二条の光線が宇宙を突き抜ける。
それだけに留まらず、後方から連射される光線に混じり、黒い光も何本か。
黄色の小型機体に赤い小型機体。
陸戦兵器であるジョロまで出てきているのだから、意図があれども読めはしないのが現状である。

『大型チューリップが一、ヤンマ級が五、カトンボ級が十二……何のつもりでしょう?』

ダッシュの報告を、アキは久しく乗っていなかった黒色エステの中で受ける。
ユーチャリス艦は既に自らが優位に立てるよう、敵艦隊正面に向けて行動していた。

「……地球圏の防衛線が上がったのか?」
『そのような情報はありません。第一、早過ぎます』

ダッシュの答えに首を捻りつつも、アキは敵にライフルを構える。
今回は味方のバッタたちもいるため、あまり動くこともないだろう。
問題は、ユーチャリスだ。
あれだけ隠蔽に気を遣って、位置が特定されたのはどういうことだろう。
ただの巡回偵察部隊ではない、目的を持った部隊。
索敵でかなわない分、地図を埋めるように隕石群を潰していたのか、何かしらの戦略性が感じられた。

『火星から逃げた際に、マークされたのでしょうか?』
「一部とは言え、資材供給を断ったんだ。マークされたのは、この航路だろう」

それはそうだとしても、違和感は残る。
地球が盛り返している今、木連軍は余計なところに部隊は割けない筈なのだ。
火星の時点で現れた不明艦を追っていたとしても不思議ではない。

「さっさと一掃して逃げるぞ」
『もちろんです。四連装重力波砲装填完了、発射許可を』
「許可する。えらく手際が良いな」

何時になく職務に忠実なダッシュに、アキは言葉を付け足す。

『ラピスが起きたら、それこそえらいことになりますから。心配しなくてもあの娘の場合、マスターが起こすまで絶対起きませんので大丈夫だと思いますけど』

寝相、寝起き、寝付きの三つ含め、睡眠に関わる全てが悪いのがラピスの弱点なのは何となく理解していたアキだが、改めて思い知ることになった。
思わず聞き返す。

「……そんなに、か?」
『……ええ、そんなに』

二人で仲良く意志を通じ合わせると、四条の重力波砲が敵艦を凪いでいく。
一度の掃射だけで全滅させられる戦いは、あと何年続くだろう。
木連も何かしらきな臭い動きがある、早い内に今の目的を終わらせよう。
木連こそ、この先の鍵になるのだから。
アキは決意を自らの胸にひっそりと抱き、ユーチャリスに帰還した。








とある一室の椅子に腰掛けて、辺りを見渡す。
正面に高級感漂う机に椅子、その後ろの壁は一面硝子張り。
高層ビル群を上から望む。
硝子を通して見える風景は、一般的な人間、更に一庶民からすれば間違いなく一生ナマで見ることはなかっただろう。
何のことはない。
高層ビルよりも、今いるビルがもっともっと高かっただけのこと。
ビルの高さが会社の偉さに比例するのかは全くの不明だが、少なくとも最上階に『他社を一望できる会長室』を持ってくるのは、その会社のセンスと会長の性格を疑う。

「さて、二、三、聞きたいことがあるんだけど……あ、エリナ君、こういう場合お茶とか用意した方がいいのかい?」
「………………」
「いやぁ、この部屋にお客招くの久しぶりで勝手がわからなくてね。それはそうとエリナ君? おーい、エリナくーん。この間捕まったこと、もしかしてまだ怒ってる?」
「…………はぁ。あの彼は放っておいて、本題に入るわよ」

漫才コンビのような二人だが、これでも世界に轟く大企業ネルガル重工の会長と会長秘書。
「拘置所だか何だかしらないけど、あそこはほんとに殺風景だったなぁ」としみじみ呟いて、硝子を背後に例の椅子に腰掛けている、スーツの似合わないロン毛の男はまだ二十歳程。
控えるキャリアウーマン風の女性も二十歳か二十歳少し過ぎ。
ネルガル重工会長、アカツキ・ナガレ。
ネルガル重工会長秘書、エリナ・キンジョウ・ウォン。
最初案内され、紹介を受けた時は何の冗談かと思ったが、冗談ではないらしい。
しかも片割れは前科持ちらしい。
だだっ広い部屋椅子に座らせられて二人に見据えられている白衣の姿は、尋問か何かを受けているように見える。
右足のギプスをさすって、気圧された様子もなく口を開く。

