ナデシコ食堂。
長期に渡って続く航海の中で、ほぼ全てのクルーが訪れるであろう場所。
30前後と思われる若さで食堂を切り盛りするのは、料理長のリュウ・ホウメイ。
世界中から様々な人間が乗っているナデシコの人々。
その人々の中には、宗教的に口にしてはいけない物、お国柄的に得手不得手な物、それに故郷の味と言った物も存在する。
ルリ自身には、そんなものはないのでよく分からない。
ジャンクフード以外の食事をするようになったのも最近だし、まだたまにはハンバーガーを食べる時もある。
ホウメイはそんなナデシコのクルーたちの、出来る限り食べたいものを作るために雇われた人だ。
和食、洋食、中華に色々。
とにかく何でも作れるらしい。
何でも得意なのは中華だと『アキに』聞いたが、何故機密情報からクルー個人の情報までああも出てくるものなのかと、しばらくルリも悩んだ。
ナデシコ食堂には四六時中、人の出入りがある。
ホウメイやアシスタントのホウメイガールズはもちろん、ナデシコはクルーの勤務時間もまちまち。
戦闘時以外割と暇なパイロットもいれば、整備班のように食事の時間が定まらない職員もいる。
かく言うルリも定時までのブリッジ勤務だが、オモイカネがいれば戦闘時以外にあまりやることはない。
つまり、根本的に何が言いたいのかと言うと、ナデシコ食堂は食事をする場所だ。

『うおおぉぉぉぉっ!』
「な、すげぇだろ!努力、友情、勝利、それがゲキ・ガンガーなんだよ!熱血だぁぁぁ!」

……あまり、直視したくない。
ルリはすぐに顔を背けた。
ダイゴウジことヤマダが、何処から持ってきたのか古い機材で食堂の壁にアニメを投影している。
何世代も前のアニメーションらしく、貴重だと言うのは本人談。
機材の周りでは整備班と、何時復活したのかテンカワ青年の姿まである。
現在、ナデシコの状況はとても良いとは言いがたい。
ナデシコの目的発表と同時に、ムネタケ副提督を筆頭として紛れ込んでいた連合軍人にあっさりと制圧されてしまったらしく、ナデシコクルーのほぼ全てが食堂に監禁された状態だ。
その中でも取り乱す者が一人もいないのは、ある意味で優秀な人たちなのだろうか。
ルリはイスに腰掛けたまま食堂を見渡す。
出航したばかりの出来事故に、見知らぬ顔のクルーも確かにいる。
しかし、比較的スペースの空いている隅の方にその人物はいた。
黒服。
黒マント。
黒バイザー。
アキはただ腕を組んで、壁に背を預け立っている。
独特の雰囲気からか、それとも格好からか、近づこうとする人はいない。
最初の頃に艦長のユリカが何やら文句を言いに行ったが、アキが適当に聞き流して以来それっきり。
ルリも隣に座るように進めたが――。


『……君に迷惑がかかる。俺は、ここでいい』


だそうだ。

「……別に、隣でもいいのに」

小さく呟く。
アキとの会話は、楽しい。
ルリを子供として見る事もなく、一人のホシノ・ルリとして見てくれる、そんな会話。
ここに一人座っていても退屈だ。
同じ沈黙でも、アキと二人でいる沈黙とでは雰囲気が違う。
結局、ルリは席を立ってアキの方に近づいていった。








「やっほー、ルリルリ。何してるの……ん?」

アキと並んで立っていたルリは身体を強ばらせた。
見つかりたくない人に見つかった感覚。
少し離れたテーブルでのお喋りが終わったのだろう。
ミナトは手を振りながら近づき、アキに気づいた。

「……えっと、どちらさま?」
「……保安の、アキだ。出航の時は騒がせたな」

アキの顔はミナトを向いていない。
まるっきり明後日の方向だ。

「あー、あの人ね……ってアキ、さん?」

お互い同い年くらいか、僅かにアキが年上に見える。
ミナトが慌ててさんを付け加えた。

「そうだが?」
「い、いえ、珍しい名前だなぁ、と思って……」

ミナトはルリを向いてニヤニヤしている。
いやな予感。
ルリは出航前の恋愛相談らしきものを思い出して、やっぱり聞かれたのは不味かったと思った。

「私、ミナトよ。これから長い付き合いになりそうだから、お互いよろしくお願いね」
「ああ、ミナ……ハルカ操舵士。よろしく頼む」
「あらやだ、知ってたの?」
「……プロスペクターから聞いた」

