とある一室の近くのイスでルリは思う。
何故、待っているんだろう。
早くブリッジに戻らないと、まだ業務が残ってる。
でも、待っている。
矛盾。
ルリは腕時計を見る。
あの人はどうしてナデシコに乗ったのか。
ルリと会う以前から、アキはナデシコについて知っていた。
なら、乗っても不思議ではないが、アキはこういった雰囲気は苦手な印象を受ける。

「……待っていたのか?」

横を向くとアキが立っていた。

「はい。迷惑でしたか?」
「いや、そんな事はない。隣、失礼する」
「どうぞ」

アキが隣に座る。
しばしの沈黙、こうして並んで座るのも懐かしいような気がした。

「……未来は、選べたか?」

アキの声に思い出す。
『再開は未来を選んでから』。
公園でのゆびきり。

「まだ、分かりません。アキが来るのが早すぎるんです」
「……そうだな」

自覚があるのか、アキはそれ以上話題には触れなかった。
さっきも言っていたが、本当に乗艦は予想外だったのだろうか。
アキにはアキの事情がある。
だが、行く先も明かされないナデシコに乗っていったい何を……。

「……アキ」
「ん、どうした?」
「いえ、アキはこの艦が何処にいくか知っていますか?」
「ああ、火星の筈だが」

即答。
自分が言ったことを、まるで理解していないらしい。

「……やっぱり、知ってましたね」
「なにを…………あ」

素直な人だと思う。
現在、ナデシコの行く先はプロスが言うに『秘密』。
秘密とは人に知られてはならないことだ。
アキなら知っているかと思って聞いてみたが、ビンゴだったようだ。
隣を見ると、アキはバイザーを押さえて溜め息を吐いていた。

「確かに、隠し事出来ない性格ですね」
「……言うな」
「素直なのは良いことだと思います」
「俺にとっては良くない」

楽しい。
そう感じた自覚は今までなかったが、こういうときに感じる気持ちを楽しいというのだろう。

「……あまり、俺で遊ぶな。こういう性分だ、自分でも分かっている」

しばらくアキの横顔を眺めていると、口を開いた。
遊んだつもりは無かったが、面白かったかと言えば面白かった。

「アキは、そのままで良いと思います」
「そうか?」
「ええ、私も聞きたいことが聞けますし」
「…………」

アキは黙ってしまった。
表情からは分からないが、少し拗ねているのかも知れない。
それにしても火星。
一年前、木星蜥蜴の襲撃を受けて完敗。そして陥落。
連合軍も必死に抵抗したが未知の技術を備えた蜥蜴たちには通用せず、今では月、地球にまで防衛線を下げたとルリは記憶している。
火星は蜥蜴たちの攻撃を最初に受けた場所。
言わば敵陣に最も近い場所。
ナデシコはそこに何をしに向かうのだろうか。

「……火星、ですか」
「ああ、今は何もない所だが昔は緑もあって綺麗な場所だった」

昔はと言うことは、アキは行った事があるのだろう。
不思議ではない。
前の職業が冒険家とか言われても、信じてしまいそうだ。
ルリは疑問に思った点を取りあえず聞く。

「そこです」
「ん?」
「何もないなら、ナデシコは何故火星へ?」
「……何故俺に聞く?」
「知ってますよね」

ルリはきっぱりと断言した。
アキはやたらと言論に警戒しているように見える。
少しイジメ過ぎたかも知れないと、ルリは後悔した。

「……まぁ、知っている」

返答にルリは驚く。
何だかアキが素直だ。
いつものように黙ったり、あえて意味が分からないようなことを言ったりもしない。
ルリは横にあったアキの杖を抱える。

「何のつもりだ?」
「いえ、また『散歩』に行くのかと」
「…………そこまで信用されてないのか」

信用しているか、いないかで聞けば間違いなくしている。
だが、それとこれとは別問題。
アキは答えられないと直ぐに脱出を謀ろうとする以上、これは適切な対処だ。

「俺から言ってしまった事だ、最後まで話す。それに、今頃プロスペクターがブリッジで同じ事を発表している筈だ」
「そうなんですか?……でも、アキから聞いた方が、お得な気がします」
「……火星で戦いがあったのが凡そ一年前」