「それで、何が聞きたい?」
「ありのまま……が聞ければいいんでしょうけど、貴女が知ってることくらい、大体のことはこっちで調べが済んでるわ」

嫌みのつもりはないのだろうが、エリナはそう言って近づいてきた。
バサッと資料の束が手渡され、表ページには一枚の写真。
見覚えのある顔だけに、思い出したくもない。
足を庇いながら椅子に座る白衣の女は、そう思って顔をしかめた。

「君、ナナオ君だっけ?」
「合ってる」

アカツキが資料を捲り捲り名前を探したのか、呼ばれた白衣の女性、ナナオは返事をする。

「火星のナノマシン工学校を飛び級で卒業後、単身地球へ。ネルガル技術部で研修勤務、研修内容はまっさらになってるけど?」
「知らない。上司……元上司に聞いて」

実際『あの仕事』に就いたのはほんの数ヶ月前。
お給料が良かったのもあれば、認めてもらえた使命感みたいなものもあったかも知れない。
第一次火星会戦で両親が死んでから、当然両親からの仕送りも無くなれば、両親の口座の中身も、火星の死人が多すぎたせいか未だうやむや。
葬式もすることも出来ず、知り合いも居らず、研修生である身の上でお金も無く。
身を売るという手段もあったが、ナナオは結局自分を売ることができなかった。
火星の最先端ナノマシン工学校を飛び級した実力だけは本物。
ある日、上司に囁かれた『極秘研究』の給金に飛びついた。
昼は研修。
夜はデータ取り。
今では、いい尻尾切り。
身代わり人形よろしくの自分を小さく笑って、ナナオはアカツキに向き直る。

「私がやってたのは夜間のデータ取りだけだ。直接処置してた奴らはさっさと姿眩ましたんじゃないか?」
「ま、その通り。そっちは今にごっそり居なくなってもらう予定だからいいさ。それよりも、こっちを何とかしたい」

ピラピラとアカツキは写真を振って見せる。
ナナオは思い出す。
突然現れ、自分の足を撃ち抜き、また忽然と消えた男。

「それで?」
「単刀直入に聞きたいんだけど……知り合いじゃないよね?」
「交友関係は狭いけど、こんな烏みたいな知り合いはいない」
「だよねぇ」

どこまで本気か、最初から本気じゃないのかヘラヘラと笑うアカツキ。
隣で青筋を浮かべるエリナを見る限り、普段からこうなのだろう。
この会話の内容が『本題』なのか、自分の処分はどうなるのか、殺されるのだろうか、今までの病院の入院費はネルガル重工で持ってくれるのか。
我ながら情けないと思いつつ、ナナオはちゃっかりと金銭算段を怠らない。
毅然と振る舞っていたつもりでも、脅え気味なのが分かったのか、エリナは小さくナナオに微笑みかける。

「大丈夫よ。悪いようにはしないわ」
「んー、僕は美人には優しいよ。ちょっと僕の好みよりは若過ぎるけど」

いやらしい目つきで見られているのに気付くも、ナナオは顔色を変えない。
当然。
顔と頭といった自分の優れた部分にだけは絶対的な自信を持つのがナナオのポリシー。
こういう性格も「ナナオちゃんはお母さんそっくりね」と良く言われる原因である。
最も、ナナオにそう言ってくれる人はもういないのだが。

「……幼女誘拐犯は黙っててくれるかしら?」
「エ、エリナ君! それは内緒の約束じゃないか!?」
「本当に、買収とか手回し大変だったのよ? おまけに最初で最後の手掛かり捕まえらんないし……」
「い、いや、それは置いといてほら。ナナオ君? ちょっと、距離遠くないかい? 今まで真顔だったのにいきなりの笑顔、しかも汚いものを見るような眼はやめてほしいなぁ」