嘘だ。
プロスがクルーの個人情報を話すとは思えないし、アキのあの態度は何か言ってはいけないことを言って焦った時。
名前で呼ぼうとして、無理やり言い直したような。

「ルリルリとは、お知り合い?」

ミナトが、アキとの間にルリを挟むように立って話かけた。

「ああ、ちょっとした知り合いだ」

アキは気にもせず返答する。
ミナトはアキが目が見えない事に気づいていないのだろう。顔を動かさないアキに首を傾げていた。
ちょっとした知り合いと言えば、ちょっとした知り合い。
結構無茶苦茶な出会い方だったとは言え、アキの中では割と日常茶飯事な出来事らしい。

「へぇ〜、あ、ちょっと耳を……」
「なんだ?」

ミナトの顔がアキの顔に近づいていった。
どうやら耳打ちをするつもりのようだ。
何故だろう。
少し、不快。
ルリはむすっとしながらも耳打ちが終わるのを黙って待った。
時間にすれば一言、二言くらい。
耳打ちが終わると、ミナトはアキとルリに手を振ってメグミたちのいる方に離れていった。

「……なに、言われたんですか?」

一応、聞いてみる。
聞いて答えるなら耳打ちの意味がないが、ダメもとだ。

「……よくわからん。君をよろしく頼む、だそうだ。」

期待は裏切られ、アキはあっさり答えた。
絶対にミナトは何か勘違いしている。
後でしっかりと言って置こうと、ルリは心に決めた。
ざわざわと声が聞こえ出す。
何やら、騒がしい。

「お、おい、テンカワ。やめとけって」
「このまま捕まってても何も変わんないでしょう。俺、行きます」

発信源はアキトと整備班たち。
アキトの手には中華鍋。
どうやら力ずくでナデシコを奪還するようだ。
それにしても、どう前向きに見ても無謀。
隙を突く、とは言えども相手は訓練を受けた軍人。
とてもじゃないが、中華鍋でどうにかなる相手ではない。
どちらにしろ行くと言うなら、食堂の扉はルリでなければ開けられないのでアキトに決定権はないのだが。
すっ、とルリの隣のアキが動いた。
杖を持ちながら、アキは自然な動きで扉とアキトの間に割り込んだ。

「あ、あんたは……」
「……それは、何をするためにある?」

アキの言うそれとは、恐らく中華鍋の事を指すのだろう。
ただの中華鍋。
少なくとも、人をひっぱたくためにある物ではない。
いつの間にか、食堂に集められたクルーの視線は二人に集まっていた。

「……料理を、するためだ」

言うのをためらうようにアキトは言った。
アキは言葉を続ける。
「ならお前は、何をするためにナデシコいる?」
「それは……俺はコックとしてナデシコに乗った。でも……」
「そう、お前はコックだ。料理を作り、皆に活力を与える仕事。お前が守るのはナデシコの全てじゃない、この食堂だ」

アキが何を言ってるのか、ルリにはよく分からない。
アキは飛び入りでナデシコに乗ったテンカワ・アキトまで知っているのだろうか。
そもそも、どうしてあれが中華鍋だと分かったのだろうか。
ルリを余所にアキはアキトと対峙して、一歩たりとも動くことはない。

「じゃあ、どうするんだよ?誰か他の人に任せてただ待ってるくらいなら俺が……」
「自惚れるな。お前は軍人か?戦場に立てる人間か?違うだろう。コックにはコックのやれることがある。お前は大人しくここを守っていろ」