ルリの言葉には一切触れず、アキは話始めた。
絶対に、拗ねている。
たまにアキは子供のような一面を見せる事があると、ルリは思う。

「ナデシコの目的は、火星にとり残されている火星住民の救助」

それではおかしいと、ルリは思う。
蜥蜴たちによる火星襲撃で確かに火星は壊滅的な被害を受けた。
しかし、連合軍が足止めをしている間にほとんどの火星住民は近辺のコロニーや地球圏まで避難したとルリの記憶にある。
確かに火星に生き残りはいるかも知れないが、そんないるかいないかも分からない人間の為に戦艦一隻用意するのではコストが見合っていない。

「……表向きの理由はそうなっている」

アキの話しはまだ続いていた。

「表向き?」
「そうだ。本来ナデシコの目的は三つある。一つはさっき言った人命救助、二つ目はナデシコの性能テスト」

ナデシコの性能。
ナデシコの能力は、最新技術によって成り立っている。
オモイカネ然り、グラビティブラスト然り、ディストーションフィールドに相転移エンジン。
未だに成果が現れていないのは、これが極秘に造られたと言う点もあるだろう。
ならば、どうやって成果を出すのかと言うと……。

「……火星まで行って、いっぱい戦って、ナデシコの戦闘データの収集」
「正解。データはナデシコの後継艦に利用される。ネルガルも慈善団体ではない。特に会長が代替わりしてからは、何よりも利益最優先らしい」

雇われの身である以上、会社の方針には何とも言えないし、言うつもりもない。
ルリは黙ってアキの話を聞く。

「三つ目だが、火星には幾つかネルガル運営の研究施設があってな。未開拓の資源などの他に相転移エンジン開発等の研究データが今も置き去りにされている、そう言うことだ」

ナデシコが火星に行く理由。
人命救助と言うのは軍に対する建前に過ぎない。
要するに会社の後始末と、実験だ。 ナデシコが火星に行けるか、行けないか。
ナデシコが木星蜥蜴に対して有効なのか、そうでないのか。
後者ならそれまで、戦闘データは手には入るから撤退なり何なりして後継艦の開発。
前者なら、木星蜥蜴に有効な兵器だとして大きな評価を受け、データも沢山手に入るし、火星での人命救助も成功、『ついで』の研究データ回収まで出来てネルガルとしては両手を上げて万々歳と言った気分だろう。
どちらにしても人命救助がおまけになっているような気がした。
目的を隠して、客観的な目的は良いことをするように見せる。
大人の考え方、ルリはあまり好きではない。
そこでルリは気づいた。
……目的を隠す。

「……あの」
「なんだ?」
「ブリッジでも、プロスさんが同じことを話しているんですよね?」
「……人助けは良いことだ。クルーの志気も上がる。少なくともナデシコの性能テストや、細かな部分に関しては言ってないだろうな」

機密事項だったりしたらしい。
研究データの回収等は火星に着くまで、あまり大きく話したりはせずに、取りあえずは人命救助を優先、と言う事だ。
ルリはアキを見て言う。

「……どうして、私に話したんですか?」
「お得、じゃなかったか?」

根に持っていたのか。
ルリは呆れつつ考える。
アキが明かしたと言うことは、いずれは知ることができた情報と言うことだ。
しばらく、沈黙が続く。
今更になって、今は業務中だと思い出したルリはアキにブリッジに行こうと促した。
呼びに来ない以上そんなに忙しくないのかも知れない。
歩き出そうとした時―。


「そこの二人、動くな」

目の前に銃口。
恰幅のいい軍人らしき人間が銃を構えて立っていた。

「ナデシコは我々が占拠した。同行願おう」

何が何やら。
出航直後に制圧されたようだ。
ルリはアキの方を見る。
無表情は相変わらずだが、ルリには何となく『しまった』と言った表情にも見えた。

「……そうだな。忘れてたよ」

アキの独り言はルリにも届いた。
意味は不明。
アキなら、こうなることすら事前に知っていた可能性もある。
ルリが軍人に促され歩こうとすると、軍人とルリの間にアキが庇うように割って入り歩き出す。
守って、くれるらしい。






少し、嬉しかった。