作り笑顔のナナオは会話を聴きながら、すーーーっと静かに距離を取った。
人格に問題あり。
性格破綻者。
特殊な性癖の持ち主。
女の敵。
色々罵ったり、喉まででかかった侮蔑の言葉を飲み込んで、罵倒してやりたい気持ちを抑えて笑ってない眼でアカツキを見る。
一応これからの人生がかかってる相手だ。
天涯孤独の身であるナナオにとって、最早ネルガルに頼る他ない。

「このことは心の内に仕舞っておく。絶対に言わないから安心しろ。ネルガル重工の会長がペド」
「頼むからもうやめてくれたまえ……これ以上は本当に立ち直れないからさ」

ナナオの言葉を遮ったアカツキは、会長室の端の床に座り込んで体育座りでぶつぶつ言い始めた。
エリナは満足したように「ふんっ」と鼻を鳴らすと、アカツキが座っていた場所に腰掛けナナオに向かい合った。

「その女の子……あの晩居なくなったマシンチャイルドなのよ」
「…………何だそれは、私は知らないぞ」
「当たり前よ。あの黒い奴が連れてったから極秘に捜索してたのに、よりにもよって仕事サボって街に出てたあの馬鹿が見つけて……」
「逃げられた、と」

何となく理解できてきた。
要はまんまと幼子にしてやられたと言うわけらしい。
問題は、未だに捕まらない男の手中にいる子供が何を思って自由の身になっているのか。

「そいつは、連れ去れたんだよな?」
「ええ。彼が言うには少女がサンドイッチ買いに来たところ発見。SSからは公園近辺で少女背負った真っ黒男を見失ったって言うし……」

なるほど、サンドイッチを一人で……。
ナナオは今までの話を聞いて、単純に思ったことを言ってみた。

「……普通に買い物に来た親娘を見間違えたんじゃないのか?」
「……ウチのSS嘗めてるわね。それにあんな服装の男、他どこ捜してもいないわよ」

それもそうか、とナナオは何でそう思ったか分からない思考を切り捨てた。

「貴女に聞きたいのは男でも少女でもいいから、間近で見た人間の情報が欲しいの。歳でも声でも喋ったことでも、何か気づいたことはない?」

姿を思い出し、やめた。
未だにトラウマに近いものがある。

「声からすると、まだ二十くらいのようだったが、私が見て分かったのはその位だ。写真データはあるなら、役に立てそうにないな」
「……そう。まぁ、そっちはあんまり期待してなかったからいいわ」


……なら何で呼んだ。


ツッコミたいと言うか、段々エリナにムカついて来た時、更にでんっと資料が積み上げられる。
分厚い。
紙束の分際で人間様にこれだけの威圧感を与えるとは、と狼狽するナナオに、エリナはにっこりと邪笑を浮かべてナナオの手を取った。

「今ままでの話、全部機密なのよね」
「…………」
「しかも社長が知らないって言った時点で、貴女はもうネルガル社員じゃないから……機密抱えた一般人が突然死なんてのは結構よくあるのよ」
「…………」
「貴女、かなり頭良いらしいわね。優秀な科学者だってイネス・フレサンジュからも聞いたことがあるわ」
「…………で?」
「仕事をあげる。私たちで雇ってあげるから、厄介事引き受けなさい」