アキは言い捨てると、アキトに背を向けて扉に向かって歩きだす。

「お、おい、何する気だよ!?」
「言っただろう。お前が料理を作るのが仕事のように、俺にも仕事がある。プロスペクター、ゴート・ホーリー」

振り返らずにアキはプロスとゴートを呼んだ。

「はいはい、何でしょうか?」
「入り口とブリッジは俺がやる。人を連れて制圧されたブロックを取り返せ」

アキの言葉にゴートは頷く。

「了解した」
「それはもちろんいいのですが、貴方はお一人で大丈夫で?」
「ああ、十分だ。……ルリ?」

声を掛けられて、ルリははっと意識を覚醒させる。
何をしようと言うのだろうか。
いくらパイロットの腕が凄くても、どんなに情報集めが得意でも、アキは目が見えないのだ。
目が見えないように見えなくても、確かに目は見えない。
それでブリッジを一人でどうにかできるとは、ルリには到底思えない。
言っては何だが、まだテンカワ青年の方が頼りになりそうだ。

「……扉のロックを外してくれ」
「できません。アキが、危険です」

ルリは初めて大人の指示を拒否した。
プロスも同意している以上、これは正式な命令だ。
それでも、許可できないものがある。
アキを見ると苦笑していた。

「大丈夫だ。ちゃんと生きると、約束しただろう?」
「…………本当ですか?」
「本当だ」

そこまで言われては妥協するしかない。
ルリはオモイカネに指示をだして、ロックを開く。
唐突にオモイカネがウィンドウを開いた。

『ロック解除。御武運を』

くるくると文字が回転している。
アキは返事の無いルリに、不思議そう顔をしていた。

「すみません。オモイカネ……ナデシコのAIが頑張ってください、だそうです」

文字を読み伝える。
アキはまた苦笑していた。

「……まぁ、見てろ。直ぐに終わらせる。オモイカネ、ルリを頼んだぞ」
『了解♪』

またくるくる。
アキは扉の前に立つと杖を握った。
ルリは初対面の筈なのに、やたらと仲が良さそうな一人と一体のAIを怪しく思う。
だが、これかといった雰囲気故にアキに問いただすこともできず、ただ睨んでいた。








がん。
どすん。
さっきまでの会話は、本当にルリの杞憂だったようだ。
アキが扉を出た瞬間、鳴ったのは発砲音ではなく鈍い二つの音。
扉を出た先には昏倒した二人の連合軍人。
アキはつまらなそうに、通路の先を眺めていた。

「首と腹に一発、お見事です。しかし、加減なされたように見えましたが?」

アキを眺めながらプロスが賞賛した。
ルリの目には見えなかったが、どうやらそう言うことらしい。
しかも、手加減。
ルリとは、根本的に身体の作りが違うと言うことが理解できた。

「……本気なら、お前の部下と同じ末路を辿る。大衆を前にして……やってもよかったのか?」
「……いえ、最善の選択でした」

プロスはアキに一礼した。
この二人はどういう経緯で知り合ったのか全く理解できない。
プロスの部下は、いったいどういう目に遭ったと言うのか。
ちなみにアキが言う大衆とやらは、揃って目を見開いて固まっていた。

「先に行く。他は任せた」
「任されました。行きますよ?」
「……む!?あ、ああ」

アキがブリッジに向かって走り出し、固まっていたゴートが再起動してプロスのあとを続く。

「お、おっしゃぁ!あいつに負けんな、行くぞ!」
『応っ!』

更にその後を整備班が続く。
曰く、格納庫は彼らの戦場なのだとか。
それはさておき、奪還までの間クルーの待つ食堂からルリはこっそりと抜けだしアキの後を追った。
矛盾点がいくつかある。
ミナトとの会話、アキトとの会話、そしてナデシコであまり杖をつかないアキ。
まるでナデシコを昔から知っている、とでも言いたげな感じがしていた。
通路を進む。
二、三人、連合軍人が倒れていた。
ルリは戦闘に関して素人だが、見たところ外傷もなく、意識だけを刈り取られたように横たわっている。
強い、のだろう。
アキは人間相手にも木星蜥蜴相手にも負けないくらい、強い。
あんなにも強いのに、アキは家族には二度と会えないのだと言う。
死んでしまったのだろうか。
アキが二度と会わないだけなのだろうか。
どちらにしろルリは、アキの事を悲しく思う。。