最悪だ。
邪笑も今では悪魔のように見える。
ナナオを内心超狼狽、外面超鉄面皮でエリナに向き合った後、震えないように注意して口を開いた。

「高額給金?」
「もちろんよ。口止め料入院費その他諸々込みで払わせてもらうわ」
「断れば?」
「入院費……自腹切れる?」

ナナオに選択肢は残っていなかった。
黙ってコクンと頷いて、嘆息する。

「あー、そうそう」
「なに?」

立ち上がって、硬直していたアカツキに蹴りをいれているエリナが振り向き、ナナオは応える。

「貴女、子供好き?」

明日からの仕事の内容が、何となく分かった瞬間だった。







いつも、孤独を抱えて生きてきた。
生死の意味も理解せず、他人の存在を受け入れず。
最初に『他』の存在を理解したのは、数年前。
無針注射のナノマシンが身体中を駆け回る激痛に悶える様を、試験管の外の人間が笑った時。
憎しみや、怒りに近い感情もあったかも知れない。
その時初めて分かった。
試験管の中の世界が、唯一の世界では無いことを。
初めて『他』を理解し、同時に思った。
生きている。
自分は、今、生きている。
小さい少年の意識内での仮定の過程と結論。
しかし、結論が出てから、少年の変化は劇的だった。
でなければ、ナノマシンが安全に投与できる期間を過ぎて尚、少年が生きていられる筈がない。
今年、少年は八つになった。
他を知り、そこに善悪があることを知り、自分は今自分にとって『善』にあたる人間に囲まれている。
周りの『仲間』は、皆五つやそれ以下の年齢。
マシン、チャイルド。
子供らしからぬ、表情の薄い顔。
ちょっと人と違うだけで、ただ人に造られたと言うだけで、こんな目に遭ってしまうのだろうか。
六、七歳の子も居たけれど彼女たちは今、元気だろうか、と少年は上を仰いだ。
天井。
児童が遊ぶのには十分過ぎる広さの空間に、ぞんざいに遊び道具が放置された広い部屋。
遊び道具を提示されても、遊び方が分からない。
教えてくれる人なんか、誰もいない。
大人たちと、積極的に話がしたいとも思わない。
だから、少年たちは身を寄せ合っていた。
少年を含め八人の少年少女。
とある事情で、つい先日まで試験管の中で非人道的な扱いを受けていた。
今は、互いの体温を確かめ合うように、互いだけが『仲間』であること理解しているかのように、何も喋らず身を温め合う。
ぐっ、と小さな力で少年は身を引かれた。
隣にいた四つになる少女が、まん丸の瞳で少年を見ている。

「……お腹すいたの?」

コクコク頷いて、少女は少年に期待を向ける。
『教育』の半端な段階までしか受けていないとは言え、一般常識くらいはある。
この八人の子供の中で、少年は年長者。
妹や弟のような存在たちの為に、兄は頑張らないといけない。
まだ慣れない足取りで、立ち上がり部屋を出るために歩き出す。
黒服の大きなゴツい人か、『ひしょさん』を見つければご飯を用意してもらえるだろう。
ふと、視線を感じる。
七人が、揃って少年を不安そうな眼で見ていた。
置いてきぼりを、怖がっている。
安心させようと少年は口を開いたが、みんなに『名前』が無いことに気が付く。
それは、少年も同じ。
何も言わず、無理やり覚え、作った笑顔で応えると、少年は部屋を出た。





『黒服さん』にお願いして、仲間の部屋に戻る帰り、少年は曲がり角で何かとぶつかった。

「あ……」
「うあっ……っと、ってぇ」

ぶつかってしまった相手は変な声を上げながら、少年は小さく声を上げて尻餅を着く。
少年に影が射す。
何事かと上を見上げた時だった。

今までバランスをとっていた誰かが、尻餅を着いた自分に倒れてくる。

「わあーっ!」

少年は恐怖し、本能的に避ける。
すると何と、降ってくる人間は最後の最後の足場を踏んで方向をグイッと変えると少年を狙って倒れ込んできた。
走馬灯と言うか、スローの世界を体感できたのは、ある意味少年には新鮮だった。
「……すまん。受け止めてくれ」
申し訳なさそうな、無駄に偉そうな声。
下敷き。
嫌な単語。
多分、この人は善い人間ではないし、良い死に方もしないタイプの人間だろう。
そのままどちゃーと少年は潰される。
何も悪いことはしていないのに、何故こんな目に遭うのか不思議で仕様がない。

「悪い。重いか? そんなに太っているつもりはないんだけど……」
「そういうのは降りてから……」


……言ってください。


少年はそう続けようとして、自分に乗っている人物を見た。
短く纏めた髪は黒く、自分より少し年上くらいの幼い顔つき、150cmにも満たない身長の白衣を身に纏った人間。
少女と呼んでいいくらいの女性。
端的に言ってしまうと、年上の美少女だった。

「うわわわわわわわっ!?」

ずざざざざざざっ、と逆四つん這いのポーズで後退り、警戒する。
少年が後退ったせいで、少女は倒れたまま床に伏すことになり、怪訝そうな目で少年を見ていた。

「……失礼な奴だな。化け物を見たかのように逃げるとは」
「あ、す、すいません! びっくりして……は、白衣でしたし」
「うん? ああ……そっか。悪いな」

少女は汲み取ってくれたのか、また少年に謝った。
少年にとって、白衣は恐怖の対象でしかない。
無論他の弟、妹も、怯えてしまう。
少女もここにいるということは、ネルガル職員。
ある程度少年たちのことを承知しているのだと、少年は思い至った。

「すまん、少年」

腰を抜かしていた少年は、呼ばれて目を向けた。
『少年』と呼ばれること抵抗はない。
どうせ名前はないのだから。
ここでは従順でなければ、明日の自分も保証できない。
少年一人ならどうなってもいいけれど、少年には今は『仲間』がいる。
簡潔に返事をすることにした。

「はい。何ですか?」
「……起こしてもらえるか?」
「……へ?」

間の抜けた声を出して、少年は少女を見る。
右足に、無骨なギプス。
周りには二本の松葉杖。
怪我を、していたんだ。
だから、下敷きにするように……。
確かに少女の体は軽かった、少年は何ともない。
しかし、少年が下敷きにならなかったら、大変なことになっていただろう。
唐突に、罪悪感がこみ上げてきた。

「……ごめんなさい! ボ、ボク、知らなくて」

慌てて駆け寄ると、無表情だった少女はニカッと笑って見せる。
可愛らしい顔に、何故か歯を見せて笑う『悪役笑い』は似合っていた。
手を、差し出される。

「思っていたよりしっかりとしているじゃないか、少年。詫びること、誤りを見つけることは、人にとってとても大切だ。もっとも、私は謝ることも誤ることも好かないがな」

恐る恐る手を取って起こそうとするが、筋力など元からないため上手くいかない。
無駄に偉そうな白衣の少女は、何やら持論を少年に語りながら、「ああ、良い。その辺の壁に立てかけてくれるか?」と言って来た。
言われた通りに背中を壁に立てかけさせて座らせると、少女は隣に座るように促す。
警戒を強め、座る。
少年に、また手が差し出された。

「ナナオだ。今日からお前たちの面倒を見ることになった。よろしくやってくれると有り難い」

何処までも偉そうな少女、ナナオは少年の手を無理やり握ると、温かいその手で握手してくれた。









「酷いものだ、あの女は悪魔だな。今の物価が幾らだと思っている。アパートを借りる金も惜しいから研究室に寝泊まりしているのに、入院費など払える筈がない。大体、聞いたか? ここの会長は幼女趣味らしいぞ。少年の妹たちにも気をつけるように言っておけ。いや待て、これは内密にする約束だった、忘れてくれ。まったく、難儀な世の中に……」

グチグチグチグチと続く言葉を、少年は永遠と聴かされる。
一体全体何が何やら。
少年もお腹が空いてきたのだけれども、険悪な雰囲気のナナオに一声掛ける勇気はない。
黙って聞き続けていると、ナナオは白衣の懐からタバコを取り出し、無造作にくわえると悪態吐いてそれに火を付けた。
あまりに自然な動作だったため違和感がなかったが、スパスパやってるのはどう見ても十四、五歳の少女。
少年は慌ててタバコをかっさらった。

「…………何をする、少年。お前にはまだ早い、返せ」
「ボクは吸いませんよ……って、ダメですよ!? 何考えてるんですか! 子供がタバコなんか吸ったら……」

少年の言葉に、ますますナナオは訳がわからないといった顔を作り、少年の肩にポンポンと手を置いた。
何か言いづらそうにして、ナナオは視線を逸らす。

「あー……良く言われることなんだが」
「な、何ですか?」
『他人』にこうもフレンドリーに触れられて、少年は声を裏返して返事をした。
「私はこれでも……18になる」
「…………へ?」
「だから、私は18歳だ。早くそれを返せ」