「……あぁぁぁぁぁぁーーーッ!」

ほとんど声にならない悲鳴。
ルリは初めて聞くが、こういうもの言うのだと理解した。
声は、扉が開いたブリッジの中から聞こえる。
ルリはブリッジに駆け込み、見た。
直立不動のアキと二人の人間。
一人はフクベ提督。
もう一人はムネタケ副提督。
ルリは目を見開く。
ムネタケの右足は、奇妙な方向に曲がっていた。 正常な骨の形ではない。 アキはルリに気づいていないのか、ムネタケに一歩近づき頭に銃を突きつける。

「ア、アンタ何なのよ!?何でアタシだけ死ななきゃいけないのよ!?」
「黙れ」

アキは発砲した。
銃弾はムネタケの頭を掠めて床に当たる。
ルリにはアキが興奮しているように見えた。
実際、興奮しているのだろう。
でなければ、アキはルリに気づいている。

「……お前が生きて、死ななくてもいい人間が死ぬ。理不尽だろう?」
「な、何の事……?」
「やめたまえ!」

フクベが叫んだ。
アキは聞くつもりもないのか、照準を絞る。

「簡単だ。お前は人を殺す。木星蜥蜴でもなく、同じ軍人でもなく、このナデシコの人間を」

ナデシコの人間を殺す。
今回の騒ぎでナデシコのクルーに死傷者はいない。
ムネタケが人を殺すとはどういう事なのか。
ただ一つ、確実に言えることは、アキが怒っていると言うことだ。

「ここを守るのが俺の償い。そのためなら……俺は人殺しと思われても、構わない」
「やめ―――」
「アキッ!」

ルリは我慢出来ずに、声を出した。
アキは身体をビクッと揺らし、光の無い瞳でルリを振り返った。

「……ルリ、か?」
「もう、やめてください。ナデシコは取り戻しました」

ウィンドウを開く。
そこには格納庫や機関部で縄に縛られた軍人たちが映っている。
アキは銃を降ろさない。

「アキ……?」
「……目を瞑っていてくれないか?」
「イヤです」
「君に、見てほしくない」

目を閉じれば、アキは今度こそムネタケを撃つだろう。
嫌だった。
ムネタケが死ぬのはどうでもいい。
だが、アキに人を殺してほしくない。
銃を構えたアキが、とても辛そうに見えるから。

「やめて、ください」

ルリは声を絞り出す。
精一杯の主張。
視線が合ったまま、無言が続く。
しばらくして、アキはまだ未練があるようだが、ゆっくりと銃を降ろした。

「…………君が、そう言うのなら」

アキは小さく、呟くようにルリに言うと、マントを翻し通路に出ていった。
恐らく、食堂にクルーを呼びに行ったのだと思う。
残されたルリはムネタケを見る。
恐怖からか、完全に気絶しているようだ。
何故、アキがルリの言うことを聞いてくれたのか、考える。
アキがあそこでムネタケを殺しても、それは間違った判断ではない。
むしろ合理的とも言える手段だ。
ルリが止めたのは一個人の感情からにしか過ぎない。
それでも、アキは銃を降ろしてくれた。
客観的に見た限り、アキはムネタケに恨みがあったのだろうか。
だが、アキはその恨みよりもルリの意見を優先した。
アキにとってホシノ・ルリとはいったい何なのだろう。
お互いに大切な人だと言い合ったが、ルリにはアキが自分を大事に思う理由が見当たらない。
床のムネタケを見る。
そしてフクベを向いて、ルリはしーと指を立てた。

「……アキには、黙っててくださいね」





とにかくルリは自分の困惑よりも、自分のために抑えてくれたアキの怒りを代弁するようにムネタケのわき腹を蹴っ飛ばした。





管理人の感想(一週間ぶりくらいか…)


う〜む、この投稿ペース…素晴らしい。 かつての自分を思い出s(ry……、長くなりそうなので以下略ってことで。

と、雑談はここまでにして本題、感想へ(七話の部分から)。
済し崩し的にナデシコ乗艦…こういうのは案外斬新的なものではないかと思ったり。

オモイカネとアキの会話も中々和み系というのだろうか?そんなのが入っていて面白いです。

物語の流れも良くて、非常に読みやすいです。

構成もしっかりとできているので、最終話までの過程が楽しみです。

健康に気をつけ、完結まで頑張ってください。

短いですが、では。