放心して、タバコを返還してしまう。
18歳。
俗に言う、子供大人の境目。
ほぼ大人と言っても過言でない年齢。
そう言えばさっき会った『黒服さん』は二十歳だって言ってた、とぼんやり思い出し想像の中で、2m程の身長と150cmのナナオを比べる。

「ええぇぇーーーっ!?」

嘘だー、と続ける訳にも行かず、少年は叫んだ。
その様子をナナオは楽しそうに笑い、タバコを吸いながら見やる。

「はははっ、お前は見ていて飽きないな。実際会って話すのは初めてだったから、どんな奴かと思っていたよ」
「う……ボ、ボクは何とか、受け入れてますから」
「受け入れる?」
「はい………………って、良く考えたら18歳でもタバコ吸っちゃダメでしょう!?」
「ちっ、気付いたか。若い内からそんなだと、女にモテんぞ」

お酒とタバコは二十歳になってから。
けたけた笑うナナオを嗜めながら、すっかりペースを飲まれた少年は乗せられていく。
それからしばらく、少年はナナオと他愛もない会話をした。
他の子供たちのこと。
少年のこと。
やたらタバコを勧めてくるナナオに、少年がしっくはっくしていると、ぽんっと頭に手が置かれた。

「なぁ、ハリ」
「誰ですか、それ」
「お前だお前。針頭だからハリだ。ツンツン髪にはちょうどいい」
「はぁ……」

この人の前での嘆息は了承と同意。
ごーいんぐまいうぇい、な性格なのは短時間ながら少年は十分理解している。
話しかけたナナオの視線は珍しく、少年の目を見ていなかった。

「私はな。ハリたちを苦しめていた研究施設にいた。私が……憎いか?」
「……え?」
「すまん、こういう性分だ。最初に聞いて置きたい。私はお前たちを知っていて尚、助けることは愚か末端とは言え研究に加担していた。ハリは、私が憎いか?」

今度は、真っ直ぐ視線を合わせて、少年に聞いて来る。
憎いか、憎くないかで言ったら、もちろん憎い。
その前に、少年にも聞きたいことがある。

「ボクは一番長くあの場所にいました……ボクは貴女のことを見たことがありません」
「言ったろう、末端だ。ハリたちのデータを記録していたのが私だ」
「……そうですか。なら、ちょっとだけ、貴女が憎いです」

何故か、加害者である少年がすまなそうに告げると、ナナオは面食らってまた食いついてくる。

「ちょっとだと?」
「ボクも言いました。受け入れてるって」
「む……それは、辛くないか?」
「慣れちゃいましたよ。あ、他の子の前ではちゃんと白衣脱いでください。 あと、今のことも言わないでください」

少年はそれだけ言うと「さ、おしまいです」と言って話を閉めて、また笑顔を作ってみせた。
偽り。
何故か、自分でそう思ってしまった。
今度こそ本当に狼狽したナナオは、むむむと唸りながら少年ににじり寄ると――

頬を、両手で摘んだ。

そのままグイグイ引っ張る。
少年もこれには驚くも、振り払ったらこの人痛いだろうなぁ、と甘っちょろい考えが頭を掠めて動けない。

「い、いひゃい! いひゃいでふ!」
「はははっ、そうか『いひゃい』か。おお、良く伸びるな。これはなかなかどうして楽し……」
「ひゃめ、ひゃめ……ひゃめてくださいよ!」

怒りゲージが限界を突破して、手を振り解く。
さすがに温和な少年でも怒る。
しかし、ナナオは申し訳する筈もなく「黙れっ!」で返して来て、少年は身を竦ませた。
ナナオは少年に向かい合うように指示をすると、明らかに不満な顔の少年は渋々従う。

「お前は、性格が悪い」
「…………」
「何だそのあんたに言われたくないみたいな眼は。お前程卑屈な奴が性格が悪くない訳ない、断言しよう」
「……ボクは、みんな一緒なら何でも良いだけです。卑屈なんかじゃありません」

それが、少年の本音の筈だ。
ナナオは更に詰め寄ると、少年の頬をまた摘む。
グイグイグイグイグイグイグイグイと。
いい加減、ほっぺたが大変なことになってきた辺りで、ナナオは少年を突き放す。
真っ直ぐ見据えて、言い放つ。

「なら何故私を憎まない? 嫌わない? いや、恨め! お前はそれ程のことをされた!」

さっきから黙って聞いていれば。
少年の中で、何かがふつふつと湧き上がってくるのが分かっていた。
今度は少年がナナオの頬を摘む。
あくまでも優しく、相手は女の子である。

「好き勝手言わないでください! ボクはそう言う何かデロデロしたのが嫌いなだけです!」
「ふんっ、ひゃひや、ひょれひぇひはふふほへほ」
「……何言ってるかわかりません。とにかく、ボクは今のままがいいんです。それは、恨みもしますけど、造った人が居なかったらボクも存在しませんし……いいんです」

当たり前の話ではあるけれど、鶏が居なければ卵は産まれない。
親が居なければ、子供は産まれない。
研究者が居なければ、少年たちは産まれなかった。
だから、少年は『他人』としてその人たちを受け入れる。
現状を受け入れる。
だから、ナナオも受け入れる。
間違っているのかも知れない。
少年の考えることなど、たった八年の人生でしかも試験管の中で学んだこと。
欠陥があるのかもしれないけれど、今更治せない。
少年が、生まれてきている以上。
独り物思いにふけっていた少年の頬に、ビッと指が突きつけられた。
無表情なだけに、少年はやけに恐怖を感じた。

「……今に見ていろよ」
「普通に怖いんですけど」
「慣れろ。しばらくは舐められないようにこの表情でいく……そうだな、名前も考えないとな」

器用に松葉杖を使って片足で立ち上がると、少年は右側を支えるように隣につく。
何だかんだで、良い人が世話係りになってくれたようで、少年も嬉しい。

「ふむ」

何やらぶつぶつぶつぶつ考え込んだあと、ナナオは口を開いた。
少年は目を煌めかせてると、ナナオに詰め寄る。

「名前、決まりましたか?」
「いっそのこと、お前たちと家族になるのもいいかも知れん」
「…………はい?」
「ちょうど私も天涯孤独に『なった』ところだ。私もしばらく……かなりしばらくお前たちと一緒らしい。都合がいいだろ」

また、唯我独尊が出てしまったようで、少年は不安をいち早く感じ取る。
ナナオは隣を歩く少年の肩に腕を回すと、耳元を引き寄せた。

「ハリ……は決定と。あとはどうするか」
「……あぁ、ボクやっぱりハリなんだ」

落ち込んだ様子の少年ことハリをナナオは見据えて、堂々過ぎる程明るい笑顔を見せてハリの手を自ら握った。

「よろしく頼む。改めて言おう、私はの名前はマキビ・ナナオ。よろしくな、ハリ」

ハリはうなだれると、肩を組んだ義理の姉だか母だから分からないが、とにかく新しい『家族』を紹介しにいくのだった。








天城の懺悔あとがき。
どうも、ご無沙汰しておりました、天城です。
免許やなにやらで立て込んでいて、しばらく投稿できなかったことをまずお詫びいたします。
頻繁に来れなかった理由は、ネット断ちと言いますか、携帯とパソコン止められしまいまして、なんと共有パソを復旧させてただ今頑張っております。
まあ、私の近況はそんな所にして、今回は、「ハーリー君奮闘記」他四本をまとめて投下しました。
一応短編になりますが、黒衣外伝の外伝だと思っていていただければ^^;
原作で見る限り「マキビ局長さんの養子」とか、つまんない感じでハーリー君エピソードは終わりそうなので、ハーリー救済小説のつもりです。
救済するってことは、黒衣での彼の出番はこれっきり・・・・・・だと、思います。
ではでは、今回もそろそろ失礼させてもらいますね〜^^